手塚治虫「100万年地球の旅 バンダーブック」漫画の神様とアニメーションの夢 1978年 8月27日 日本テレビ系 24時間テレビのアニメスペシャル「100万年地球の旅 バンダーブック」が放送された日

取材カメラが捉えた、締切ギリギリで苦悶する神様の姿

原稿書きに行き詰まった時、僕がよく見る動画がある。

それは、1986年1月10日に放映された『NHK特集』である。「手塚治虫・創作の秘密」なるサブタイトルが付けられたドキュメンタリーには、在りし日の漫画の神様が作品を生み出す、貴重な姿が収められている。

その仕事場は、都内某所にある古びたマンションの一室。漫画界のスーパースターなのに、白亜の御殿でも高級マンションでもなく、ごく庶民的なマンションという点にまず驚く。部屋の間取りもありふれた3DKだ。だが―― その生活臭のする空間こそ、奥さん以外にはマネージャーもアシスタントも足を踏み入れることのできない、孤高の創作空間なのだ。

もちろん、特別に撮影を許可されたNHKの取材陣も、創作の邪魔はご法度。カメラはあらかじめ部屋の各所に複数台セッティングされ、別室からリモートコントロールで操作される。24時間体制だ。そしてカメラは非情にも、締切ギリギリで苦悶する神様の姿を赤裸々に捉えたのである。

漫画の神様・手塚治虫の言葉「締切はクリエイティブの源である」

それは、ゲストとして講演を頼まれた、フランス・パリで開催される『日仏文化サミット』への出発を控えた、ある日のことだった。締切はとうに過ぎている。もはや今夜、原稿を仕上げないと、連載に穴を開けてしまうばかりか、フランス行きの飛行機にも乗り遅れてしまう―― そんな切羽詰まった中、一向に筆が進まず、床に突っ伏して焦燥する神様。連日、睡眠時間は1、2時間であり、それは過酷な睡魔との闘いでもあった。

「締切はクリエイティブの源である」

漫画の神様の言葉である。神様は締切に遅れる担当者泣かせでも有名だった。時には、締切間際に仕上げた作品を、出来栄えが気に入らないと、丸々描き直すこともあった。そのため、口の悪い編集者から「手塚遅虫(おそむし)」と陰口を叩かれたことも――。それでも、いつも最終校了ギリギリで傑作を仕上げるのだから、多くの編集者たちは手塚漫画を欲したのである。

そう、漫画の神様ですら、毎回ボロボロになりながらも、綱渡りのように作品を仕上げている―― そんな姿を見せられたら、半人前の自分が原稿書きに悩むなど百年早い。かくして、僕はやる気を取り戻し、キーボードに向かうのである。

NHK特集から3年とひと月後の1989年2月9日、漫画の神様はこの世を去った。享年60。直接の死因は胃癌だが、長年に渡る殺人的なスケジュールが体を蝕み、寿命を縮めたのは容易に推測できる。

そして今日、2月9日は、そんな神様の三十三回忌に当たる。そこで今回のリマインダーでは、主に神様の晩年―― 80年代に焦点を当て、その分岐点となるエポックメーキング、1978年に作られた2時間アニメ『100万年地球の旅 バンダーブック』を取り上げたいと思う。

運命を大きく変えた1本のアニメーション映画

手塚治虫―― 本名は “虫” がつかない、手塚治である。1928年(昭和3年)、大阪府は豊中町(現・豊中市)に生まれ、5歳の時に兵庫県宝塚市に移り住んだ。手塚家は曽祖父の代から名士の家柄で、モダンな手塚邸には戦前では珍しく映写機があったという。一家はハリウッド映画などをよく鑑賞し、中でも治少年のお気に入りがチャップリンとディズニーだった。

何不自由なく、幼少期を過ごした治少年――。だが、中学に上がると大きな時代の波に呑まれる。太平洋戦争だ。戦時中、治少年は隠れて漫画を描き続けた。その枚数、およそ3000。そして終戦間際の1945年4月には、彼の運命を大きく変える1本の映画と出会う。大阪大空襲から辛うじて焼け残った松竹座で見たアニメーション映画『桃太郎・海の水兵』がそう。日本海軍が国威発揚のために作った国策映画だったが、治少年は深く感動し、涙を流した。そしてエンドロールを見ながら心に誓ったという。

「一生に1本でもいい。どんな苦労をしたって漫画映画を作って、この感動を子供たちに伝えよう!」

―― 時に手塚治虫16歳。彼のアニメーションに対する志の炎は、まさにこの日、点火されたのである。ちなみに、漫画の神様がデビューを飾るのは、この翌年――戦後の1946年の1月4日。毎日新聞が発行する小学生向けの新聞の四コマ漫画『マアチャンの日記帳』だった。17歳の青年漫画家・手塚治虫の誕生である。

そう、漫画と漫画映画(アニメーション)―― この似て非なるものが、終生、自身を苦しめることになろうとは、この時点で神様は予想もしていない。

手塚治虫とアニメーションの関りは?

漫画の神様とアニメーションの関りは、大きく3つの時代に分けられる。

1つは、1960年に東映動画が制作・公開した『西遊記』である。原作は手塚の『ぼくの孫悟空』で、東映動画からアニメーション化の話が持ち込まれると、神様は念願の仕事ができると大いに喜んだという。だが、制作が進むにつれ、両者の仕事のスタイルに軋轢が生じ、結果的に、それは神様の望む作品ではなくなった。

2つ目は、そんな東映動画との “失敗” をバネに、「次は、自らの手でアニメーションを作る」と一念発起して立ち上げたアニメ制作会社「虫プロダクション」の時代である。1963年に放送した日本初の本格的連続アニメ『鉄腕アトム』を始め、『ジャングル大帝』や『リボンの騎士』など数々のヒット作品を生み出すも、やがて慢性的な赤字に悩まされ、10年後の1973年に倒産した。

そして3つ目が―― 今回取り上げる『100万年地球の旅 バンダーブック』に端を発する、日本テレビの『24時間テレビ 愛は地球を救う』内で放映されたスペシャルアニメのシリーズである。

虫プロ倒産… アニメーションの夢を捨てず漫画に集中

神様の漫画家人生は、17歳のデビューから亡くなる60歳まで、実に43年間にも及ぶ。だが、その全てが順風満帆だったワケじゃない。最大の試練は1970年前後―― 世は劇画雑誌『ガロ』に代表される大人向けの劇画ブームで、子供をターゲットに清く正しく美しい世界観の手塚漫画は「時代遅れ」と囁かれるようになった。連載は次々と終了し、折しも虫プロダクションが多額の借金を抱えて倒産―― この時期、神様の人生はどん底にあった。

そこへ、救いの手を差し伸べたのが、秋田書店の『少年チャンピオン』だった。その真意は漫画界のレジェンドに花道を用意する意図だったらしいが、この依頼に神様は全身全霊で応え―― そこで生まれた新連載が名作『ブラック・ジャック』だった。同作品は読者から大反響を呼び、神様は華麗に復活する。時に1973年11月―― 虫プロ倒産から、わずか3ヶ月後のことだった。

そこから5年間は、神様は漫画に集中した。『三つ目がとおる』や『ブッダ』などヒット作が続き、第三次黄金時代を迎えようとしていた。だが―― 実はアニメーションの夢を捨てたワケではなかった。毎週、締切に追われながらも、密かにその機会を待っていた。そして、復活から5年目となる1978年―― ついにチャンスが訪れる。日本テレビが新たに立ち上げるチャリティー番組内で流す世界初の2時間のテレビアニメを作ってほしいという。そう、『24時間テレビ』である。

24時間テレビで放映「100万年地球の旅 バンダーブック」

『100万年地球の旅 バンダーブック』は、手塚治虫の原案・総監督のオリジナル作品だ。博士夫妻の乗る宇宙船が独裁者ビドルの手によって爆破され、間一髪、人口冬眠カプセルで逃れた赤ん坊がゾービ星に不時着する。同星の王妃に「バンダー」と名付けられた赤ん坊は、17年後にたくましい青年剣士へ成長。やがて自身のルーツを知り、地球へ帰還して両親の敵を討つ物語である。ゲストスターとして、ブラック・ジャックも登場する。

それは、映像のクオリティからストーリーの完成度まで、まるで映画のような作りだった。1978年8月27日に『24時間テレビ』内で放映されると、同番組内最高となる28%の高視聴率を獲得。内容面の評価も高く、翌年以降も『海底超特急 マリンエクスプレス』や『フウムーン』など、手塚アニメが作られる布石となる。僕自身、当時オンタイムで見て、抜群に面白かったのを覚えている。

だが―― そこに至るまで、ギリギリのスケジュールの中、壮絶な戦いが繰り広げられていたことを、後に僕らは知ることになる。

「リテイク」納得のいかない仕事はギリギリまで粘ってやり直す

アニメーション作りは分業である。だが、最初に原作者が絵コンテを切らないと、それに続く “原画” も “動画” も “背景” も、何も作業が進まない。アニメにおける絵コンテは、映画やドラマにおける脚本と同じ。いわば設計図だ。そう、もうお分かりですね。当時、漫画の神様は連載8本を抱える超多忙の身。毎週締切に追われる中、その合間を縫って絵コンテを切らないといけない。控えめに言って、それは修羅場だった。

放送まで2ヶ月を切っても絵コンテは上がらなかった。そんなある日、事件が起きる。なんとスケジュールを管理する制作担当デスクが失踪したという。ただでさえ混乱していた現場が、もっと混乱した。その辺りの経緯は、原作・宮崎克、作画・吉本浩二の『ブラック・ジャック創作秘話』に詳しい。 

放映まで1ヶ月を切り、ようやく一部のラッシュ(試写)までこぎつけた。だが、それはアニメ地獄の終わりではなく、始まりに過ぎなかったことをスタッフは知る。ラッシュの最中、画面を見つめる神様は次々に「リテイク(作り直し)」を連発したのである。そう、納得のいかない仕事はギリギリまで粘ってやり直すのが、神様の身上だった。

最後の3日間は、全スタッフが完徹だったという。そして、手塚チェックをクリアした『バンダーブック』は、オンエア直前に日本テレビに納品される。だが、それで全てが終わったワケではなかった。放送当日、事務所でスタッフと一緒にオンエアを見た漫画の神様は、見終えると開口一番、こう口にしたという。

「リテイク」

―― かくして、再放送もビデオ化も予定にない『バンダーブック』は、オンエア後もひたすら直しの作業が行われたのである。漫画の神様の80年代は、目の前に迫っていた。

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