自宅シャッター なぜ、沖縄の絵? 一家と“古里”をつなぐ 一風変わった物語

沖縄をテーマにしたイラストを描いた古川さん(左から2人目)と山里さん一家(右側)=東彼杵町太ノ浦郷

 長崎県東彼東彼杵町太ノ浦郷の会社員、山里春生さん(43)宅の車庫のシャッターに「沖縄」を題材にしたカラフルなイラストが描かれている。こんなところでなぜ沖縄? 話を聞くと、戦後の混乱期に先祖が結んだ数奇な縁があった。
 イラストには空と海をバックにハイビスカスや首里城、精霊キジムナーなど沖縄の意匠が盛り込まれている。商店街シャッターなどの描画を請け負う佐世保市の古川恵美さんが、昨年7月から約3カ月かけて完成させた。
 春生さんの妻、綾さん(43)は20代で初めて訪れてから沖縄の魅力にはまり、頻繁に旅行。結婚後も毎年家族で沖縄に出掛けるのが恒例になっていたが、昨年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で断念した。旅行気分だけでも味わえるようにと、知人の古川さんにイラストを依頼した。
 だが一家と沖縄には、それ以外にも一風変わった物語がある。春生さんによると、先祖は元々別の姓を名乗っていたが、曽祖父の虎五郎さん(1970年に死去)が沖縄出身の知人から山里姓を受け継いだという。「『その人に跡継ぎがいないから』と自分が改姓したらしい。変わってますよね」と春生さんは笑う。それにしても「沖縄出身の山里さん」は何者なのか。春生さんも「戦後に来た開拓団」としか聞いていない。
 町誌をひもとくと、陸上自衛隊大野原演習場を擁する同郷の歴史が関係していた。演習場は明治期に旧日本陸軍が本格的に整備。終戦後、県が全国から移住した開拓団に跡地を割り当て、茶や野菜の栽培を始めた。ところが、わずか1年後に土地は米軍に接収され、多くの開拓団は再び移転を余儀なくされた。「沖縄出身の山里さん」は、この時期に虎五郎さんと知り合ったとみられる。

山里さん宅の和室にある彫り物=東彼杵町太ノ浦郷

 春生さんによると、虎五郎さんは戦時中、軍に備品や食糧を納める商売をしていた。同じく軍に出入りしていた全国の職人や業者を自宅に泊めるなど世話していたらしい。身寄りのない左官の遺骨を引き取り、同じ墓に入れたという逸話もあり、山里家の和室には、その左官に作らせた彫り物細工が残っている。
 新天地を追われた「沖縄出身の山里さん」がその後、どこへ行ったのかはわからない。だが山里姓と沖縄への思いは世代を超えて受け継がれた。「またみんなで行ける日が戻るといい」。絵の中の“古里”を見つめながら、春生さん一家はコロナ禍の収束を待ち望んでいる。

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