菓子折りを持ってくるメジャーリーガー 自然と愛され、伸びる有原航平という男の素顔

レンジャーズ・有原航平【写真:荒川祐史】

早大時代から知る編集部記者が明かす、学ランを着ていた頃と変わらない人物像

日本ハムから大リーグのレンジャーズに移籍し、7日の渡米に合わせて「Full-Count」に手記を寄せた有原航平投手。在籍6年間、メディアに決して多くを語らなかった男は、どんな素顔を持っていたのか。手記の構成を担当し、早大時代から知る編集部記者が明かした。【神原英彰】

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6年前と同じだ、と思った。

1月某日。手記の打ち合わせのため、弊社に来てくれた時のこと。待ち合わせ場所のドン・キホーテ中目黒店前に立つ有原の手に、菓子折りがあった。「これ、良かったら皆さんで食べてください」。そんな律儀な姿を見て、彼が早大4年生だった2014年12月を思い出した。

前職でスポーツ紙の記者として、アマチュア野球を担当していた筆者は、日本ハムに入団が決まった有原にインタビューをお願いした。すると、ちょうど近くで用事があるというので、会社まで来てくれた。その手にもあった、菓子折りが。

当時は1年間、番記者として密着。球場、練習場はもちろん、食事に誘っては焼肉店をはしごする大食漢に驚きながらも話を聞き、紙面で大々的に報じさせてもらった。ドラフト目玉となった大物ルーキー。しかも、わざわざ足を運んでもらい、こちらがお礼を……という立場なのに、社内を回って「たくさん記事にしていただき、ありがとうございました」と頭を下げる姿に、お偉方が目を丸くしたことを覚えている。

22歳の大学4年生。慣れない社会人の領域に足を踏み入れ、硬くなってしまっても不思議ではない。にもかかわらず、大人びた心配りも自然にやってしまう。マウンドでは自分の世界に入り、近寄りがたい雰囲気を醸し出すが、野球を離れれば、義理堅く、穏やかで、素直な若者。その真っすぐな心は、189センチの体格に不釣り合いな学ランを着ていたあの頃と、少しも変わらない。

だから、自然と周りに愛されるのではないか。今回、出来上がった手記を読んで、そう思った。

ドラフト会議で4球団の抽選。「25%」という確率で、本人が望んでいた日本ハムに引き当てられた。2年目に出会い、投手として大人にしてくれた吉井理人投手コーチ、5年目にベンチの隣で励まして最多勝に導いてくれた田中賢介。6年という道のりでは2軍落ちや配置転換など、壁に当たりながらも、節目節目で手を差し伸べる人が現れ、引き上げてくれた。

そして、何より栗山英樹監督。本人が「一番信頼してもらっていた」と言うように、誰より認めてくれた恩師との出会いは、最大の良縁だろう。

「パスモも持ってますから」、電車で来て電車で帰る姿に膨らんだ期待

ドラフト1位、まして数球団の競合という期待通りに活躍することは決して簡単ではない。しかし、1歩ずつ階段を上がりながら、新人王、日本一、最多勝と、プロ野球選手として輝かしい実績を残した。その裏に、自然と愛され、伸びる、星の下に持って生まれたものがあった気がしてならない。

有原との思い出で、忘れられないひと言がある。

2014年のドラフト会議2日前のこと。運命の日に向けた心境を聞こうと、渋谷の喫茶店で会った。その時、投手としての伸びしろの話になり、彼は言った。「まだ自分の納得いく球を投げられたことが1球もない。もっとやれると思っています」。今回、当時のことを話すと、本人は「覚えてないですねえ……」と笑ったが、伸びしろについては「それは、今もまだまだ感じています」と6年前と同じように言った。

「自分が求める理想には追い付いていない。球速ももっと伸びるし、コントロールももっと磨ける。まだまだ成長している段階だと思っているので」

菓子折りを持ってくる折り目正しきメジャーリーガー。世界最高峰の舞台に身を置き、壁にぶつかることもあるだろう。しかし、揺るがない信念を持ち、謙虚で、驕ることもない“らしさ”を失わなければ、節目節目で助けられ、時間はかかっても求める高みにたどり着ける。そんな気がする。

「都内の移動は電車が一番です。パスモも持ってますから」と言い、電車で来て、電車で帰って行った。その姿を見て、期待は自然と膨らんだ。(神原英彰 / Hideaki Kanbara)

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