野獣・藤田和之が激白!“霊長類ヒト科最強”ケアーを撃破して初めて猪木に褒められた

難敵ケアーを絞め上げて勝った一戦のインパクトは大きかった

【The インタビュー~本音を激白~(10)】野獣が明かした“熱い戦い”の舞台裏とは――。2000年から総合格闘技(MMA)にも参戦している“野獣”藤田和之(50)は、デビューとなった00年1月30日のハンス・ナイマン(享年55=オランダ)戦をはじめ、これまで総合格闘技界に名を残す数々のファイターと激闘を繰り広げてきた。連載「The インタビュー」第10回では、米国での地下格闘技参戦や師匠のアントニオ猪木氏との関係などを注目試合とともに振り返った。

――MMA初戦となったPRIDEでのナイマン戦はどんな準備を

藤田 この時は米シアトルのモーリス・スミスのところで練習させてもらいました。まだプロレスデビューから約3年とはいえ(攻撃を)受けちゃう癖とか直すべきところがあった。目と目を合わせないといけないのがプロレスなら、目と目を合わせちゃいけないのが格闘技。そういうところから入っていった。

――試合は1R2分48秒、袈裟固めで勝利

藤田 俺の試合の話は、大体セコンドの方が面白いんですよ。この時はジェラルド・ゴルドーで「オランダの選手は何してくるか分からないから、なんかあったら俺がヤってやる」って言ってました。そんなオランダ人、お前だけだろって話だけどね。セコンドというより用心棒でしたね。当時はまだそういう「なんでもあり」の雰囲気が残ってました。

――PRIDE2戦目は2000年5月1日、1R15分判定勝ちで“出世作”となったマーク・ケアー(米国)戦だ

藤田 実はその前に2試合やってるんですよ。っていうのは(トレーナーについた元UFC王者の)ドン・フライが「試合の前に実戦で練習した方がいい」って言いだし、アリゾナの地下格闘技みたいなのに出たから。

――当時、本紙も報じた

藤田 なんか、バーみたいなところで。コッソリだから「サイトー(SAITO)」っていう名前でエントリーしましたよ(笑い)。行ったらフライに「2試合組んだから」って言われて。相手? 向こうの軍人系とか言ってたような…。勝ったけど報酬はチーズバーガーとポテトとコーラだった。「これじゃあハッピーセットじゃねえか」って話ですけど。ガッハッハ(笑い)。でも経験値という意味では、あのタイミングで試合ができて良かったです。

――当時“霊長類ヒト科最強”と言われたケアーに挑んだ心境は

藤田 恐怖心はありますよ。だけど大勝負だったんで。やらないと上がれないですから。俺は(プロレスに)入るのが遅かったし「どうにかして上に行きたい、稼ぎたい」っていうのがあったから。あとはこの時からなんですよね、(師匠のアントニオ)猪木さんのテーマ曲「炎のファイター」のオーケストラバージョンをいただいたのが。だから、ただじゃ終われないっていうのも。しばらくはこの曲が鳴った途端に嗚咽してました。

――勝利後の猪木さんの反応は

藤田「よくやった。お疲れさま」って。猪木さんからそういうふうに言っていただいたのは初めてで「これはもう、これで良かったんだな」って思いましたね。

――勝って価値を上げたのがケアー戦なら、負けてインパクトを与えたのは01年8月19日のミルコ・クロコップ(クロアチア)戦。タックルに入ったところにヒザ蹴りを合わせられて1R39秒、ドクターストップだった

藤田 いまだにいろんな人から「あれが格闘技界の分岐点になった」って言われますね(苦笑い)。後日、ミルコのコーチだったマルコ・ファスに聞いたんだけど「タックルにヒザを合わせる練習をずっとしていたんだよ」って。そこへ何回もタックル入ったらそりゃタイミングも合うって話ですよ。4回目か5回目のタックルにバチーン!と。それまで立ち技の選手は「押さえ込まれたら何にもできない」ってなっていたのが、あれから「そっか、来たら蹴りゃいいのか」って変わりましたよね。

――ちなみに藤田選手自身の中で、楽しめた試合はあるのか

藤田(03年6月8日のエメリヤーエンコ)ヒョードル(ロシア)戦ですね。あれは面白かった。ジェットコースターが好きな人っているじゃないですか。スリルを求めて。その感覚に近いのかもしれない。後にも先にも唯一、そういう感覚になりましたね。ドキドキした。

――1R4分17秒、チョークスリーパーで負けたものの、右のフックでグラつかせるなどチャンスもあった

藤田 ヒョードルは最初に必ず腕を振りながら一発大きいのを入れて、そこから攻撃が始まるので、そこに合わせる練習をひたすらしていたんです。(セコンドの)高橋義生さんに言われて。で、試合で「いつ来るんだろう、いつ来るんだろう、来るぞ、来るぞ、来る、来たー!(殴るしぐさ)」って、そのパターンはハマった。けど、その後の練習をしてなかったんだよなあ…(笑い)。あれで「追い詰めた」ってよく言われることもありますけど、結局負けましたから。でもとにかく、あの試合は楽しかった!

☆ふじた・かずゆき 1970年10月16日生まれ。千葉・船橋市出身。幼少からレスリングを始め、日大在学中に89年から全日本学生選手権を4連覇。卒業後は新日本プロレス職員として全日本選手権を2度制覇した。96年11月1日に永田裕志戦でプロレスデビュー。IWGPヘビー級王座を3度獲得し、2000年1月4日の東京ドーム大会を最後に新日本を退団した。その後はプロレス、格闘技を問わずにリングに上がり続けている。格闘技戦の戦績は32戦18勝14敗。趣味は子育てと釣り。182センチ、120キロ。

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