クラブW杯でパルメイラスが敗退 想像以上に低下している南米のレベル

ゴールを決め喜ぶ新潟時代のホニ

 ロンドンのグレート・クイーン街。この通りにある「フリーメーソンズ・タバーン」というパブで、世界初のフットボール協会(The FA=The Football Association)は結成された。1863年10月26日のことだ。それ以来、産業革命の波にも乗って世界に普及した。広めたのは各国に派遣された技術者が多かったと言われている。

 技術的、戦術的に各国で独自の発展を遂げていくこととなったサッカー。その中で次第に一つの構図が出来上がるようになった。組織力を基盤にした「欧州」と、テクニックを前面に押し出した「南米」という二大勢力による対決という構図だ。

 国連加盟国より多い211の国と地域が会員となっている国際サッカー連盟(FIFA)。そのような世界的広がりがありながらも、サッカーはついこの前までは欧州と南米のものだった。現在でこそ、各大陸の王者が参加して世界一のクラブチームが決定するのが当たり前になった。しかし、21世紀に入ったばかりの2002年までは、欧州チャンピオンズリーグの勝者と南米クラブ王者の間で争われるトヨタ・カップが世界最強のクラブを決める大会だったことがそれを示している。

 欧州と南米の普遍的と思われたライバル関係。ワールドカップ(W杯)に代表されるような国同士の戦いの場合、それは維持されている。しかし、これがクラブチームのレベルになると、すでに競争にならないほどの実力の差がついてしまったようだ。

 カタールで開催のクラブW杯。2月7日の準決勝で、南米王者のパルメイラス(ブラジル)が、北中米カリブ海王者のティグレス(メキシコ)に0-1で敗れ去った。あまりにもあっけない敗戦だった。

 確かにサントスとの南米クラブ王者を決めるリベルタドーレス杯決勝を戦ったのが1月30日。それから1週間余りでカタールでの試合に臨んだのだからコンディション面で問題はあったのかもしれない。

移動には12時間ほどかかる。それでも内容でもティグレスに見劣りした事を考えると、王国ブラジルのチームとはいえ、かつてのような輝きはないのかもしれない。

 「ブラジルではクラブ世界一のタイトルは、ヨーロッパの人が考える以上に重要なんだ」

 リバプールのメンバーとして2019年のクラブ世界一に輝いたGKアリソン。ブラジル代表の名手は、以前こう話していた。それを考えれば、パルメイラスがこの大会に懸けていたことは間違いないだろう。それでも見せ場がなく終わったことを考えれば、クラブレベルでのブラジルのサッカー、そして南米勢の競争力がかなり低下しているのではないだろうか。

 ホームアンドアウェーのインターコンチネンタルカップを引き継ぎ、1980年から一発勝負として日本で開催されたトヨタ・カップ。2002年まで23回行われた大会は欧州勢の12勝に対し南米勢は11勝とほぼ互角だった。それがクラブW杯としてFIFAが主催するようになった2005年以降、前回まで欧州勢の12回優勝に対し、南米勢はブラジルの3チームがタイトルを取った3回のみ。クラブレベルでは、欧州勢が圧倒的強さを見せるようになった。

 大きな転機となったのは1995年12月に欧州司法裁判所で出されたボスマン判決だ。欧州連合(EU)に加盟する国の国籍を持つサッカー選手は、EU圏の他クラブへの自由な移籍が保証された。これにより、資金のあるクラブはEU選抜のような豪華な顔ぶれのチームを編成することが可能になった。

 一方、南米側から見ると才能ある若手を発掘しても欧州のクラブに青田刈りされるケースが多くなった。南米選手のルーツを遡ってEUのパスポートを獲得させる。本来のEUの選手に加え南米出身の選手もEU枠に取り込むことで、レアル・マドリードやバルセロナ、リバプールやバイエルン・ミュンヘンなど世界選抜のようなチームが出現するようになった。

 欧州勢は圧倒的な競争力を蓄え続けているのに、南米勢の才能ある選手は早くに欧州に渡る。南米勢のレベルが低下するのは、ある程度予測できることだった。かつてサントスでクラブW杯に来日したネイマールのような強烈なタレントは、近年の南米ではほぼ見られない。そして今回、パルメイラスの攻撃の主力はアルビレックス新潟にいたホニだ。

 J1では32試合に出場して7得点。ブラジルに帰国してから間違いなく成長したのだろう。今回のリベルタドーレス杯でも何度もゴールを挙げている。ただ、まだ25歳。本当に優れた選手であるのなら既に欧州から声が掛かっているだろう。

 残念ながらクラブレベルを考えれば、南米はサッカーの中心から外れつつあるのではないだろうか。それを考えれば、光の当たる舞台は欧州だ。世界のサッカー選手が欧州を目指すように、日本の若手選手に関しても、共通する目標なのではないだろうか。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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