故郷より長く移転先で活躍

1886年に輸入された古レールをリサイクルしたJR水道橋駅の架線柱

 【汐留鉄道倶楽部】進学や就職を機に住み慣れた土地から遠くへ引っ越したら、中高年に差し掛かったころには、故郷よりも新天地での生活の方が長くなっていた。このような人間の世界によくある人生模様が、鉄道の世界にもある。もともとの使用目的だった地ではお役御免になったものの、別の場所で再利用され「第二の人生」を送っている資材や車両を紹介する。

 本来の役目を終えた古レールが廃棄処分を免れ、駅ホームの屋根(上屋)の柱や梁(はり)になった姿は、全国で見られる。跨線橋(こせんきょう)の骨格や架線柱、線路脇の柵への使用例もある。

 共同通信社の本社(東京)に近いJR新橋駅では、数年前まで古レールがホーム屋根の柱や梁に使われていたが、駅の改良工事によって立派な鉄骨に役目を譲った。全国各地で歴史ある駅に多く見られてきた古レールは、駅の改築に合わせて撤去されていく傾向にあるようだ。

 古レールはお世辞にも美しいとは言いがたいが、東京ドームの最寄りの水道橋駅では、独特な造形美を醸し出している。同駅では、線路間に立ち並ぶ架線柱や上屋の柱に古レールを確認できる。

 レールを変形加工した上で巧みに組み合わせ、直線と曲線の織りなす整然とした風景ができあがった。ホームに設置された案内板に「レールの芸術作で大変美しい」の文字が躍る「自慢の逸品」なのだ。まるで神殿の柱のようだと言ったら褒めすぎだろうか。

 案内板によると、柱のレールは1886年、日本鉄道会社がドイツの「ドルトムント・ワニオン」社から輸入し、どこかで使われ後に運ばれてきた。水道橋駅の開業は1906年とあり、素直に読めば輸入から20年で再利用されたことになる。130年以上前に輸入された年代物のレールが今なお現役とは恐れ入った。

 巨大な橋桁のリサイクルも盛んだったようだ。神奈川県を走る箱根登山鉄道の出山鉄橋は、東海道線の天竜川の鉄橋(1889年開通)の中古品で、1917年に移設された。東武鬼怒川線の砥川鉄橋(栃木県日光市)は、日本鉄道磐城線(現在の常磐線)の阿武隈川の鉄橋(1897年開通)から1946年にやってきた。

古巣から移設されて100年以上も箱根の観光客に親しまれてきた出山鉄橋の橋桁

 どちらの鉄橋も、今や国の登録有形文化財(建造物)であり、リサイクル品でありながら「国が認めた橋」の貫禄がある。風景が絵になるため、観光客や撮り鉄からの人気は絶大だ。最初に使われた場所よりも新天地での活躍が長くなり、すっかり地域の主のようになっている。

 車両では、大井川鉄道(静岡県)の蒸気機関車C11形227号機がキラリと光る。1942年製造で、75年に北海道の標津線から大井川鉄道へ運ばれてきた。翌76年から営業運転を続け、国鉄時代よりも長期間を過ごした大井川鉄道で、会社を象徴する存在に成長した。

 スクラップを免れて「第二の人生」を送る古豪たちの姿に「住めば都」を実感した。

 ☆寺尾敦史(てらお・あつし)共同通信社映像音声部

 ※汐留鉄道倶楽部は、鉄道好きの共同通信社の記者、カメラマンが書いたコラム、エッセーです。

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