「しの! どうした?」 長嶋茂雄氏と篠塚和典氏だけが知るサインミス事件

長きに渡り巨人の主力として活躍した篠塚和典氏【写真:荒川祐史】

三塁コーチャーから出すサイン、スクイズの時に起きた出来事

巨人屈指の巧打者だった篠塚和典氏は現役時代、類まれな野球センスで活躍。高い打撃技術で安打を量産し、首位打者2度を含め打率3割を7度マークした。8度のリーグ優勝、3度の日本一を経験し、長嶋茂雄監督(当時)のもと、コーチとなった篠塚氏は、今だから言えることがある。三塁コーチで出すサインでミスを犯したことがあった。

打線が沈んだ時、打撃コーチ時代の篠塚氏は長嶋監督からベンチで「篠塚! 打たせろよ!」と叱咤されたことがあった。師弟関係にある篠塚氏は「自分なんか言いやすかったんじゃないですかね。もうそういうことは言われるとわかって、コーチも受けましたし、三塁コーチャーの時もいろいろ大変でしたよ、やっぱり……」と懐かしそうに振り返る。

三塁コーチャーの仕事は重要だ。1点を争う時に走者を本塁へ走らせるかどうかの判断を任される。監督、ベンチのサインを打者に伝える役割もある。勝負に直結するポジションだ。

「長嶋さんの野球は、突拍子もないことをやるというか、自分たちが『ここはこうだろう』と思うことがあっても、『えっ?』っとなることもあります。そういう意味では、本当に第六感が働くというか、直感や思いつきではなく、今までずっといろんなことを考えて出されているんです」

采配で困ったことはあまりないが、苦い経験はある。当時、福岡ドーム(現PayPayドーム)での主催試合のこと。スクイズが想定される場面が来た時だった。

「福岡ドームって、三塁コーチャーズボックスと一塁ベンチに距離があります。ミスターはベンチの端にいて、自分も絶対にスクイズだなと思っていたら……サインが出ない。なので、自分も出さなかったんです。でも、ベンチに帰ったら、『しの、どうした? スクイズのサイン、出したぞ』って監督から言われてしまって……」

サインは頭や帽子、左右の肩、腕、手の甲など、触った場所によって盗塁、エンドラン、スクイズ……などが決められている。ミスターが出したスクイズのサインが、篠塚氏にとってみれば、その場所からは、離れて触っていたと認識。なので、スクイズのサインではないと判断。再度、確認すると、ミスターからは「(触ったところは)ここも、そこも一緒だろ」と返ってきたという。篠塚氏は「すみませんでした」と謝るしかなかった。

サインミスの出来事は横浜スタジアムでも起きた、その時、ミスターは……

スクイズにまつわるサインミス。篠塚氏は長嶋監督に救われた出来事もあった。横浜スタジアムでの横浜戦でのことだった。

「長嶋監督に助けられたことがありました。あるシーズンの4月最初の頃、寒い時期でした。試合展開は点が取れなくて、取れなくて。サインを出すこともなくて、体が冷え切ってしまったんです」

プロ野球が開幕しているとはいえ、まだ冷え込みがある屋外球場。巨人の先発、エースの斎藤雅樹氏が好投を続けていた。8回表の攻撃。打席にはその斎藤氏が入った。

「走者が三塁にいましてね、(足の速くはない)外国人野手だったんだよ。そこでスクイズのサインがベンチから出ました。でも、私が寒くて、寒くて、スクイズのサインのところに手がいかなかったんです」

体が固まってしまっていた。結局、斎藤氏はスクイズをすることなく、凡退し、点は取れなかった。長嶋監督はくるりとグラウンドに背を向けて、ベンチ裏へ下がっていった。篠塚氏はその背中を追いかけた。

「監督は『しの、どうした? スクイズのサイン、出したぞ』と。自分もすみません、と謝って理由を説明しようとした時、『仕方がないよな、サードランナー、外国人だもんな』と言ってくれたんです。自分としては大変なミスをしているわけなんですが、監督は私を尊重してくれました」

決して許されるミスではないと反省している篠塚氏ではあるが、サインが出ていないことで、これをミスだと気がついている人は、誰もいない。知っているのは長嶋監督だけ。そのミスターは、篠塚氏が状況を判断した上で、サインを取り消したのだろうという見解だった。もしかしたら、サインミスをかばってくれたのかもしれない。ただ、そこには篠塚コーチとの信頼関係があったからこその言葉だった。(Full-Count編集部)

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