女子校と蜘蛛の糸 #それでも女をやっていく

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会社員、フリーライターであり、同人ユニット「劇団雌猫」として活動するひらりささんが、「女」について考えるこの連載。
今回は留学先で出会った、女子校時代の先輩との縁について語っていただきました。


女子校を手放しに「好き」とは言えない、同窓会とかも極力行きたくない、と以前のエッセイで書いた。しかし、同じ学校で育った女の魂には、一生断ち切れないつながりが生まれることは間違いなく、アンビバレンツな感情を抱きながらも、その関係に助けられてしまうことが結構ある。
わたしがそれを実感したのは、世界に疫病が蔓延するほんの少し前、ロンドンに1ヶ月の短期語学留学に行った時のことだ。

(イメージ:写真AC)

2019年の11〜12月、コツコツためた有給と貯金を一気に放出して得た1ヶ月の休みで実現した語学留学。費用は、語学学校代、宿代、航空券代だけでも50万円近くかかった。有名オンライン英会話サービスも本拠地を置く英語留学のメッカ、フィリピン・セブ島を選んだ方が、間違いなく安く済んだだろう。
しかし、わたしはどうしてもロンドンに行きたかった。せっかくたまった有給を投資するなら、英語習得だけでなく、世界各国の美術品が多数収蔵された美術館を回ったり、ミュージカル好きの聖地・ウェストエンドで観劇をしたり、近隣諸国へのショートトリップを楽しんだりしたかったのだ。

海外一人旅も初めてなら、知り合いのいない土地で1ヶ月暮らすのも未知の経験。しかし、ロンドンには過去二度訪れたことがあったので、「慣れてるし安全」という謎の自信があった。公共交通網も発達しているし、銃社会じゃないし、大好きなドラマ『SHERLOCK』の国だし……いやSHERLOCKはめっちゃ人死ぬけども。
唯一心配していたのは、あまり世界的に評判が良くないイギリスの食環境で長期間耐え切れるか、ということくらい。この懸念も、イギリス留学経験があるというフォロワーさんが親切にも「おいしいご飯屋リスト」を送ってくれたことで解消されていた。

事件は、渡航2週間目に起きた。語学学校に慣れ、日本人があまりにも多いことに文句を言い、日本人コミュニティには少し距離を置きながらも、他国からきた歳下の女の子二人と仲良くなり、学校の最寄り駅前のパブでビールを飲んでいる時の出来事だった。
コクがある最高のビールを2パイントほど飲み、タイから来ているバンちゃんという女の子から「ママもわたしもSEVENTEENが好き!」という話を聞いて写真を見せてもらいながらK-POPアイドルの話でひとしきり盛り上がった後、ビールも飲み干したしそろそろわたしは家に帰ろうかと立ち上がった時に、気づいたのだ。椅子の下に置いていたはずのBAG’n’NOUNのリュックサックが丸ごと忽然と消えていることに……。

(イメージ:写真AC)

最初は、入店当初に座っていた別のテーブルにリュックを置き忘れたかな?と考えた。一緒にいた子たちも、わたしがなぜキョロキョロと店内を見回し始めたのか理解していなかったくらいだ。わたしが次第に青ざめ“My baggage may be stolen.”と時制の間違った英語で発すると、彼女たちもやっと気づき、同じくらいびっくりしていた。
「スリが横行しているので気をつけるように」とは語学学校のオリエンテーションでも言われていたが、財布一つやハンドバッグ一つならともかく、リュック丸ごと盗まれるとは、誰も思ってもいなかったのだ。

リュックの中には、100ポンド入った財布と、背のポケットに2万円、その他2週間分のノートやテキスト、Kindle Paperwhite、指輪などのアクセサリー類が入っていた。お金は財布とリュックのポケットに分けて入れることで、スリ対策をしているつもりだったのだが、全部盗まれたので全く意味がなかった……(涙)。
定期券、下宿先の鍵、iPhoneは上着のポケットに入っていたのでその日はなんとか家に帰り着くことはできたし、パスポートだけは語学学校からの厳しい言いつけを守って下宿先のロッカーに保管していたのは、かなりのファインプレーだった。
それまでにいろんなものを紛失したり盗難されたりする人生だったので、絶望的に落ち込まずにはすんだのも、不幸中の幸いとして、付け加えてもいいかもしれない。

とはいえ、クヨクヨしないで切り替えよう!と思っても、完全なる無一文になってしまったという事実は覆らない。持っていたカード会社のサポートデスクに電話したところ、「緊急カード」という一定期間利用できる仮のクレジットカードを発行してくれることがわかった。
また、国際送金サービスを利用すれば、現金を手に入れられそうなこともわかった。それでも数日はタイムラグがあるため、当座の現金はあった方がいい。せめて100ポンドは欲しかったが、人に借りるには、それなりの金額である。普段わたしの人となりを知っている友人・知人に頼むならともかく、異国で知り合ったばかりの人々に頼むのはかなり抵抗があった。そもそも、「リュック丸々盗まれた」とか言って、果たして信用してもらえるのだろうか……。
パブで一緒にいたバンちゃんに頼む手はあり得たが、現場での醜態に重ね、迷惑をかけるのは忍びなかった。ロンドンに滞在して2週間。荷物を盗まれたものも、その中に有り金が全部入っていたのも、頼れる相手がいないのも、すべて自業自得……あまりにも愚か……。
ロンドンに来てまで日本人で集まって日本語をしゃべっている人たちを、ちょっと小馬鹿にしていた己が、顔から火が出るほど恥ずかしかった。あれは、異国でトラブルがあった場合の担保でもあったのだ。

(イメージ:写真AC)

一文無し・信用無しの窮地に陥り、眠れぬ夜を過ごしたわたしだったが、一晩経ったら、ちょっと光が見えた。一人だけ「恥を忍んで頼ってみようか」と思える人間が浮かんできたのだ。
感じの悪いアラサー独身女を信用してくれ、図々しいお願いをしても大目に見てくれそうな相手……それは、1週間前に二人で食事をした、ロンドン在住の中高の先輩・アイコさんだった。

アイコさんは、ロンドンにある医療系企業で働く36歳の女性だ。20代の時に公衆衛生の研究をするために大学院留学したのがきっかけで、ロンドンに移住。現在は、大学院で知り合ったパートナーと暮らしている。
わたしが出身校――私立女子学院に入学した時に、アイコさんは高校2年生。在籍時期が被っているのだが、在学中からずっと交流を温めていた……というわけではない。ロンドンに行く前に「おいしいご飯屋リスト」を送ってくれたフォロワーさんが、アイコさんと仲良くしており、出身校が一緒だから現地でしゃべってみてはと紹介してくれたのだ。

しかし、わたしとアイコさんのつながりは、単なる同窓生にとどまらなかった。名前を聞いてから気づいたのだが、なんと、わたしが一年だけ在籍し、同級生とそりが合わずに退部したバレー部の、当時の高校キャプテンだったのである。
わたしの学年は人数が多かったのもあり、アイコさんの方はすぐやめたわたしのことを流石に覚えていなかったが、わたしの方は、下級生にも分け隔てなく爽やかな笑顔で挨拶してくれるアイコさんのことが記憶に残っていた。

(イメージ:写真AC)

正直、しっかり部活をまっとうして引退した人に、たった一年でやめたわたしが「部活の後輩で〜」とか言うのは恥ずかし過ぎたのだが、アイコさんはとても優しく、夕食を食べて昔話に花を咲かせた日も「二重に後輩だし、今日はわたしが出すよ」とおごってくれたほどだった。12年ぶりにつながった縁に甘えさせてもらい恐縮していたのだが、まさかその温情に、こんなに早くすがることがあろうとは……。ましてや、あれだけ普段インターネットで悪口を言っている母校がもたらした蜘蛛の糸なのだった。

かなり恥ずかしかったけれど、事情を説明すると、アイコさんは非常に心配し、次の週末に現金200ポンドを渡すと約束してくれた。
色々と調べた結果、国際送金のサービスの登録・即時利用ができることがわかったので、先に、わたしの家族の口座から、アイコさんの口座へ、200ポンド分の送金をしてもらうことにした。アイコさんに頼むのが、実質的には借金ではなく、換金となるように調整した。

できるだけ先方の心配を減らせるように頭をひねりはしたが、後からアイコさんに聞いたところ、さすがに「100パーセント信用している」という状態ではなかったらしい。ちょっと目を離せばすぐさま全財産盗まれてしまうような街で生き延びているのだから、当然の警戒心だ。
実際、アイコさんのパートナーの方は新手の詐欺なのではないかと訝しんでおり、「本当に大丈夫なの?」と聞いてきたと言う。たしかに出身校も名前も、いくらでも偽れる。

それでもアイコさんは、パートナーにこう言ってくれたという。

「りさちゃんは正しい“学年カラー”を言えたから、大丈夫だって!」

『学年カラー』とは、文字通り、学年ごとに振り分けられたカラーのことだ。わたしは黄学年で、アイコさんは青学年。女子学院は中高一貫なので、中学1年生の時に割り振られたカラーを6年は使い続ける。毎年行われる体育祭では、それぞれが学年カラーの鉢巻きを巻いて学年対抗で競い合ったり学年カラーを基調にしたマスゲームを披露しあうのもあり、卒業生にとっては、何年経っても地味に頭にこびりついている存在となっている。

(イメージ:写真AC)

もっとも、うちの学校にしかない制度というわけではないし、シンプルな概念なので、話を合わせようと思えばいくらでも合わせられる。
大体、学年カラーが言えて、嘘偽りなく同窓生だったとしても、別に全員が全員、善良な人間というわけではないだろう。純然たる同窓生であっても何がしかの詐欺行為を働かれる可能性も全然あるのだ。
その点で言えば、アイコさんの「大丈夫」は何も「大丈夫」ではなかった。きっとパートナーの方も本当に説得されたわけではなかっただろう。

しかし、アイコさんはわたしの「学年カラー」を信じてくれて、「大丈夫」の根拠にしてくれた。その大雑把な優しさというか、潔い決断が嬉しくて、それって“うちの学校っぽさ”かもなあという気持ちが浮かんできた。お金が手に入ったこと以上に、そのことに、泣きたいような嬉しいような感情を抱いて、その晩はロンドンで初めて、ぐっすりと眠ることができた。もしかしたら、お金を盗まれる前よりも、安堵していたかもしれない。

その後は、スリにあわず、命の危険も感じず、つつがなくロンドンを楽しむことができた。美術館に行ったり他の国に足を伸ばすのに精一杯で、アイコさんとはお金を受け取った日以来直接会えていないのが心残りだ。
当時、アイコさんが日本に一時帰国する時などにまた会おうねと話していたのだが、あれよあれよと新型コロナウイルスが蔓延してしまい、それどころではなくなってしまったのだ。パンデミックが始まって以降、イギリスでは日本以上に予断を許さない感染拡大が続いており、医療に関する仕事をしているアイコさん夫婦は、本当に多忙そうだった。
昨年一度近況を聞くメッセージを送ったのだが、結局、いくら近況を聞いても、日本にいる自分にはどうにもできないわけで、それ以上の連絡がためらわれていたのだ。

今年に入って、新年の挨拶を口実に、思い切ってアイコさんにメッセージを送ってみた。
アイコさんはとても元気だった。なんと前回連絡した直後に、夫婦で陽性となってしまったことも教えてくれた。幸い軽症で済んだそうで、ロックダウンでスーパーマーケットしか開いていないロンドンの味気なさを、本当に残念そうに語っていた。

今でもわたしは同学年の同窓会には行かないし、これからも多分行かないだろう。
「縁」も「絆」も「同窓」も未だに抵抗がある、母校への反抗期真っ最中だけれど、それでも、こうして自分がアイコさんに助けられてしまった以上は、きっと他の誰かを助けるべき時が来るんだろうなあとも思う。現にアイコさんには恩返しができていないし、他に同窓生と知り合っているわけでもないので、来ない可能性の方が高いのだが……。
万一そんな機会があった時に、アイコさんみたいな先輩(後輩?)でいたいなという気持ちが、30歳過ぎて生まれてきた。学校を卒業したばかりの自分に言っても、きっと信じてくれないだろうなと思う。
相手は、見知らぬ後輩かもしれないし、知っている同級生かもしれないし、本当は同じ女子校で育ったかどうかなんて関係なくてもいい。相手がどんな人間かではなく、自分が、潔くて大雑把な優しさを持てるかどうかなのだから。

世界のロックダウンが明けて、アイコさんとまた会えたら、今度はわたしがビールをおごろう、と思っている。

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