走っていた姿は誰も知らない、人を運ばなかった蒸気機関車

鉄工場の人だけが知ってる、時刻表にもネットにも出てない鉄道がある。しかも毎日、昼夜を問わず走ってると思ったら……ちょっと興奮する。

そんな列車は、千葉県千葉市中央区川崎町でも実際に走ってる。

Googleマップで「千葉県千葉市中央区川崎町」と入力し検索すると、赤枠で囲われて表示されるエリア。ここが、1953(昭和28)年に稼働した川崎製鉄 千葉工場をルーツとする、現在のJFEスチール東日本製鉄所。

千葉なのに川崎町と地名がつくのは、この川崎製鉄が由来。しかも、神奈川県川崎市の川崎ではなく、東京と神戸に本社を置く川崎重工業をルーツとする川崎。

千葉市中央区川崎町をGoogleマップでみて、そのJFEスチール東日本製鉄所内に寄ってみると、あちこちにレールが敷かれているのがわかる。よくみると、ディーゼル機関車と貨車の姿もみえる。

この蒸気機関車も、川崎町を走ってた

この蒸気機関車は、川崎製鉄 千葉工場を走っていた NUS7 という形式名の3軸小型タンク蒸気機関車。自動連結器の下にピン式連結器もある。

川崎重工 兵庫工場で1953(昭和28)年につくられ、おそらく千葉まで船で渡ったか。

いまはこうして、JR京葉線 稲毛海岸駅の北側にある稲岸公園に置いてある。

鉄工場で資材を運んだ小さな蒸気機関車は、現役時代に人を運ばなかったのに、いまこうして子どもたちを乗せて、沈黙を貫いている。

「この蒸気機関車は、昭和28年4月から昭和43年5月まで川崎製鉄千葉製鉄所において資材原材料等の運搬に使用されておりました。しかし、ディーゼル機関の発達にともない蒸気機関車は使われなくなり千葉市に寄贈され当公園に置かれたものです」(昭和52年9月 千葉市)

川崎製鉄 千葉工場の稼働と同じ時期に工場内に運ばれ、工場と同じように火が入り、煙を吐いていた……。

「川崎製鉄 千葉工場 高度経済成長を支えた鉄鋼需要」という題の、世界銀行東京事務所ホームページに、開業直後当時の千葉工場のモノクロ画像が掲載されている。そこにも、工場内に敷かれた線路が映ってる。

3軸の小型蒸気機関車 NUS7 が、このモノクロ画像のなかの線路のうえを走っていたころを想像する。いまその身体によじのぼって遊ぶ子どもたちの姿をぼーっとながめながら……。

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