「制服着ない自由、認めて」中1生徒の訴え コロナ禍で、私服選択に広がりも

 「服装は自分で決めたい」。福岡県の公立中学1年の男子生徒(13)は学校から画一的な制服を強いられることに苦痛を感じ、教育委員会や学校に申し入れてきた。近年は生徒の自主性や性の多様性に配慮し、性別を問わずスカートやズボンを選べる学校も増えた。新型コロナウイルス禍で、洗濯しやすい私服での登校を認めた学校もある。1月末には現役教諭も声を上げ、制服か私服か選べるようにしてほしいとオンライン署名を始めた。(共同通信=小川美沙)

署名サイト「Change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」で1月末に始まった制服の自由化を求めるキャンペーン

 ▽「間違ってないよね?」

 真っ黒で、威圧的。男子生徒は入学前から制服の学ランを着たくないと思っていた。兄のお下がりにも袖を通してみたが、生地が硬くて着づらい。なかなか洗えないことも、「みんな同じ服」を押し付けられるのも嫌だった。でも、友達が制服を着る自由を否定したいわけではない。「人それぞれの選択だから」。尊重したいと思っている。

 「今年から中学に通う僕の意見を聞いてください」。なぜ制服を着たくないかを教育委員会と中学に伝え、私服登校は許可された。コロナ禍で昨年5月下旬になった登校初日、ダークグレーのニットにカーキのパンツ、小学生のころから使っているリュック姿で向かうと、直接教室に入らずに、会議室に立ち寄るように言われ、指導を受けたという。

 さらに衝撃を受けたのは、放課後に担任に言われた一言だ。「法律に人を殺してはいけないって書いてないけど、殺すと罰せられる。それに似てるかな」。極端なたとえを挙げ、暗に制服着用の校則に従うように促された。「先生、何言ってるの」。あまりにショックでぼうぜんとした。

 学校からは憲法記念日のころ、「基本的人権の尊重」について説明した学習プリントが届いたばかり。「自分らしく生きる権利」の大切さを説いていたはずなのに、服装の自由はここまで制限するのか。その夜、思い詰めた表情で母親に問うた。「俺、間違ってないよね?」 約1カ月間、学校に通えなくなった。

基本的人権について書かれたプリントを挟んだ手帳

 担任は後に発言を謝罪し、校長と教育委員会も取材に対し「不適切な例えだった」とする。校長によると、当初、男子生徒に会議室に立ち寄るようを求めたのは、校則を守っているほかの生徒が「なんであの子だけ?」と疑問視することを考えた上での対応で、「指導ではない」としている。

 教育委員会の担当者は「生徒にはルールを守ることも大事だと指導しなければいけない」とする一方で、多様な生徒にどう対応すべきか「学校も私たちも試行錯誤」だと打ち明ける。「(男子生徒の)問題提起を通し、制服とは、ルールとは何かを考え、議論することは教育的価値は高いと思っている」

 男子生徒は現在も私服登校している。TPOを考え、学年集会などがあるときには制服を着ることもある。基本的人権の尊重について書かれたプリントは、今も手帳に挟んで持ち歩いている。

 ▽選べない

 文部科学省によると、学校での生徒の服装について法律上の定めはなく、「制服」や実質的な制服にあたる「標準服」など服装に関するルールは校長に制定の権限があるとされる。近年、生徒の多様性や自主性に配慮して、ズボンやスカートの選択制の標準服にする学校が全国で増加。福岡市でも昨年春までに、全69市立中のうちほとんどの学校が導入した。

福岡市の市立中で導入された標準服=2019年10月、福岡市

 しかし、昨年12月に福岡県弁護士会の調査で明らかになったのは、計7割超の学校で生徒が自由に選べるようになっていない実態だ。24校が校則で明確に男女別の着方を定めていたほか、男子に見える人物がズボンを着たイラストを示すなど、事実上男女別を前提にしていたケースが26校あった。

 保護者らで作る市民グループ「福岡市の制服を考える会」に寄せられた声によると、教職員が「男子は選べない」と発言したケースや、男女別に標準服を販売している店の例もあったという。考える会は1月、市教委に要望書を提出。生徒の個性を尊重し、自分の意思で活動しやすい標準服を選べるよう、教職員らに指導を求めている。

福岡市教育委員会に要望書を提出した「福岡市の制服を考える会」メンバー(右)=1月(提供写真)

 ▽管理の象徴

 「多様性を尊重するといいながら、まだ社会が『男らしさ』『女らしさ』の押し付けをひきずっていることの表れでは」。選択制が保障されていないとみられる福岡市立中学の標準服の実態について、制服の歴史に詳しい京都華頂大の馬場まみ教授(服装史)はそう指摘する。

 馬場教授によると、服装の決まりは平安時代や江戸時代にも存在し、公家や武家などの身分、階級、性別などによって、着て良い服、色などが決められていた。

 学生服ができたのは明治時代以降だ。ルーツは詰め襟の軍服にある。1980年代以降、学ランから、生徒の声を取り入るなどしてブレザーを採用したり、色もカラフルにしたりするなど変化はみられるが「根本的には一つの価値観を共有し、管理の象徴であることには変わりはない」と説明する。

 言論や思想の自由と同じく、「何を着るかを決める自由は、生徒と保護者の大事な権利」だと訴える。ずっと気になっているのは、制服を着る理由を「楽だから」と答える生徒が多いこと。「考えなくていいから楽、ということでは。(自由に服装を選ぶことで)学校や社会のルールからはみ出したら怖い、ということの裏返し。そういう社会を大人が作っている」と指摘する。

 ▽現役教諭が署名

 岐阜県の教諭西村祐二さんが勤務する県立高校では昨夏ごろから、コロナ禍で洗濯しやすい私服での登校も選択できるようになった。現在、半数の生徒が制服ではなく、トレーナーなどリラックスした服装を選んでいる。「私服を許すと学校が荒れるのではという懸念もあるようだが、大きな変化はない。いつも通りだと思う」。県内ではほかの高校もコロナ禍以降、私服を認めたところがあるといい「図らずも、コロナ禍が制服やルールのあり方を考える機会になった」と説明する。

 かつて勤務していた高校では、頭髪や制服着用に関する厳しい校則があり、生徒に身だしなみ検査もしてきた。理不尽なルールや検査、繰り返しの指導は、生徒を苦しめるばかりか、教師をも追い詰めると指摘する。「教師の中にも本当はこんなことをしたくない、貴重な時間を生徒と良い関係を築くためや、授業のために使いたいと思っている人はたくさんいる」

 1月末、オンラインで署名活動を始めた(【令和の校則】制服を着ない自由はありますか)。制服を「標準服」とし、選択制にしようというものだ。17日までに18000人以上が署名した。

 コメント欄にも、様々な観点から意見が寄せられている。「制服は安価といっても数万円はするし、夏服は洗い替えも必要。自治体の経済的援助も十分ではない」として費用面から自由の保障を求める声や、「1人でも制服を着たくないという意見があれば、尊重すべきだ。制服にあこがれて入学した人もいるので選択制が良い」との意見も。現役教師という人からは「子どもたちや教員だけでなく、多くの人が学校のあり方を議論する土台にもなる」と賛同の声が上がった。

 西村さんは、3月にも文科省に提出する予定だという。「行き過ぎた指導で学校に行けなくなり、学びの機会を奪われている生徒もいる。学校と社会のつなぎ役である文科省は、制服や標準服の実態を調査し、より踏み込んだ対応をしてほしい」と願う。

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