医学部不正入試問う曲、未解読のメッセージ 35歳男性、つかんだ幸せと残る疑問

 2018年に発覚した医学部不正入試問題では、女子への差別に特に注目が集まった。「女子の方がコミュニケーション能力が高く、男子との差を補正するためだった」。順天堂大(東京)は当時の記者会見でこんなふうに釈明し、批判が相次いだ。元受験生らが大学側を訴えた裁判は今も続いている。

 ただ、同じ会見で、本来なら合格の男性1人を不合格にしていた事実が明かされたことはあまり知られていない。主な理由は年齢の高さ。同じように東京医科大にも不当に不合格とされていた。

 男性は現在35歳。西日本の大学医学部に通いながら昨年6月、Youtubeに楽曲を投稿した。

「ゴールテープごとずらされるなんて」

 女性差別がそうであるように、年齢差別もいかに理不尽か。実体験を紡いだ歌詞は聴く人の心を打ち、再生回数は100万回を突破した。

 昨年12月、男性が暮らす街を訪ね、じっくり話を聞いた。30歳で医学部を目指すことにした経緯や曲に盛り込んだ数々の仕掛け、歌詞に出てくる彼女との現在…。その一方で、文部科学省の医学部全国調査では不問とされた、ある国立大の入試に今も納得できない思いを抱いていることも明かした。 (共同通信=小田智博)

男性が制作し「ユーチューブ」で公開された「Sai no Kawara」の動画。窓の外は順天堂大がある東京・御茶ノ水の風景を描いた

 ▽実らない努力

 「Sai no Kawara」

 男性が「crystal―z」の活動名で制作した曲のタイトルだ。実らない努力だと知らされないまま、河原で石を積み上げるように勉強を続けた多くの受験生がいたことを伝えたかった。

 故郷の北海道から進学した東京の私立大法学部在学中にバンドを結成し、卒業後も都内でアルバイトをしながらプロを志した。売れなくても「世界で一番かっこいい」と思える音楽を目指したが、年齢を重ねるうちにメンバーが抜け、活動の先が見えづらくなった。

 30歳になった2015年夏、将来を模索する中で大学受験の模試を受けた。さび付いた頭で朝から必死に問題を解き、気付くと夕方。「こんなふうに夢中で過ごせたら幸せだな」。感性のみと向き合ってきたからこそ、客観的な点数で示される世界で勝負したいという思いが芽生えた。自分の関心と、人の役に立ちたいという両方の思いから、医師を目指すと決めた。

 午前8時から午後10時まで図書館で自習し、体力維持のため5キロを走る毎日。10年以上付き合う会社員の彼女(34)と晴れて一緒になる日を夢見て、志望校は首都圏に絞った。2年目には模試で「A判定」を取るまでになったが、それでも桜は咲かない。離れ離れの暮らしを覚悟で受験先を首都圏の外にも広げ、18年春に合格を勝ち取り、一人で飛行機に乗った。

 入学から数カ月後、授業中に携帯電話が鳴った。「実は合格していました」。東京医大だった。操作された得点を元に戻すと、特待生基準も満たしていた。順天堂大からも、本来なら合格と連絡が入った。

不正入試問題の発覚後、東京医科大と順天堂大から届いた書類を前に話す男性=2020年12月

 男性のような高年齢の受験生、そして女性を差別するといった不正入試の発覚は、世間でも大きな話題となった。ただ、年齢差別については、現役生らと比べて卒業後に医師として働ける期間が短いとして、「やむを得ない面がある」とささやかれることさえあった。

 男性は両大学との話し合いに臨んだ。印象に残るのは順天堂大とのやりとり。「不正入試」と口にした男性に、大学側は「『不正』ではない。『不適切』だ」と声を荒らげた。「虫けらのように思っているのか」。怒りを表現する手段として選んだのが、一度は距離を置いた音楽だった。

頭を下げる順天堂大学の新井一学長(手前)ら=2018年12月、東京都文京区

 ▽いくつもの「仕掛け」

 曲では、プロのミュージシャンを目指した男性が、医学部受験を決意し苦労の末に合格、彼女を残して旅立つまでが、穏やかな曲調に乗って描かれる。しかし曲の終わりにニュース音声が割り込み、男性が不正入試の被害者だったことが明らかになる。さらには不正判明後に男性が大学幹部とやりとりした際の音声も…。急展開によって聴く人に強い印象を与え、不正入試の罪深さを伝えられたらと考えた。

東京都新宿区の東京医科大=2018年7月

 入試問題と異なり、音楽に正解はない。何度も聴いてもらえるよう、いくつもの仕掛けを歌詞や動画に施した。

 「順調じゃなくていいから 天才じゃなくていいから 堂々巡り巡り 繰り返し 東京偉大なこの街」

 サビの部分をよく聴くと、2大学の名前が浮かび上がる。

 昨年6月にYoutubeに公開すると、称賛のコメントがあふれた。

 「私も入試の差別にあっていました。あなたの行動に心から救われています」。不正入試の被害者だという人からは、そんなメッセージが届いた。「動画の中にある(参考書の)青チャートが途中で(より難易度の高い)赤チャートに変わっている」「大学の建物の前に立ち入り禁止のコーンが小さく描かれている」…。コメント欄には、仕掛けを読み解こうとする人も集まった。ただ男性によると、まだ解読されていない仕掛けも多い。

 とりわけ見つけにくいのは何かと聞いてみた。「言えないものもあるが、言えるものだけ」。そう前置きした上で、作曲の際、特定の音域を強調したり抑えたりする「イコライザー」の機能を自身のラップの声にあえて使わず、フラットなままにしたことを明かした。特定の年齢層の点数を操作した不正に抗議する意味を込めたという。ただ、曲の最後に挿入された、不正について釈明する大学幹部の声は、高年齢の受験生を不合格にしていた事実と重ねるように、高音域をカットした。「10年後、20年後の長いスパンであれば、誰かが気付いてくれるのではないかと思いながら作っていた」。

 1000件を超えるコメントの中には、男性のような受験生の存在を想像できなかったことへの後悔も寄せられていた。「このニュースを初めて見たとき、いい年して医学部なんて夢追いかけてんなよ、って思いました。この曲を初めて聞いたとき、自分の愚かさに情けなくなりました」。再生回数は今も増え続け、ことし2月時点で110万回に達した。

取材に応じる男性=2020年12月

 曲を公開する前の19年末、男性は順天堂大に慰謝料などを求めて提訴した。年齢で差別した責任に向き合っていないとの思いからだが、このときは大きな注目は集まらなかった。インターネット上で「金目当てでは」などと否定的な反応もあった。「裁判は向こうの土俵かもしれない。でも音楽は違う。自分なりの戦い方ができたかな」

 彼女とは結婚したが、その後も離れ離れの生活が続いた。ことし1月に公表した、続編的な位置付けの新曲「rope5」は、そんな生活が新型コロナウイルス禍で〝思わぬ方向〟に変わったことを歌う。同じ月には、初めての子どもが生まれた。

 ▽全て明らかになったのか

 文科省は2018年、医学部医学科を置く全国81大学の入試を調査し、東京医大と順天堂大を含む10校の入試が「不適切」だったと結論付けた。国立大は神戸大の1校のみ。ただ、男性は「全ての不正が明らかになったのだろうか」と引っ掛かっている。

 男性が受験した、神戸大とは異なる国立大医学部。不合格が判明した後、成績開示を求めると、面接は100点満点で20点台だった。

 面接時間は5分足らずで、質問も「小論文の出来は」など3問だけ。試験後に記録した面接官とのやりとりを読み返しても、そんなに低い点数を付けられる内容とは思えなかった。

 医学部生として学ぶ今は気持ちを切り替えているが、「年齢で差別されたのでは」との疑問が消えることはない。

 ▽優遇しようという意図

 男性の疑問について、受験指導のプロはどう考えるのか。

 医学部専門予備校「エースアカデミー」代表の高梨裕介さんは、不正の有無は分からないとする一方、面接では特定の属性の受験生を事実上優遇したり、不利にしたりすることが不可能ではないとの見方を示す。

 例えば地方の国立大医学部で多いのが「なぜこの大学を受けたのか」という質問だという。当たり前の質問にも感じられるが、地元出身だと圧倒的に答えやすく、「卒業後も地元に残って地域医療を支えてほしいから、優遇しようという意図を感じる」と話す。

 また、「体力に自信はあるか」といった質問だと、若い現役生に比べて長期浪人生や再受験生は不利になりかねない。医学部入試が実質的に将来の医師を選ぶ場になっていることもあり、文科省調査の後も、面接でこうした質問をする大学はよく見られるという。

 文科省関係者によると、18年の調査では各大学に、受験生一人一人の得点を含む詳細なデータを提出させた。性別や年齢といった属性が得点や合否に影響していないか、特に注目したという。関係者は、面接という評価手法に曖昧さがあるのは事実だとする。その上で「属性差別があれば必ず分かる。そう言えるぐらい徹底的に調べた」と断言した。

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 ◇医学部の不正入試 文科省の元局長が東京医大に便宜を図る見返りに息子を合格させてもらったとする2018年7月の贈収賄事件を機に発覚した。医学部医学科の入試で元局長の息子を含む一部の受験生に不正に加点し、女子や一部の浪人生を実質減点する得点操作をしていた。順天堂大も女子や浪人生に不利な基準を設けていた。文科省は全国の医学部入試を調査し、最終的に昭和大、神戸大、岩手医科大、金沢医科大、福岡大、北里大、日本大、聖マリアンナ医科大でも不適切入試を認定した。

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