現代湯治の「長湯温泉」に見る、withコロナの持続可能なライフスタイル

自然光が差し込む明るい温泉棟(「クアパーク長湯」)。歩行湯とつながっている

コロナ禍による働き方の見直しで、地方の観光地などに滞在しながら働くワーケーションに注目が集まっている。中でも古くから伝わる湯治文化を現代的にアップデートした「新・湯治」(観光省が推進)は病気の予防にもつながると期待される。その先駆けとして知られるのが大分県竹田市の「長湯温泉」だ。2019年には温泉療養の本場ドイツを参考にした長期滞在向け施設「クアパーク長湯」をオープン。実際に滞在し、その中心人物を取材すると、withコロナの世界で考慮すべき生き方が見えてきた。(写真・文 いからしひろき)

ふるさと創生の1億円を湯治文化復興に

大分県の南西部に位置し、熊本県と宮崎県に接する竹田市は、周囲をくじゅう連山、阿蘇外輪山、祖母傾連山という山々に囲まれ、一日数万トンの湧水があふれる、水と緑豊かな地域だ。基幹産業は農業と観光。観光地は、瀧廉太郎の「荒城の月」のモデルとなった岡城跡や、城下町の町並み、そして豊かな水資源を活かした農村風景、高原のパノラマがある。

「九州の屋根」ともいわれるくじゅう連山

平成17年4月1日に竹田市、荻町、久住町及び直入町の1市3町が合併し、現在の竹田市となったが、その後も人口は減り続け、過疎高齢化が進んでいる。安定した雇用が十分にあるというわけでもなく、特に生産年齢人口の減少が著しい。

そんな中、竹田市が力を入れて来たのが温泉資源を活用した湯治文化の再生だ。長湯温泉で2代に渡り温泉療法にたずさわる伊藤医院の伊藤恭院長がその歴史を紐解く。

病院のリハビリ室にて、伊藤院長

「炭酸泉という希有な泉質を持つ長湯温泉は、江戸時代から湯治場として栄えて来ました。昭和初期にはドイツで温泉療養学を学んだ九州帝国大学(現九州大学)の松尾武幸博士が長湯に温泉研究所を設置。温泉による健康効果の研究が盛んに行われたことから、体に良い温泉という評判がたち、九州各所から湯治客が訪れました。松尾博士の詠んだ『飲んで効き 長湯して利く 長湯のお湯は 心臓胃腸に 血の薬』という句は、当時の観光チラシにも使われたそうです」

しかし第二次世界大戦により隆盛は途切れる。戦後復興を経て、高度経済成長期の旅行ブームが来ても「温泉成分による濁りや湯垢が汚い」と観光客に敬遠され、本来の温泉効果や意味合いが認められない不遇の時期が続いた。

転機になったのが、竹下内閣により行われたふるさと創生事業だ。1億円の無駄使いとの悪評もあるが、竹田市はその「血税」を長湯温泉の復興に使った。

「当時私は大分医大での研修を終え、地元に戻って来たばかり。そこに当時役所の係長だった首藤勝次(現・竹田市長)という私の1つ年上の幼馴染みがやって来て、こう言うんです。『長湯温泉で町おこしをしたい』と。正直、今どき温泉? と思いました。この人は何を言っているんだろうと。それでも『頼むから一度調べてくれ』と言うので文献を漁ったら、炭酸泉についての古い資料が出て来たんです。それによれば、長湯の温泉は心臓や胃腸にとても良いという。本当なのか実験してみたいが、サーモグラフィーなどの機械などに金がかかる。それでもいいか? と言ったら首藤は『どうにかする』と」
 
さて実験してみると、心臓から送り出される血液の量が、温泉に入る前と比べて2割〜3割も増えるという結果が出た。伊藤医師は「とても信じられなかった」と振り返る。

さらに静脈の中の酸素の量が「どんと増えていた」という。これは血流が良くなりすぎて、全身の細胞に酸素を届けても尚余ってしまい、静脈の血液中に残って溶け込んだことを意味する。その証拠に動脈の中の酸素量は変わっていない。

運動や体温の上昇で血液量が増えれば、その分血管が押し広げられて普通は血圧が上がる。しかし入浴後の検査ではそうならなかった。これは長湯温泉の中に含まれる「重炭酸イオン」が血管自体を拡張させ、血流を良くしていたからだ。しかも特定の大きな血管だけではなく、手先や脳の中の毛細血管も含めた全身の血管が開くのである。

だからサーモグラフィーで普通のお風呂と比べてみると、長湯温泉の方がより長く温浴効果が続くという結果が出た。

血圧を上げずに血流を良くするのだから、当然心臓への負担は少ない。さらに飲泉により腸内細菌が増え、肥満防止ひいては糖尿病の改善にも役立つということが後に分かった。

「つまり松尾博士の『心臓胃腸に 血の薬』という句は、科学的証明されたのです」

街中にある飲泉場
自由にくむことができる

コロナ禍が「現代版湯治」を後押し?

温泉パスポートは観光案内所などで気軽に申し込める

この結果を受けて竹田市では温泉療法の活用に力を入れる。そして2011年から日本初となる温泉療養保健システムを独自に開始。これは「竹田式温泉パスポート」を温泉利用者に発行し、滞在費の一部を助成するというものだ。

こうした取り組みが認められ、2015年にはNPO法人日本ヘルスツーリズム振興機構の「ヘルスツーリズム大賞」を受賞。2017年には温泉療養施設「御前湯」(竹田市直入B&G海洋センター)が九州初の温泉利用型健康増進施設として厚生労働省から認定された。

伊藤病院内の浴室。もちろん源泉かけ流し

伊藤病院でも院内に温泉入浴施設を儲け、長年温泉療法に取り組んでいる。特に心臓など循環器系の病気や糖尿病の患者の信頼が厚く、遠く東北地方から拡張型心筋症という難病の治療に訪れる患者もいるという。

だが、「しかし」と伊藤院長は言う。

「温浴療法を始めて10日から2週間もすると、確実に心肺機能が改善したり、血糖値が下がったりします。ですが、自宅に戻ってしばらくするとやっぱり……」

昔から湯治は「七日一回り、三回りを要す」と言われる。7日を1セットとし、それを3回繰り返すことが良いという。どんなに健康的なライフスタイルでも、長期間持続させなければ意味がないのである。

とはいえ簡単に3週間も休暇を取ったり、移住したり出来るはずがない。そこで竹田市が考えたのは、働きながら長期滞在してもらうワーケーションの推進だ。その受け皿として、2019に地方創生拠点整備交付金を活用した温浴療法複合施設「クアパーク長湯」をオープンさせる。

温泉療養先進国ドイツのクアハウスを参考にしたこの長期滞在向けの施設では、歩行浴や湯中運動浴槽を活用したメタボ解消、転倒予防など様々なプログラムを提供している(※コロナ禍のため一部休止しています)。宿泊棟やレストランも完備。同市内の「御前湯」と同じく、厚生労働省の温泉利用型健康増進施設に認定されている。

記者も実際に「クアパーク長湯」に宿泊してみた。建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を受賞した建築家・坂茂氏が設計した建物はモダンでありながら周りの自然に調和しており、目からも癒やしを与えてくれる。

木を基調とした落ち着いた外観
歩行湯はさまざまな深さ、凹凸があり良い運動になる。大浴場のほか、ジャグジー風呂など大小複数の浴場と、もちろんサウナもあり
消毒や循環ろ過、入浴剤の投与は行われていない
使われているのは全て天然温泉

コテージ風の宿泊棟はすべて部屋が独立しており、プライバシーが確保されている。室内装飾や設備はシンプルで居心地が良く、Wi-Fiはもちろん完備されている。収納型の広々としたデスクは非常に使い勝手が良い。

仕事に疲れたら気分転換をかねて温浴施設へ。宿泊棟から直接「歩行湯」に入れるなど、文字通り温泉との距離が近い。これならいつでも気兼ねなく温泉を利用できる(歩行湯などがある1階は水着着用)。川に面した露天風呂から外の景色を眺めれば、まさに心も青空、と仕事も捗る。夜は併設のレストランで、地元の食材をふんだんに使ったコースディナーに舌鼓。アルコール類も用意してある。もちろん地元で買って来たものを自室で食べても良い(ただし自炊設備はない)。

部屋風呂には長湯温泉と同じ成分の重炭酸泉タブレットがアメニティとして常備されているので、24時間炭酸泉欲が楽しめる。これは販売もしているので、買って帰れば自宅で湯治を続けることが可能だ。

芹川を眺める、開放的な露天風呂
部屋には半露天風呂が。アメニティの重炭酸タブレットは長湯温泉と同じ泉質

昔ながらの湯治が持つ古めかしさは無く、医療的な堅苦しさも無い。カジュアルに温泉を楽しみながら、日々の仕事もこなしていく、これが現代版湯治のスタイルだ。(※疾患等のある方は利用前に医師にご相談下さい)

「私は長湯温泉を、都会で働く人たちの『セカンドホームタウン』にしたいんです。普段は忙しく仕事をしているけれど、週末はこちらにやって来てのんびり過ごす。そうすれば温泉の効果とあいまって、より健康に過ごせるはず。今はコロナ禍で働き方も見直されています。そういうライフスタイルに価値を見出す人は、これからもっと増えてくるのではないでしょうか」

持続可能な社会のためには、まず自分が持続可能であること。そのためのライフスタイルを、コロナ禍と長湯温泉が教えてくれた気がした。

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