【プロレスPLAY BACK(109)】前回は「現・前・元NWA世界ヘビー級王者」が一堂に集結した全日本プロレスの豪華なシリーズ「新春NWAチャンピオンシリーズ」(1974年1月)を紹介した。
70年代初頭はNWA、AWA、WWF(現WWE)が世界的な権威のある団体とされていた時代だ。まだ日本プロレスが健在でNWAとの提携を強固にしていた70年2月1日、対抗団体である国際プロレスにAWA設立者の同世界ヘビー級王者で“帝王”と呼ばれたバーン・ガニアが初来日を果たした。空港に降り立っただけで本紙は1面で報じ、ベルトをかざす姿も堂々とした貫禄を誇っている。
「まだ見ぬ強豪と呼ばれた“幻の帝王”AWA認定世界ヘビー級王者のバーン・ガニアがついに来日した。貫禄十分のガニアは余裕たっぷりにカメラマンのフラッシュを浴びながらタラップを降り、記者会見では胸を張って『私のレスリングの神髄を日本で十分に発揮したい』と語った。ガニアは3日広島大会から6試合に出場する。
――ホームリングのシカゴからあまり動かないということだが
ガニア いや、そんなことはない。東洋への旅は今回初めてだが昨年はカナダ、スペイン、メキシコなどをサーキットしている。
――得意技は
ガニア テクニックの8割がスリーパーホールドだ。その他ではレッグロック。これは相手のスネを攻めてギブアップさせるものだ。
――アンチNWAの旗手ということだが
ガニア(ニヤリと笑って)フットボールや野球にもいくつものリーグがある。プロレスだって同じではないか。日本にもプロレスのグループが2つあると聞く。ただ私のAWAはシリアスなプロレスを特色にしてファンにアピールしている。
――挑戦するストロング小林について、どの程度知っているか
ガニア タフガイで280ポンド(約130キロ)もあると聞いているので楽しみだ。私は日本での初戦を力いっぱい戦い、ファンの方々に評価していただきたい。ウエートは今、230ポンド(約102キロ)でベストコンディションだ」(抜粋)
当時、国際プロレスのエースだったS・小林は2月5日、大阪府立体育会館でガニアに挑戦。1―1の末、リングアウト引き分けに終わった。ガニアはこの試合が実に76度目の防衛だった。翌6日には東京体育館で再戦が行われ、1―1からガニアが勝利。同9日盛岡市体育館ではグレート草津の挑戦を1―1からのリングアウトで引き分け防衛。防衛回数を日本で78回まで伸ばしている。
ガニアはこの時、9回目の王者(68年8月に奪取)として75年11月にニック・ボックウィンクルに敗れるまで、7年以上もの間王座に君臨した。ニックもまた長期政権を築き名王者となり、全日本参戦後は日本人選手の“天敵”となった。(敬称略)