元横綱栃ノ海の花田茂広さん 40年続いた大記録の持ち主だった!

亡くなった花田茂広さん(元横綱栃ノ海)

29日に誤嚥性肺炎のため亡くなった元横綱栃ノ海の花田茂広さん(享年82)は、昭和中期から平成半ばまで続いた「大記録」に絡んでいた。

存命する元横綱では最高齢だった。177センチ、108キロの小兵ながら技能派力士として大鵬、柏戸の柏鵬時代に活躍し、技能賞6回を含む7回の三賞を獲得。3回の優勝を遂げた。

その栃ノ海が大型力士の柏戸、大鵬に次ぐ第49代横綱への昇進を決めた1964年(昭和39年)初場所に記録が生まれた。

綱取り場所で2日目から12連勝の大関栃ノ海は14日目、13戦全勝の大鵬と対戦。この取組に26本の懸賞がかけられた。〝懸賞バブル〟の近年はこれを超える数字は珍しくないが、相撲協会の公式サイトには大鵬―栃ノ海戦について「かかった懸賞26本は以後40年破られない最多本数」だったと記されている。

64年といえば東京五輪の年。前出の協会サイトには「オリンピック景気に沸く」との時代描写もみられる。大鵬に敗れ優勝と26本の懸賞を逃した栃ノ海だが、12日目には柏戸を撃破。千秋楽に大関豊山(後の時津風理事長)にも勝ち、13勝2敗で横綱に駆け上がった。ちなみに現NHK解説者の元横綱北の富士氏(78)もこの場所、前頭10枚目で13勝の星を挙げている。

その後、宣伝の費用対効果が注目されたのか、2000年代に入ると懸賞が増え始め、2005年(平成17年)秋場所千秋楽、栃ノ海の弟弟子・元関脇栃東の息子である大関栃東(現玉ノ井親方)と横綱朝青龍の一番に49本の懸賞がかけられ、記録を更新。その後は50本を超える取組が続出した。

青森県出身で本名が花田ということで、同郷で同姓、小兵の元横綱若乃花(花田勝治さん=10年に82歳で死去)と共通点があるが、親戚関係はないといわれる。

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