〝祝砲〟が奪ったシリア難民の命 レバノン 実弾「花火より安い」

 中東レバノンでことし正月、新年を祝って乱射された実弾の流れ弾で、シリア難民の女性が死亡した。中東諸国では祝い事や葬儀の際、男たちが空に向かって実弾を乱射する風習があるが、なぜ空砲を使わないのだろうか。600万人以上が難民となったシリア内戦の混迷から10年。なぜ安全な場所を求めた難民が命を奪われたのだろうか。(共同通信=高山裕康) 

 ▽毎月のように

 レバノン東部バールベックの難民キャンプ。1月1日を迎えて4分後、約300人が居住するキャンプ周辺の村でおびただしい銃声が鳴り響いた。周辺のレバノン人集落の男たちが空に向けて撃った〝祝砲〟だ。このうちの1発がキャンプに落ちてテントを突き破り、寝ていた難民の女性フリヤ・ジャシム(38)のひたいに命中。夫と2人の娘、3人の息子が泣き叫ぶ中、フリヤはまもなく死亡した。

死亡したシリア難民フリヤ・ジャシム=1月9日(共同)

 1月9日、フリヤの姉ハディジャ(44)に現地で話を聞いた。標高900メートルのキャンプ。冬の夜は特に寒いという。フリヤは3年前にシリア北部ラッカの村を逃れて隣国に逃れた。キャンプの周りには壁も警備もなく、無防備だった。ハディジャは「毎月のように、結婚式や葬式のたびに乱射がある。どこから弾が飛んでくるか分からない」と怖がった。日常的すぎて、現地メディアでの事件の扱いは小さい。

フリヤが撃たれたテントの穴を示す難民男性=1月9日

 昨年の大みそかから今年正月にかけ、レバノン全土で同様の祝いの乱射が繰り広げられた。首都ベイルートでは、逃亡中のカルロス・ゴーン元日産自動車会長の居宅近くでも激しい発砲音が聞こえた。国際空港にあった中東航空機4機が被弾した。

 

 こうした〝祝砲〟はイラクやヨルダン、エジプトなどアラブ諸国各地でみられる。レバノンは特に多く、地元メディアによると2013年以降だけで少なくとも46人が死亡、100人超が負傷した。

ベイル―トに残る1975~90年のレバノン内戦の跡=1月

  「集会で銃を撃ち、感情を示すのは伝統だ。ここに男がいる、と示すためだ」とバールベック出身男性は話した。レバノン内務省は「文化なので、なくすのは難しい」と取り締まりに苦慮している。2016年、祝いの乱射で死者が出た場合は、懲役10~15年とする罰則が定められたが効果を上げていない。

 ▽「花火より安い」

 しかし因習があっても、銃がなければ被害者は生まれない。レバノンでは銃所持は当局の許可が必要だが、違法所持が横行しているとされる。武器の密売業者を探った。

 「米国製のM16なら1600ドル(約17万円)。AK47なら1000ドル~3000ドル、手りゅう弾もある」。レバノン某所。アブアリと名乗る50歳代の男は薄暗い民家の机に、玩具のように次々と自動小銃や拳銃を並べた。イラクやシリアの民兵から入手したという。「レバノンの宗派集団のほとんどが武装している。どの家にも銃はあるはず」とアブアリが言う。

武器を密売している男と、商品の自動小銃や拳銃=1月上旬、レバノン国内(共同)

 レバノンは「中東の縮図」と呼ばれる。岐阜県ほどの広さの国土だが、イスラム教スンニ派やシーア派、キリスト教、パレスチナ人など中東の18宗派や民族集団が共存する。1975~90年、10万人以上が死亡する血みどろの内戦を経験し、民間人にも銃が出回った。アブアリも元民兵だ。

 「なぜ祝砲で実弾を使うのか。空砲で良いのでは」。

 記者が素朴な質問を投げかけると、アブアリが答えた。「銃弾は1発0・23ドル(約24円)。花火より安いぞ。実戦で使えない空砲の需要はない」。

 2019年にシリアで過激派組織「イスラム国」(IS)が崩壊して需要が減ったため、弾の価格が8分の1に急落しているという。アブアリは冗談めかして付け加えた。「国民は花火より銃声に慣れている。花火を使ってみろ。知らない武器の爆発だと思われて、トラブルになる」

 ▽自衛

 ベイルート南部で、新年の祝砲乱射に自らも参加したという若者2人に話を聞けた。イスラム教シーア派系のこの地区の隣には、対立するパレスチナ難民の地区がある。若者らは摘発を恐れ、写真撮影を拒否した。

 「大みそかに、自動小銃で30発ほど空に向けて撃った」。コーヒー店員のフセイン(23)は打ち明けた。「5年ほど前に親戚からもらった銃を使った。撃ちたくなかったのだけど、パレスチナ地区も2時間前から祝砲を撃っていた。やり返さないと、流れ弾が近所や自宅に落ちてくる」。自衛で撃ったのだと主張する。

新年の祝砲が撃たれたベイルート。パレスチナ難民キャンプには貧しさが漂う=1月上旬

 男子高校生のアッバスという少年(17)は、自分も「相手に警告を与えるため120発撃った」と語った。長髪を束ね、どこにでもいる若者に見えた。初めての射撃は11歳の時。「ゲーム感覚だ。サッカーと同じぐらい面白い」と笑う。ただ母親は彼が武器を持つのを嫌がっている。「だから隠れて男友だちと撃つ」

 落ちた弾で誰かが傷つくことは考えないのだろうか。

 アッバスは反論した。「撃たないと、こちらが危ない。撃った弾は、どこかの屋根に当たっている」。自らに言い聞かせるように付け加えた。「被害者はいないと思う」

 ▽願い

 「妻は働き者だった」。亡くなった難民フリヤの夫アブデルサラム(40)は深い悲しみの中にいた。

空から落下した銃弾で死亡したフリヤのテント(左)と、姉ハディジャ(中央)=1月9日、レバノン東部バールベックのシリア難民キャンプ(共同)

 シリアでは、11年3月、中東の民主化運動「アラブの春」で反政府デモが巻き起こった。アサド政権の武力弾圧に対して反体制派が武装闘争を始め、約40万人が死亡する内戦となった。混乱の中でISが台頭した。アブデルサラムとフリヤの故郷ラッカはISの〝首都〟と位置づけられ、男性はひげ、女性は全身を黒いベールで覆う姿を強制され、いつ簡単に処刑されるか分からない苦しい日々を過ごしたという。17年4月、ラッカで発生した戦闘で自宅が破壊されたのを機に、フリヤは徒歩で約2週間歩いて隣国のキャンプに逃れた。

 ただ、人口約400万人のレバノンには、100万人以上のシリア難民が既に押し寄せていた。水道や電気、ごみ収集などの社会負担を圧迫し、地元住民からの風当たりは強かった。キャンプの外で素行の悪い住民から金や携帯を脅し取られる難民も少なくないという。レバノン当局はシリア難民の定住を恐れた。厳しい寒さにもかかわらず、テントをセメント製の仮設住宅に強化することを嫌がり、19年には仮設住宅の撤去を命令、多くの難民が自ら仮設を破壊した。

レバノン東部アルサルで、政府の命令で壊した仮設住宅のがれきで遊ぶシリア難民の子ども=2019年7月(共同)

 フリヤのテントも、防水シートとベニヤ板で覆われた8畳ほどの簡素なつくりだった。周囲の村のようなコンクリート製の家ならば、弾ははね返っていただろう。

 中東の片隅。「暴力を示さないと危険」という過去の内戦の傷と、氾濫した銃を背景に弾丸が放たれた。「どこかの屋根に当たるぐらいは仕方な い」という無責任さもあったのだろうか。だが、弾の先に安全な「屋根」はなかった。彼女の家は新たな内戦で破壊されていたからだ。

  新型コロナの感染が拡大する中、キャンプにマスク姿の難民は一人もいなかった。高齢男性は力なく笑った。「どこも行けない。誰も訪れない。マスクの必要があるのか」

 フリヤは農家の手伝いで得た月50ドルほどを貯金に回していたという。「いつか故郷に戻り、れんが造りの自宅を建て直したい」と願っていた。彼女の遺体は約370キロ離れた故郷ラッカに埋葬され、わずかな貯金は、搬送を手伝った密行業者の手に渡った。(敬称略、写真はいずれも筆者撮影)

シリア内戦で破壊された世界遺産アレッポ旧市街で、がれきが積み重なるスーク跡を歩く男性=2019年9月(共同)

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