J2ギラヴァンツ北九州・小林伸二監督(雲仙出身)インタビュー 一番の喜びは選手の成長

島原キャンプで選手を鼓舞しながら指導する小林監督=島原市営平成町多目的広場

 J2ギラヴァンツ北九州が現在、島原市で開幕前キャンプに励んでいる。小林伸二監督(60)は雲仙市出身の島原商高卒。過去に4クラブをJ1に昇格させた実績から「昇格請負人」と呼ばれ、2019年から指揮を執る北九州でも手腕を発揮する。今季の目標を「J1昇格」と定める指揮官に、勝てるチームのつくり方を聞いた。

 -気温や練習相手を考慮すれば別の選択肢もある中、地元島原をキャンプ地に選ぶ理由は。
 まずは北九州として島原でお世話になった過去がある。就任した際、実はキャンプ予算がゼロだったが、何とかお願いして再開してもらった。九州内なら交通費がかからないし、地域の誘致も積極的で他では考えられないような援助をしてもらっている。キャンプは苦楽をともにするのも大事だが、それ以上に食事が大事。ホテルはレパートリーが多く、一つ一つが本当においしい。コロナ禍で受け入れてもらって感謝している。

 -昨季はJ2で台風の目になった。小林監督は堅守速攻のチームをつくるイメージだったが、北九州は攻撃的。スタイルを変えたきっかけは。
 大分、徳島、清水は守備を安定させて勝ち点を取ってきた。1年で上がらなければとなると、どうしても負けないことが大事になる。となれば堅守速攻の方が計算できる。でも、清水でJ1に上がった際、若くていい選手がいて使いたかったが、結局守備的にいってしまった。18年に1年だけ監督業が空いた時期があって、そのときに今の日本サッカーや選手層を見ながらいろんなことを感じて。やはり攻撃的にやろうと決めた。
 北九州は来た当初、90分戦えずに足が止まるというスポンサーの声があった。結果よりもまずはチームの形を変えることが先という気持ちで取り組んだ。積極的に足を動かすとかも含めて、フィジカル面は見直した。

 -昨季活躍した若手が、ごっそりと他クラブに引き抜かれた。強化にも携わる「全権監督」の立場として、苦労も多いのでは。
 それだけ評価されたと思えばいい。選手はピッチで頑張って、外から評価する人がいる。昔は外の情報が選手に入りにくかったけれど、今は代理人とかが「おまえのパフォーマンスだったらあそこのチームで生きる」と言ってくれる。そこからは交渉。お金に関して日本人はタブーなところがあるが、選手の価値だから。育てた選手がいいチームに誘われて、資産を残していくのは悪いことじゃない。J1に行かないと分からないこともある。選手があと10年やるとして、いい話があるのに我慢するというのはどうなのか、とも思う。指導者として一番の喜びは、向き合ってきた選手が成長するとき。でも、頭では分かっていても、監督として「おいおい、ここまで出て行くの?」となることはあるけど。

 -J2を勝ち抜くために必要な条件は。
 トーナメントじゃないので、本当の力が問われる。1年間でいいときも悪いときもあるが、ぶれずにやる、準備をちゃんとやることが大事。表向きの準備だけじゃなく、土台としての準備がある。そういうのも含めて、勝っても負けてもちゃんと準備をやりきれるか。選手の立場でも、調子が悪いときにいい準備をしてピッチに立てるかどうかは大きい。負けると堅くなるし、窮屈になる。でも、そこを耐えていい面を出さなくちゃいけない。前を向いていかなければ変わらない。そこを適当にやると常に落ちていく。悪いときに落ち込むか、ばねにしてもう一回上がっていくか。強いチームになるために大事にしている要素。

 -2021年シーズンに向けた意気込みを。
 アベレージを高くするのもいいかもしれないけど、もう、一気にJ1にチャレンジする。選手がいなくなってもチャレンジ。今年はどのチームもチャンスのはず。そういう場所に身を置く。

【略歴】こばやし・しんじ 1960年、南高国見町(現雲仙市)生まれ。77年の島原商高2年時にインターハイで九州勢初優勝。FWとして大商大、マツダ(現J1広島)でプレーし、90年に現役を引退した。指導者になった後は、監督として大分、山形、徳島、清水をJ1に昇格させた。北九州では監督初年度の2019年にJ3で優勝。前年の最下位から飛躍させ、20年はJ2でクラブ最高タイの5位に入った。

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