「軽い風邪」から一転「陽性」 原因不明のまま過ごした12日間 長崎の40代会社員

新型コロナ感染が判明したのは、軽い風邪の症状が出てから12日後のことだった(写真はイメージ)

 昨年の秋ごろ、長崎県内の会社に勤める龍一(仮名、40代)は朝から微熱が出た。季節の変わり目で前日の夕方は肌寒かったのを覚えている。「市販の薬で大丈夫だろう」。そう思った。県内で新型コロナウイルスの感染「第2波」は峠を越していた。ただ、全国的にはまん延状態。体調が悪ければ早めに休むよう会社に言われていたので、仕事帰りに近くの病院を受診した。
 酒は飲まないし、たばこも吸わない。県外への移動はなく、密になる場所はなるべく避け、感染対策には気を付けていた。「コロナの可能性は低い。風邪の対応で様子を見ましょう」。日常生活を一通り聞き取った医者もそう判断した。
 コロナの特徴的な症状といわれる味覚や嗅覚の異常はなかった。だが、容体は悪化するばかりで、処方された薬では一時的にしか熱は下がらない。大事を取ってしばらく会社を休んだ。
 ひどいときは熱が40度まで上がり、1日に2時間程度しか眠れない日々が数日続いた。食欲もなく脱水状態。体重は約7キロ減った。スポーツドリンクなどを飲んで何とかしのいでいたが、原因不明のまま。医者から別の病院を紹介してもらうことになった。
 紹介先の病院へ行く前に、保健所の指導でドライブスルー方式のPCR検査を受けることになった。熱が下がらず体がきつかったので、タクシーで行っていいか保健所に尋ねたが、自分の車で行くよう指示された。車は知人に頼み込んで運転してもらった。検査結果は陰性だった。
 しかし翌日、紹介された病院では胸部コンピューター断層撮影(CT)で肺炎と判明。さらに抗原検査をして結果を待つ間、周りの医療従事者たちが急に防護服に着替え始めたので、不安はピークに達した。
 「陽性反応が出た」。医者から告げられ、感染症指定医療機関に救急搬送された。前日のPCR検査は陰性だっただけに想定外の出来事。スマートフォンと水筒、現金1万円しか持っていない状態で個室に隔離され、入院生活が始まった。
 再度PCR検査を受けて陽性が確定したのは、軽い風邪のような症状が出てから12日後のことだった。

◆感染経路不明のまま 後遺症への不安続く

 軽い風邪の症状から12日後に新型コロナウイルス感染が判明し、県内の感染症指定医療機関に入院した龍一(仮名、40代会社員)。肺炎と診断されたが、息苦しさはなかった。ただ、検査で血中酸素濃度が低いことが分かり、鼻に酸素を吸入するチューブを入れなければならなかった。中等症だった。

入院した感染症指定医療機関で処方された薬=県内(龍一さん提供)

 初日は意識がもうろうとする中、家族や仕事、職場のことが心配で眠れなかった。2日目の朝、保健所から電話で聞き取り調査があった。仕事のとき、昼ご飯はどこで、誰と、何を食べた? 1時間ほど、根掘り葉掘り聴かれた。高熱に加え、声がかすれてうまく話せない。行動歴を詳しく明かすのは不安だったが、過去2週間を振り返ることができて、気持ち的にはすっきりした面もあった。公表されることで風評被害が出ないかだけは気になった。
 3日目までは高熱の影響で夜中に大量の汗をかいた。何度もナースコールのボタンを押し、「申し訳ないぐらい看護師を呼び出してしまった」。4日目以降は処方された薬が効き、症状は落ち着き、食欲も戻った。入院生活は8日間続き、1日3度の食事が唯一の楽しみだった。
 幸い自分の接触者や同居家族は全て陰性。それでも家族は2週間、自宅待機となり、精神的に参っているようだった。家族の買い出しは知人や親族に頼んだ。「(入院中で)回復もしていないし、どうしようもできない」。もどかしかった。退院前、当時の肺の画像を見せてもらった。コロナ特有の「すりガラス状」の影があり、真っ白だった。
 感染経路は今でも分からない。ただ、仕事で関東圏から来た人と終日行動する機会はあった。思い当たるのはそれぐらいしかない。風邪だと思っていたが、「すぐに感染が判明していれば、こんなに長い期間苦しまなくてもよかった」と思う。でも医療関係者にはしっかりと対応してもらい本当に感謝している。「東京のような大都市だったら、きちんと治療を受けられたかさえ分からない」
 最近は後遺症のニュースも目にするようになった。情報が少ない中、「疲れや体調の変化が少しでもあれば後遺症かもしれない」と疑う自分がいる。仕事に復帰した今でも見えない不安は付きまとっている。=文中敬称略=

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