被災車両 掘り出す 望遠レンズや一脚も 普賢岳大火砕流30年「定点」整備

報道陣らが犠牲となった島原市北上木場町の撮影拠点「定点」周辺を災害遺構として整備する取り組みを進めている同市の安中地区町内会連絡協議会は8日、取材車両とタクシーを掘り出す作業などをした。後方は平成新山=同市北上木場町

 1991年6月3日の雲仙・普賢岳大火砕流惨事から30年を迎えるのを機に、タクシー運転手や報道陣が犠牲となった長崎県島原市北上木場町の撮影拠点「定点」周辺を災害遺構として整備している同市の安中地区町内会連絡協議会は8日、土や火山灰に埋もれたタクシー2台と取材車両1台を掘り出し水で洗った。
 大火砕流では消防団員や住民ら43人の死者・行方不明者が出た。噴火で形成された溶岩ドーム(平成新山)頂上部から約3.5キロの地点にある定点には現在、三角すいの白い木製標柱だけが目印として立つ。30年を前に、亡くなった人たちの慰霊とともに、噴火災害の教訓を後世に伝える場を設けようと、同協議会が1月に整備を開始した。3月完工予定で、整備面積は千平方メートル程度の見込み。
 野ざらしのまま残されていた取材車両は定点から約20メートル、土中に大部分が埋もれていたタクシー2台は定点から約70メートルの距離。読経後、造園業者らが重機やスコップを使い土砂を取り除いた。埋まっていた車体下部をあらわにした取材車両とともに、カメラを安定させる1本足の器具「一脚」と望遠レンズなどが見つかった。車3台は、定点周辺に既に地元放送局が保存整備している取材車両1台のそばに屋外展示する。当時の状況の案内板も設ける。
 報道機関がチャーターしたタクシーが掘り出された小嵐タクシー(同市)の石橋雅一社長(65)は「亡くなった運転手はよく知っていた同僚。苦しかっただろうと思う。これで本人も喜んでいるのではないか」と話した。

掘り出され、クレーンでつり上げられる報道機関の車両

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