1965年 巨人に〝天皇降臨〟 金やん効果で不滅のV9時代が始まる

長嶋茂雄(左)、王貞治(右)の肩に腕を回す金田正一。注目度ナンバーワンだった

【昭和~平成 スター列伝】1965年の巨人・宮崎キャンプで、長嶋茂雄や王貞治より大きな注目を集めた選手がいた。新加入の金田正一だ。

金田は前年(64年)まで14年連続20勝以上を記録し、国鉄での15年間で通算353勝を挙げた、まさに史上最強の左腕。FAの前身ともいえる10年選手制度を使って、64年12月に国鉄から巨人へ移籍した。

国鉄では誰も逆らえない存在で「天皇」と呼ばれ、監督やコーチと衝突することも珍しくなかった。肝心の実力は、やや下降気味という見方もあった。それでも巨人が獲得したのは、川上哲治監督にある狙いがあったからだといわれる。

キャンプ初日の2月1日、金田は練習前から動いた。早朝6時、当時の巨人の宿舎である旅館「江南荘」からほど近い大淀川の堤を約5キロにわたってランニング。意図を「体がまだできてないのや。冬の間に使わなかった部分の筋肉をほぐさなくてはならないからな」と説明した。

前年に就任したばかりの正力亨オーナーは視察後「金田には“巨人では天皇になるなよ”と前に言ってあるし、本人も悪かったということで、キャンプでもさすがによくやっているようだ」とコメント。金田も「国鉄時代は連係プレーの練習なんかせんのに巨人は初日から始めるんやからな…」と川上監督による徹底した管理に戸惑いながらも、文句ひとつ言わず練習メニューを黙々とこなした。

本紙の記事は「宿舎でも自炊をやめて、他の選手同様に旅館が用意した食事に舌つづみを打ちながら食べていた」と練習後の様子を紹介しつつ「そこには十五年の長いプロ生活から生まれたトレーニング方針も生活も振り捨てて巨人の一員になろうと努力する金田の姿があるだけだった」と結んでいる。

金田はこの年、11勝にとどまり、翌66年からも4勝、16勝、11勝、5勝と国鉄時代に比べれば物足りない数字に終わった。しかし、金田の練習を見た王、長嶋らナインは「あの金田さんがあんなに練習しているのか」と驚嘆。例年以上に自分を追い込み、併せてケガ予防のための練習法なども学んだという。これが川上監督が狙った“金田効果”。巨人の不滅のV9はこの年から始まった。(敬称略)

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