フリーダ・カーロに魅せられて ドイツのとある美術館ができるまで【世界から】

ゲアケ・レムンド美術館の外観

 Tシャツやスニーカー、クッションやコースターなどのインテリア用品、手帳、最近ではマスクに至るまで、近代メキシコを代表する画家フリーダ・カーロ(1907―1954)の自画像や彼女の作品世界をモチーフにした商品を見かけることが、筆者の住むハンブルクでも多くなった。

 幼少時にポリオ(小児まひ)のため右足が不自由となり、18歳の時にはバスの衝突事故で生死の境をさまよう重傷を負った。命は取り留めたものの、後遺症に耐える生活を強いられるようになった。それでも、病床で本格的に始めた絵画で才能を発揮。生涯にわたって精力的に作品を生み出した。彼女の作品のほとんどは、強いまなざしが印象的な自画像だ。著名な画家で主に壁画を制作していた夫、ディエゴ・リベラの女性関係に悩み苦しみながらも、自らを見失うことなく、作画への情熱を持ち続けた。その生きざまからフェミニズムのシンボルなどと言われる彼女だが、生や死を直視した数々の作品はあらゆる人々を魅了している。(ハンブルク在住ジャーナリスト、共同通信特約=岩本順子)

展示されている絵はもちろん、全てレプリカだ©Kunstmuseum Gehrke-Remund

 ▽マドンナも

 フリーダ作品をモチーフとする商品があふれる一方で、彼女のオリジナル作品に触れるチャンスは少ない。世界各地に散り散りになっている彼女の作品を、まとまった形で鑑賞できる機会は皆無だからだ。ところが、ドイツ南部の保養地として名高いバーデン・バーデン市にある「ゲアケ・レムンド美術館」がそれを可能にした。2020年2月1日に「フリーダ、私の秘密」と題する大規模な展覧会が公開されたのである。

 フリーダは生涯に約200点の作品を描いたと伝えられている。そのうちの十数点が、彼女が暮らしていたメキシコシティの家に保管されている。外壁が青く塗られているため「青い家」と呼ばれているこの家は、数々の遺品とともに「フリーダ・カーロ美術館」として公開されている。同美術館のコレクションは、夫の遺志により「青い家」の外に持ち出すことができないため、現地に赴かなければ見ることができない。

 フリーダの作品は、およそ6割がコレクターや個人の所有となっており、展覧会などに貸し出されないものも多い。個人の代表例はポップスターのマドンナで、数点を所持していることが知られている。それ以外は、主にメキシコや米国の美術館が所蔵している。日本では、名古屋市美術館が「死の仮面を被った少女」(1938年制作)を所有しているだけだ。行方不明の作品も数点ある。

 「フリーダ、私の秘密」で展示されるのは全てレプリカ。フリーダの死後に著作権所有者の許諾を得た上で忠実に複製したものだ。ちなみに、フリーダ作品の著作権は全てメキシコ政府に帰属し、管理は「ディエゴ・リベラ&フリーダ・カーロ・ミュージアム・トラスト」という組織が行っている。フリーダ・カーロ美術館を運営しているのもこの組織だ。

 展示は、フリーダ作品の半分以上に当たる123点に上る。ところが、公開後まもなく新型コロナウイルス禍が欧州を襲った。ロックダウン(都市封鎖)が実施される度に、美術館は閉館を強いられている。ドイツは現在、2度目のロックダウンの最中であり、展覧会再開の見通しは立っていない。

フリーダ・カーロが使っていたベッドも忠実に再現している©Kunstmuseum Gehrke-Remund

 ▽好きが高じて…

 ゲアケ・レムンド美術館は世界で唯一、フリーダが描いた全作品のレプリカの制作と展示が公式に認められた美術館だという。同美術館の創設者であるハンス=ユルゲン・ゲアケさんとマリエラ・レムンドさんは、ともにフリーダに魅了され、1980年代から本職のかたわら、フリーダ作品のリサーチを行ってきた。ゲアケさんは米国系IT企業のドイツ子会社で社長を務める。レムンドさんは中国を始めとする世界各地のポリテクニック(高等職業教育機関)や工科大学の講師だ。

 レプリカ制作の許諾を得た2人は所蔵美術館や所蔵者に掛け合って、オリジナル作品を細部に至るまで写真撮影した。それと平行して、作画技術を克明に記録し、レプリカ制作になくてはならない資料を作成した。さらに実際に描いてくれる画家を探し始めた。

 北京を拠点の一つとするレムンドさんは、現地の画家たちと交流があり、彼らの中から複数の画家がレプリカ制作を引き受けたいと申し出てくれた。フリーダのレプリカは単なる模写ではなく、「画家の魂」を持つプロによって描かれるべきだと考えていた2人にとって、それは願ってもない出会いだった。

 最終的に4人の中国人の画家たちがレプリカを制作することになった。2人は製作中の画家たちの元を何度も訪れ、綿密な打ち合わせを行いながら仕事を進めたという。写真などの資料が十分にない作品は、制作そのものを断念した。

 ゲアケ・レムンド美術館の開館は2008年。米・サンディエゴなどで巡回展を行っていた時期もあったが、17年以降は全コレクションがドイツに戻っている。同美術館のキューレーターも兼務しているレムンドさんは定期的に企画展を行い、さまざまな視点からフリーダの魅力にアプローチしている。「フリーダ、私の秘密」は8回目にあたる企画展で、フリーダの美意識やエレガンス、ファッションへのこだわりにフォーカスを当てている。

 美術館の内部は「青い家」にインスピレーションを得た内装になっている。フリーダが最期の時を過ごしたベッドは素材もサイズもデザインも、オリジナルを忠実に複製したものだ。作品のレプリカ以外にも、数多くの写真やビデオ映像、レムンドさんがメキシコ国内で集めたフリーダと同時代の衣装や布地などの手工芸品も数多く展示されている。

ゲアケさん(左)とレムンドさん©Kunstmuseum Gehrke-Remund

 ▽二つのルーツ、二つの美術館

 ゲアケ・レムンド美術館の所在地バーデン・バーデン市は、フリーダと縁がある。父親のカール=ヴィルヘルム・カーロは南ドイツの小都市プフォルツハイムの出身だが、メキシコにやってくる前までバーデン・バーデンに住んでいたのだ。カーロ家はバーデン・バーデンで3度引っ越しをしたそうだが、住まいの一つは現在も残っているという。

 カール=ヴィルヘルムは母親を亡くしたことや継母とうまくいかなかったこととなどの理由から、18歳になった1890年にメキシコへ移住した。彼はメキシコで写真家として活躍し、メキシコ人女性と結婚したが、間もなく妻に先立たれた。メキシコ先住民族の血を引くフリーダの母親マチルデは、父の再婚相手である。

 メキシコにはフリーダが暮らした家を生かした「フリーダ・カーロ美術館」があり、ドイツにはフリーダの芸術に深い感銘を受けたゲアケさんとレムンドさんが「ゲアケ・レムンド美術館」を設立した。フリーダのルーツである2カ所に彼女の作品が楽しめる美術館があることになる。

 「バーデン・バーデンの美術館は、メキシコという国と文化、そしてフリーダ・カーロに対する私たちの情熱の表れなのです。フリーダ・カーロの物語を、通常の美術館とは異なる形で、来訪者の皆さんと分かち合いたい」

 レムンドさんはこのように語る。

 「フリーダ、私の秘密」展は会期を延長することが既に決まっている。ロックダウンが終わり次第、再開する予定だ。

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