「このまま終われない」“外れ1位で5球団競合”から5年 ロッテ佐々木千隼の覚悟

ロッテ・佐々木千隼【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

2年目に右肘手術「ここまで怪我が多くなると思っていなかった」

もう5年目の球春。沖縄・石垣島では、強い日差しが降り注ぐ。すっかり日焼けしたロッテの佐々木千隼投手は、春季キャンプ第2クールの初日を終え、淡々と手応えを語る。「順調にきているかなと思います」。内に秘めた思いは、簡単に言葉には代えない。【上野明洸】

2016年のドラフトで、1位の再指名としては史上初となる5球団競合。注目を浴びた1年目は開幕ローテ入りを果たし、15試合登板で4勝を挙げた。しかし、2年目の2018年には右肘を手術し、1軍登板なし。プロに入るまで大きな怪我は一度もなかったが、思わぬところで躓いた。「簡単な手術だったんですけど、すごく長引いてしまったので、不安な思いはありました」と、投げられなかった日々を振り返る。

2019年には7試合登板で2勝。2020年も春季キャンプを1軍で迎えるも、肩のコンディション不良で夏まで投げれられず、もどかしい日々が続いた。

そんな中、思わぬチャンスが巡ってきた。昨年10月6日にチーム内で新型コロナウイルスの感染者が判明し「感染拡大防止特例2020」を適用。選手の大幅入れ替えに伴って1軍昇格を果たした。中継ぎで5試合に登板し、4回1/3を投げ4失点。3週間足らずで登録を抹消された。

「チャンスを自分で掴み切れなかった。悔しい思いはありました」

ただ、収穫があったのも事実。「中継ぎの経験をして、中継ぎの大変さを経験できたのはよかったかなと思います。先発だけじゃなくて、何でもできる役割になりたいなと思うようになった」と、新たな思いも芽生えた。

今季は先発でも中継ぎでも、とにかく1軍の舞台での活躍を目指す

昨年の後半からフォームの改革に着手。「自分は力んでしまうので……」という癖を見つめ直し、腕の脱力に意識を向ける。オフの自主トレでは、自分自身の体を見つめ直すところから始めた。

「どういう筋肉を使って、どういう動きをするかっていうのをトレーナーさんに教わりながらやってきました。自主トレではいい感じだったので、キャンプで形にしていきたい」

ドラフト1位として背負い続けてきた期待と重責。いつまでも待ってくれる世界じゃないことも、この4年間で見てきた。

「プロに入ってからずっと満足いくような投球はできていないんで、活躍したいという思いはずっと持ち続けています。まだ何もしていない。このまま終われないなと思います」

肩肘に不安はない。勝負の5年目、1軍でのチャンスを掴み取るため、キャンプで腕を振り続ける。

○佐々木千隼(ささき・ちはや)1994年6月8日、東京都日野市出身。26歳。小学2年から野球を始め、日野市立三沢中では軟式野球部に所属。都立日野高では1年からベンチ入り。3年時には夏の西東京大会でベスト8。桜美林大に進学後、3年時にはリーグで東海大・菅野智之(現巨人)に並ぶ年間で7度の完封を記録。2016年には神宮大会準優勝。大学通算25勝。同年のドラフト会議では外れ1位としてはNPB史上最多の5球団からの指名を受け、抽選の結果、ロッテに入団。181センチ、83キロ。右投げ右打ち。(上野明洸 / Akihiro Ueno)

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