FM横浜の開局と伊藤銀次の「POP FILE」竹田和夫が遠山金四郎に? 1986年 4月7日 FM横浜のラジオ番組「伊藤銀次のPOP FILE」の放送が始まった日

おかげさまで8年目!“帰ってきた” 伊藤銀次のPOP FILE

この原稿を書いている2021年1月31日現在、僕がパーソナリティーを務めるネット内ラジオ番組、『伊藤銀次のPOP FILE RETURNS』が、おかげさまで第356回を迎えた。なんと2013年の春から始まって今年で8年目に入ることに! ありがとう!!

地上波ではなかなかできないネットならではのコアでピュアな番組をめざしてきただけに、こうして熱心な音楽ファンの方たちの支持を受けてここまで続いてきたのはほんとに嬉しいかぎりなのだ。

さて、そんなリスナーのみなさんの中には、この番組のタイトルになぜ “RETURNS” がついてるのだろう… と不思議に思っている方もいらっしゃるのではないだろうか。和訳すると “帰ってきたPOP FILE”。実はかつて1980年代に『伊藤銀次のPOP FILE』というラジオ番組があったのだ。それが “帰ってきた” という意味がこのタイトルに実は秘かに込められていたのである。そこで今日は、その『POP FILE』のお話を。

FM横浜開局、1986年4月「ヨコハマ・ラジオ・ナイト」スタート

1970年代はまだAMラジオ全盛の時代で、FM局は愛知、大阪、東京、福岡の4局だけだったのだが、1980年代に入ると日本の各道府県にあいついでFM局が誕生してきた。その中にあって1985年12月に誕生したFM横浜(以下、F横)は、AMより音がいいという存在だったFMをさらにもっと聴きやすくしたポップなFM局だった。その後のJ-WAVEなどの雛形ともなった画期的なFM局だったのだ。

そのF横が1986年4月から『ヨコハマ・ラジオ・ナイト』という月曜から金曜の夜10時から10時50分の生放送の帯番組を始めることになり、その月曜日を担当してもらえないかと声をかけられたときはほんとにうれしかった。

それまでFM大阪で『コークサウンド・シャッフル』、そしてJFMネットワークで『FMナイトストリート』の2本のFM番組をやっていたけれど、忙しくなってもここは一番「この新風に乗らない手はないな!」と二つ返事で引き受けたのでした。

昔から横浜は港町とあってか、東京を通ってからではなく、ダイレクトに海外文化が受け入れられている独特な街だというイメージが僕にはあった。そこで僕が番組につけた名前が『伊藤銀次のPOP FILE』。ちょうどその頃、MTVなどのおかげで日本にも普及していたブリティッシュ・インヴェイジョンやアメリカンロックなどの最新の曲もかけつつ、70年代のソウルミュージックやポップスも惜しみなくご紹介していく… という僕の思いがこのタイトルにはこめられていたのである。

番組の目玉その1:リスナーとの電話コーナー

むだなおしゃべりは控えてとにかく少しでも多く曲を紹介したかったのだけど、決してマニアックな番組にだけはしたくなかったので、番組の目玉として2つの楽しい売りを考えた。

そのひとつは、曲が終わるといきなりリスナーとのお話が始まる電話コーナー。米軍放送のFENが大好きで70年代から80年代にかけてよく聞いたもの。

なかでも曲が終わるといきなり「ハロー」と始まるチャーリー・ツナやウルフマン・ジャックのリスナーとの会話がとても印象に残っていて、それをこのPOP FILEでもやってみたかったのだ。いきなり電話がかかってきてドキドキウキウキしてるリスナーの弾んだ声がさらに番組を身近にして盛り上げてくれたのだ。

番組の目玉その2:ゲストアーティストとのコント

もうひとつの売りは、ゲストにきてくださるアーティストと僕とのコント。もちろん、コントOKが出演の条件だったのだ。これは当時人気のあった「スネークマンショー」にヒントを得たもの。ディレクターだった斎藤茂さんのアイデアで、そのためにわざわざコント作家にネタを考えてもらっていました。

この番組でコントをやってくれたのは杉真理君、楠瀬誠志郎君、須藤薫さん、山下久美子さん、横山輝一君など。いやぁ、みなさんなかなかの役者でどの回もおもしろいコントになったのだけど、一番印象に残っているのは元ブルース・クリエイションの名ギタリスト、竹田和夫さん。

伊藤銀次に流れる、大滝詠一に通ずるナイアガラな音楽バラエティーの血

まさかと思っておそるおそるお願いしたらなんと、こころよく引き受けてくださった。しかもそのネタは名奉行遠山金四郎に扮した竹田さんがお白洲で僕が扮した大黒屋を裁き、もう1バージョンでは入れ替わって僕が金さんになって竹田さんの大黒屋を裁くというもの。

「そのほうか、隣の竹垣に竹立てかけた申すのは」

というセリフが2人とも言えなくて大爆笑でした。やはりどこか僕には大滝詠一さんに通ずるナイアガラな音楽バラエティーの血が流れているのでした。

この番組の記念すべき第1回は1986年4月7日。なんと山下久美子さん、ブラザー・トムさん、アン・ルイスさんから、開店祝いのお花の代わりの電話をいただいて華々しくスタートした。

番組は1987年の9月いっぱいまでほぼ1年半続いて、『ヨコハマ・ラジオ・ナイト』月曜日の担当はKATSUMI君にバトンタッチされたのでした。

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カタリベ: 伊藤銀次

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