1月に新型コロナウイルスに感染し入院、今月復帰した産婦人科医の森崎正幸県医師会長(72)が6日までに、長崎新聞の取材に応じた。発症から治療、復帰までの経過やその間の心の動き、医師として、感染を機に治療現場や拡大防止について考えたことなどを語った。
県内を見舞った大雪が残る1月10日朝。森崎氏は、理事長を務める産婦人科医院内の自宅で、寒けを感じて目覚めた。のどに違和感があり、37.0度の熱。「かぜ気味だな」と思ったが、通常のかぜよりも症状は軽く感じた。
薬をのむと症状は軽快。だが11日夜、自身でコロナ感染の有無を調べる抗原検査をすると、陽性だった。「『まさか』とショックだったが、9日までは診察に当たり、県庁での会議などにも出ていた。感染が広がらないことだけを考えた」
すぐに自宅を離れ「自主隔離」。院長を務める長男や県医師会、県などに連絡し、院内の消毒やスタッフ、接触者の検査を進めてもらった。幸い、ほかの感染者は見つからなかった。
12日にPCR検査で陽性が確定。その夜いったん就寝したが、ふっと息苦しくなり目が覚めた。不安感が増し、生まれて初めて3行ほどの短い“遺書”を書いた。「入院して戻れなくなったらと思い、後のことを書いて机の上に置いた。医療従事者の私がこうなのだから、一般の人は不安でたまらないだろう」。そう実感した。
■最悪
1月13日、保健所の指示で入院。胸部コンピューター断層撮影(CT)でコロナ特有の肺炎像「すりガラス状陰影」が確認された。入院後3、4日間は室内で軽い運動をするなど、ほぼ無症状。だが17日「最悪の状態」が訪れた。全身のひどい倦怠(けんたい)感と筋肉痛。味覚嗅覚を感じなくなり、食欲がなくなった。
19日は食事がまったく取れず、胸部CTの肺炎像も拡大。主治医に頼み点滴を打ってもらうと、20日には食欲が戻り、21日には倦怠感がうそのようになくなった。25日のLAMP法検査結果は陰性。病床を空けたいと申し出て26日に退院した。味覚嗅覚も回復し、後遺症はない。
発症前の行動を顧みたが感染経路に心当たりはない。マスク着用を徹底し、食事も家族と別々に取るなど人一倍気を使ってきた。「1人でも感染させていたら、もっと罪悪感を感じていたかもしれない」と真情を吐露。自身から感染が広がらなかったことで「しっかり感染防御をしていればかなりの確率で防げる。マスク着用が有効だと実感した」と、普段の対策の重要性も改めて思い知った。
■武器
入院中、コロナ治療最前線の医師、看護師の姿を目の当たりにした。「薬やワクチンという“武器”を持たず、無力な中で一生懸命やっているが大変。通常の医療とは違う。早く武器を与えることが大事」
今後本格化する県内のワクチン接種準備には、県医師会も深く関わる。「接種する医師らの確保に積極的に関与する。私自身も既に感染したので、前線に出る気概はある」と語る。
感染拡大の県内「第3波」は一時の深刻さを脱しつつある。5日、県は長崎市の緊急事態宣言解除を発表したが、「ほかの県はどうあれ、長崎はいったん感染者ゼロまでもっていくべきだ。中途半端では、また感染者が増える」と指摘。
「感染症なので、うつるときはうつる。感染したら自分の体力、免疫力で乗り切るしかない。感染防御に加えて禁煙や肥満解消、体力づくりが大切」。経験を踏まえ、こう訴えた。