太平洋の島国、フィジーで人気のスポーツと言えばラグビーだ。「大柄な体形や強靱な体力が向いているため」(同国ラグビー協会幹部)で、幼少時から楕円球に親しむ人が多く「放課後には校庭や路上など街の至るところで子どもがラグビーに興じている」(同)というほどだ。2016年のリオデジャネイロ五輪では7人制ラグビーがフィジーに初めて金メダルをもたらし、「国技」とも言われる。19年のラグビー・ワールドカップ(W杯)日本代表で主将を務めたリーチ・マイケル選手の母の故郷があることでも知られる。そんな「ラグビー大国」フィジーで、野球の普及に向け日本人が奮闘している。フィジー野球・ソフトボール協会会長持田貴雄(44)=川崎市出身=だ。ラグビーが嫌いだったり、得意でなかったりする少年らに野球の魅力や楽しさを伝えながら、将来、南太平洋地域で最強豪国になるのが目標だ。(共同通信=板井和也)
▽ボランティアで代表チーム指導
2000年のシドニー五輪後、オーストラリアがパイロット事業として南太平洋地域で野球紹介に乗り出し、フィジーにも伝わった。中高時代を野球部で過ごした持田さんは在フィジー日本大使館の専門調査員として赴任した07年からボランティアコーチとして代表チームへの指導を始めた。
11年には青年海外協力隊の野球隊員も指導に加わり代表を強化。同年ニューカレドニアで開かれた地域の大会で、フィジーは優勝した北マリアナ諸島を相手に大接戦を演じる健闘を見せたが、その後、目標を見失い、活動は停滞してしまった。
持田さんも仕事の都合でこの年にフィジーを離れた。しかし別の開発援助関連の仕事を得て18年末に再び赴任。今度は協会会長として、指導対象を大人から中高生以下中心に変え、将来の代表候補育成に励んでいる。
だが、フィジーではまだまだ野球の知名度が低いのが悩みだ。「ラグビーをトップレベルでやっているような子たちが来てくれればフィジー野球は強くなり、ドミニカ共和国のような強豪国になれる可能性がある」と言うが、身体能力の高い子はおのずとラグビーへ。親たちも野球よりラグビーをやらせたがる。そもそも「(フィジーのような英連邦で人気のある)クリケットに似たスポーツ」と説明してやっと理解してもらえることもあるという。
▽あっさり取り壊された野球場
ただ、あまりにラグビーのレベルが高い国だけに選別が厳しい。強豪校に進学するなどしないと、サクセスストーリーに乗れないのが現状だ。持田さんは「ラグビーができないからといって否定されるのは気の毒。野球がそういう子たちの受け皿になれれば」と話す。何かに熱中することで自信を付けてほしいと、貧困層の子たちも積極的に引き入れる。「島国の人たちの気質なのか、どうもすぐにあきらめてしまいがち。何かに一生懸命取り組めば、それ自体は報われなかったとしても、何か得られるものがあるはず。頑張った先にある新しい景色を見てほしい」と力を込める。
島にない野球道具は歴代の協力隊員らの支援でそろった。新型コロナウイルス禍が落ち着き、首都スバで週3日ほど練習を行うが「以前あった野球場はあっさり取り壊されてしまった。今は専用球場はなく、ラグビーチームが使っていない日のグラウンドやでこぼこの空き地でせざるを得ない。野球場の再建が悲願」とこぼす。毎週参加するのは15人程度だ。
「まだまだ技術が低いのでキャッチボールをしっかりするとか基本を重視している」と持田さん。一方で「時間通りに来られない場合は事前に連絡をするとか、道具を粗末にせず大切に扱うとか、キャッチボールの時は相手にきちんと礼をする」など日本的な道徳要素も指導。「人間性も身につける機会にしてほしい」と話す。
▽32―0の大敗
19年には台湾で開催された世界野球ソフトボール連盟主催のU―12(12歳以下)ワールドカップ(W杯)に招待された。優勝した台湾に32―0、2位だった日本に30―0で大敗を喫するなど8戦全敗。持田さんは「他の出場国とあまりに実力の差があるため、結果は事前に見えていて、参加しない方がいいのかなとも思った」と言うが、「実際に現地で肌で感じてみないと分からないこともあったし、行って正解だった。世界最高レベルを体験させてもらい、財産になった」と振り返る。
この大会で悔しい思いをし、雪辱に燃える少年数人が今も熱心に練習しており、将来、代表選手としてけん引役となることを期待する。
11年の大会に代表選手として参加し、指導者となった協会事務局長イノケ・ニウバラブさん(37)は「これまで浮き沈みもあり、資金面で大変なこともあったが、持田さんや日本人社会の支援でここまでやってきた。1年ごとに目標を定めて達成していけば、将来は有望だと思う。自分もフィジー野球が続いていくよう一層の貢献をしていく」と自信を見せた。