「何も確証がなかった」緊急渡米 有原航平が感じた“揺れた移籍市場”1か月の裏側

Full-Countの独占インタビューに応じたレンジャーズ・有原航平【写真:荒川祐史】

移籍の決め手は「まだまだ伸びる」という助言、証明するデータの提示に愛情を感じたこと

今季からレンジャーズでプレーする元日本ハムの有原航平投手がFull-Countの単独インタビューに応じた。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で停滞したメジャーの移籍市場。昨年12月20日に「何も確証がなかった」状態での緊急渡米となったが、渡米5日間で交渉ペースが上がり、合意に至った。感染対策をしっかりとし、緊張感と温かみを感じた1か月の“裏側”に迫った。(楢崎 豊)

スーツケースには必要最低限のものしか入っていなかった。メジャー球団との交渉のため渡米することになった12月20日夜。機内に持ち込んだのは「早く決まってほしい」という願いだけだった。米国には早大時代の遠征や日本ハムのキャンプで何度も訪問しているが、こんなに落ち着かないのは初めてだった。

「渡米まで(契約がまとまる)確証はありませんでした。どのチームが実際にオファーをくれるかわからない状態で、アメリカに行きました。ある程度は今後の見通しがわかってから渡米するものと思っていましたが、そうではなかったので驚きました」

11月26日にポスティング申請し、交渉期間は1か月と時間に限りがあった。日本を発つまで、オンラインで代理人のジョエル・ウルフ氏と会議は重ねていた。12月中に予定は立ててはいたが、渡米が決まったのは3日前だった。

「交渉期限が近づいてきて、日本にいるとなかなか時差の関係で話ができないので、向こうでやろうという話になりました。そこから代理人と球団の方と話をする形になりましたが、それもオンラインでした」

本来ならば球団幹部や代理人が一堂に会したウインターミーティングが米国内のホテルで開催され、そこで交渉が活性化するはずだった。しかし、今年はリモートによる話し合いとなり、有原に限ったことではないが、思うように進まなかった。

「興味を示していただけた球団はあっても、オファーを出してくれるかどうかは実際にアメリカに行かないとわからなかったんです」

ロサンゼルスに到着。有原は多くの有名スポーツ選手を顧客に持つ代理人「ワッサーマン」事務所でのミーティングの日々だった。ソーシャルディスタンスを保つために、広い会議室を貸し切って使用させてもらった。渡米したとはいえ、代理人と会う回数も限られており、感染対策を取り続けながらの交渉となった。

有原航平がコロナ禍で異例の交渉となった裏側を語る【写真:荒川祐史】

コロナ禍で感じた独特の移籍交渉、食事もテイクアウトで済ませるだけ

「最初の数日はホテルと事務所の往復だけでした。コロナの影響で外にも出られず、食事もテイクアウトで済ませていました」

滞在して1日、2日と経過していくうちに、複数の球団からオファーが届き始めた。通常ならば対面して、話が進んでいくのだが、球団のGMと対面することはなかった。すべて、パソコン越しでの交渉となった。

「こういう感じで決まるのかって思いました。米国に行ってから、オンラインミーティングでどんどん話は進んだかなと思います。代理人の方も『今年はスローペース』だと話していた。でも自分にとっては初めての経験なので、こんな感じなのかな、という風には受け止めていました」

期限に近づいて並んだオファー。有難い評価を受けたと有原はどの球団にも感謝の思いでいっぱいだった。各球団から熱量を感じた。

最終的に選んだのはレンジャーズだった。決め手は何か。有原の中では明確なものがあった。

「どの球団も、とてもよい評価をしていただけました。施設面も含め、レンジャーズにお世話になろうという気持ちになったのは、まだまだ伸びると言ってもらえ、具体的なことを示していただけたのが、すごく嬉しかったです。もっともっと、自分が成長できるチームなんだなと思いました」

レンジャーズは日本ハム1年目からの有原の投球の解析をしていた。試合のデータや成績はもちろん、球種の割合も細かく調べていた。その中で、高めの直球の使い方など、ピッチングの助言を受け、さらなる活躍に太鼓判を押されたという。

「データを出してもらって、もっとこうした方が良くなるという点を教えていただけました。『絶対にやりなさい』と言っていたわけではなく、壁にぶつかった時にはこうするといいよ、と。本当にすごいなと思いましたし、とてもわかりやすかったです」

各球団との面談は1回のみ。他球団からもデータは示されたが、有原の心を打ったのはレンジャーズ。自分を一番必要としてくれる愛を感じ、ここならばさらに成長できると感じた。他にも施設なども紹介された。動作解析の施設にも目を奪われた。本拠地のあるダラスの街についても話をしてくれた。代理人との意見も一致し、チームは決まった。

「(本拠地の)グローブ・ライフ・フィールドも綺麗でした。昨年のワールドシリーズをテレビで見ていたので、ここがまさか本拠地になるとは思っていませんでした。ここで投げられるように頑張ろうと思いました」

24日に有原はロサンゼルスからテキサスに移動。25日にメディカルチェックを受けて、晴れて契約となった。年俸は今年が260万ドル(約2億7000万円)、来年が360万ドル(約3億7000万円)と報じられた。無事にサインをし、緊張の6日間が終わった(金額は推定)。

大学時代からの憧れを胸に有原航平は海を渡る【写真:荒川祐史】

大学4年の春、有原は全米の強豪大学を抑え込んでいた

メジャーに初めて憧れたのは、早稲田大学4年生の春だった。ロサンゼルス遠征で多くのメジャーリーガーを輩出する強豪のUCLAを相手に完投勝利を収めた。硬いマウンド、独特なボールを苦にするどころか、操っていた。

「最初は『こんなところがあるんだ』くらいしか思いませんでした。帰ってくると変化が生まれました。アメリカの雰囲気はもちろん、粗削りだけど、打者のパワーもすごい。当てに来る感じがないし、ブンブン振ってくる。それが、純粋に面白かったです。ドラフトの頃には『日本で結果を残して、いずれは』という夢になっていました」

ドラフト会議当日の会見で憧れを口にしてから約6年。行きの機内では不安しか入っていなかったスーツケースに大きな夢を詰め込んで、有原は帰国の途についたのだった。今度はその夢を大きなものにするための、挑戦が始まる。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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