「中森ならプロに行ける」 ロッテドラ2右腕、先輩との約束果たし挑む一流への道

ブルペン投球を行ったロッテ・中森俊介【写真提供:千葉ロッテマリーンズ】

ドラフト2位ルーキー中森、9日にはキャンプ初となるブルペン入り

沖縄・石垣島でのキャンプ第2クールを終えたロッテのドラフト2位ルーキー、中森俊介投手は「毎日内容の濃い練習をできていますし、とても充実した日々を送らせていただいています」と振り返る。キャンプでは昨年の佐々木朗希投手と同じく、まずはプロの世界で戦える体作りをテーマに、トレーニングを中心に取り組んでいる。【上野明洸】

9日にはキャンプ初となるブルペン入り。投球前には美馬学投手や益田直也投手らのピッチングも目の当たりにした。一流クラスの投手が投げ込む軌道に「コントロールが安定していて、球威のある球を投げてましたし、リリースからミットに収まるラインができていた」と、レベルの高さ実感。

ブルペンでは立ち投げで21球を投じた。「少し力んでしまった部分もあったんですけど、いい回転の球もあったり、反省するべき課題とかも見つかったので、これからもっと成長できるように上を目指してやっていきたいなと思います」と振り返った。

昨年12月の新入団会見で、夢は「160キロ!」とボードに書き込んでいたが、球速だけでなく制球力の向上も必要だと分析している。

「プロの世界には何人も自分より速いピッチャーはいますし、自分がプロの世界で生きていく上では、コントロール、球威、変化球とのコンビネーション、緩急をつけたピッチングっていうのが大切になってくると思う」

いつも以上の力を発揮させてくれた、甲子園という大舞台

甲子園をなしに中森は語れない。1年夏に甲子園初登板を果たすと、2年時にはエースとして明石商を選抜ベスト4に導き、オリックスから3位指名を受けた来田涼斗外野手と共に、一躍注目を浴びた。

同年夏の甲子園の準々決勝の八戸学院光星戦では2年生として歴代2位の151キロをマークする。練習試合や地方大会では1度も出すことができなかった球速を甲子園の舞台で記録した。

「甲子園では凄い応援があったりとか、観客の皆さんがいて興奮しました。いつも以上の力が発揮できたので、応援の力っていうのは凄いなと思います。自分が大舞台に強いかはわからないですけど……」と笑みを浮かべながら謙遜する姿はなんとも初々しかった。

3年夏の交流試合では2失点完投も課題は残った。「ここで決めに行きたいなっていうボールが引っかかったり……。交流試合から反省点が見つかった。コントロールには自信がないんで。高めていけたらなと思います」と、上の舞台で活躍するため必要なことを再認識する貴重な機会となった。甲子園という舞台はまた、彼に成長のチャンスを与えてくれた。

教育実習で母校に帰ってきたドラ1右腕に刺激

これまで意識してきた投手の1人に同校OBの西武・松本航投手の名前を挙げる。高校1年の時に、教育実習のため母校に帰ってきた当時大学4年の松本の投球を後ろから見学する機会があった。

「真っすぐがとてもきれいで、迫ってくるような球威でした。自分もそういう真っすぐを投げられたらなと憧れました。間近に自分の高校からプロ野球選手が出てるというのはとても親近感が湧きました。自分がプロ野球選手になりたいなという思いは強くなりましたし、松本航さんの存在というは大きかったなと思います」

中学時代に141キロだった球速は、高校での練習を積み重ね10キロアップ。「まじめに、コツコツと練習を積んで努力していけば、中森ならプロに行けるから」という先輩の言葉を励みに、練習に取り組んできた。

そしてようやく憧れの先輩と同じ舞台に立とうとしている。「15勝というのを目標に掲げているので、まずは1勝して、それを積み重ねられるように」。今度はZOZOマリンの1軍マウンドで、ロッテの応援団を背に、躍動する姿を思い描いている。

○中森俊介(なかもり・しゅんすけ)2002年5月29日、兵庫県丹波篠山市生まれ。18歳。小学2年時に野球を始める。中学では軟式野球部に所属。引退後の7月からは三田ボーイズに入部。明石商では1年春からベンチ入りし同年の夏の甲子園では初戦の八戸学院光星戦に3番手で登板するも敗退。2年春の選抜では準々決勝の智弁和歌山戦で161球完投勝利を挙げるなど、ベスト4進出。同年夏の甲子園でも151キロを計測するなど同校を春夏連続ベスト4に導いた。2020年のドラフトで2位指名を受け入団。182センチ、86キロ。

【動画】中森俊介の初ブルペンの映像

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(上野明洸 / Akihiro Ueno)

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