バンドブームの集大成「いかすバンド天国」は音楽の多様性を示してくれた 1989年 2月11日 TBS系音楽オーディション番組「三宅裕司のいかすバンド天国」の放送が始まった日

バンドブームの流れから必然的にスタートした「いかすバンド天国」

80年代の半ばから巻き起こったインディーズを主体としたバンドブームはストリートから生まれた。そして、雑誌『宝島』により、このブームにさらに拍車がかかる。

その渦中からシーンに浮上したザ・ブルーハーツがメジャーデビューしたのが1987年。一過性のものかと思われたこのムーブメントは、様々な事象が重なり合い深化してゆく。そして、パンクロックが基盤となったこのバンドブームは流行の音とくくられるものではなく、様々なスタイルの音楽を世に放つことになる。

1989年2月11日。

このムーブメントの流れから必然のごとく TBS系列でスタートした深夜番組が『三宅裕司のいかすバンド天国』(以下、イカ天)だ。

新しい時代の流れを作ろうという志を体感できたイカ天の収録現場

番組がスタートした直後、僕は当時編集に携わっていた情報誌の仕事で、『イカ天』の収録スタジオに取材に出向いたことがあった。収録場所は、日比谷シャンテTBSスタジオ。もう30年も前のことなので、記憶が曖昧な部分もあるが、真夜中にもかかわらずすごい熱気だったことを覚えている。出演者、スタッフ、エントリーされているバンド、すべての人々が時代のエナジーに包みこまれていた。そして、新しい時代の流れを作っていこうという志を十二分に体感できた。

オンエア終了後、司会の三宅裕司さんとアシスタントの相原勇さんにお話を伺うことができた。相原さんは番組のイメージそのままに元気いっぱい。終始笑顔を絶やさずに、細かい質問にも嫌がらず、一言一言、丁寧に答えてくれた。

三宅さんは、番組で見せるような笑いは一切なく、「一を聞いて十を知る」という言葉のように、僕の拙い質問からも、その先に求めていた答えまで導き出し、完璧に答えてくれた。非常に頭の良い人だなと思った。その時三宅さんは、60年代の GSブームを引き合いに出してこの番組の理念を語ってくれた。

イカ天に踏襲された「勝ち抜きエレキ合戦」のスタイル

『イカ天』のスタートから遡ること24年前、1965年にフジテレビで『勝ち抜きエレキ合戦』なる番組がスタートしている。当時のエレキブームにあやかり、毎回5組のアマチュアバンドが登場し、審査員の採点により、チャンピオンの座を競うという内容。つまり、イカ天はこの番組のスタイルを踏襲して制作されている。

また『勝ち抜きエレキ合戦』がスタートした時期は、GSブームより少し前になる。ザ・ベンチャーズによるエレキブームの真っ只中、『イカ天』の頃より音楽の選択の幅が圧倒的に狭かった時代である。

しかし、89年は違った。80年代初頭にミュージックビデオが普及、先に述べたバンドブームなど、様々な要因から音楽ファンが多岐にわたるジャンルに触れることができる状況にあり、『イカ天』には様々なスタイルのバンドが登場した。「古い」「新しい」という意識ではなく、この番組に出演するアマチュアバンドこそが最新型なのだ! 彼らはそういう圧倒的な存在感を放っていた。

つまり、流行で音楽を語るのではなく、80年代の成熟した音楽市場の最先端にどんなバンドがいたかを明確に示し、その集大成を見せてくれたのが『イカ天』だったのである。

すべてが規格外! ブランキー・ジェット・シティ衝撃の登場

初代イカ天キングのFLYING KIDSからソウルミュージックの素晴らしさを知り、たまや人間椅子から異形の美学を知った。後にタランティーノ監督の『キル・ビル』に出演した日本ガレージバンドの重鎮、The 5.6.7.8’s(ザ・ファイブ・シックス・セブン・エイツ)は収録時バイクに乗って登場し、ベストプレイヤー賞を受賞した。

このようにイカ天から得た衝撃は枚挙に暇がない。そして、土曜の深夜に様々な音楽に触れる中、もっとも衝撃的だったのが、ブランキ―・ジェット・シティだ。上半身裸でストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーと同じグレッチのギター、メンバーの腕に刻まれたタトゥー。長髪にバンダナを巻いたチーマースタイルも含め、すべてが規格外だった。

普段、テレビでは決して感じることのできないヒリヒリとした危険な匂いがブラウン管からリアルに伝わってくる。孤高の3ピースの熱を粗削りながら十分に体感できた。80年代の集大成であり、新たな90年代の幕開けを示唆するバンドの登場。まさしく時代が変わる瞬間だった。

『イカ天』は時代のもっとも鋭角的な部分を抽出し、視聴者に大きなインパクトを与えた。つまり、これは単なる音楽番組ではなく、偽りのないストリートの最先端を映し出したドキュメントであったのだ。

そして80年代のバンドブームが単なる流行ではなく、その音楽の多様性から90年代へと続く大きな礎になったということをこの番組は僕に教えてくれた。そして、そこには時代が世紀末へと向かう中、目に見えない危険性をも孕んでいた。

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※2018年2月11日、2020年2月11日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 本田隆

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