【プロレス蔵出し写真館】宿泊先はヒルトンの特別ルーム…別格扱い〝鉄の爪〟エリックの貴重な在来線移動

呉越同舟で移動するエリック夫妻(手前右)と馬場(通路後方=1967年5月)

〝鉄の爪〟フリッツ・フォン・エリックといえば、2月4日に「ジャイアント馬場23回忌追善興行」が行われる馬場の最大の宿敵だった。

エリックが日本プロレスに初来日したのは昭和41年(1966年)の11月27日。もう54年も前になる。

東京・日本武道館で初めてプロレスが行われた12月3日のメインイベントで、インターナショナル王者の馬場がエリックを迎えうった。

今でもユーチューブにアップされていて、当時の貴重なノーカット映像が視聴できる。試合は、エリックの得意技アイアンクローをめぐる攻防、大きく振りかぶってコメカミを掴もうとするエリックの右手を馬場が両手で掴み阻止、あるいはかわしてマットに自爆させるなど名場面が繰り広げられる。

試合後に、日本テレビ・徳光和夫アナウンサーのインタビューに答える28才の馬場の肉声も収められており、若い時の声質は、どことなくキラー・カーンに似ている印象だ。

さて、全米で大物だったエリックは初来日から特別参加で、以降も常に来日する外国人レスラーのトップとして扱われた。売れっ子のエリックはこの時も、試合後22時30分発のパンアメリカン機(現在は運行停止)でサンフランシスコ(カウ・パレスでの試合が決まっていた)に向け帰国した。

2度目の日本上陸を果たす67年、ドリス夫人を伴ったエリックは他の外国人レスラーとは別にファーストクラスで来日。第9回ワールド・リーグ戦に参加して帰国するザ・デストロイヤーは出発前、早めに空港に到着してエリックを出迎えた。エリックの威光をまざまざと感じる一幕だった。

宿泊先もエリック夫妻だけはヒルトンホテル(当時=後にキャピトル東急ホテルと改称)のスペシャルルーム。何から何まで別格扱いだった。

しかし、このシリーズは東北の福島、仙台をスタートして名古屋、大阪をサーキットする日程。東北新幹線がまだ開業前で、列車の本数に限りがある在来線での移動は特別扱いというわけにはいかなかった。そして、時には日本人レスラーと呉越同舟になることも…。

写真は5月22日、仙台から名古屋に向かうため東京・上野への移動する車中。右側手前の席に座るエリックとドリス夫人。エリック夫妻の後方はリップ・ホーク。その後ろはミスター・モトとヨネコ夫人。左側の席、最後方にミツ・ヒライ、その前の席は芳の里代表。そして通路には前日の仙台・宮城県スポーツセンターでシングルマッチを戦った馬場の姿が。

ドリス夫人は、20日の福島県営体育館で行われた夫の試合(馬場、グレート・イトーと名乗っていた上田馬之助組VSエリックと弟の設定だったワルド・フォン・エリック組のタッグマッチ)を詳報する「馬場〝鉄の爪暴風〟に敗る」の見出しの東京スポーツ本紙を興味深げに見ていた。

エリックはアントニオ猪木、ジャイアント馬場が去っても日本プロレスに来日。1973年に日本プロレスが20年の歴史に幕を下ろす最後のシリーズにも来日。4月20日、群馬・吉井町体育館で行われた最終戦にも出場し、現在も現役でリングに上がるグレート小鹿と対戦した。

初来日当時、エリックを取材した記者は「リングを下りたエリックはユーモアがあってとても紳士でしたよ。地元(米テキサス州ダラス)で銀行を経営していたくらいだから」と語っていたが、日本プロレスへの感情はビジネスだけではなかったということか…。

まさか後年のエリックが、息子たちの不幸な出来事ばかりがクローズアップされることになろうとは誰が予測できただろうか(敬称略)。

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