もはや有効性薄れた自粛要請 リスク心理から見るコロナ慣れ

By 西澤真理子

東京・渋谷のスクランブル交差点を行き交う人たち=1月9日午後8時20分

 大方の予想どおり、2月、緊急事態宣言が延長された。感染者が減っているにもかかわらず解除されないまま「自粛要請」が続いている。一方、このところの陽気に誘われてか高齢者の外出も目立つようになり、渋谷のスクランブル交差点では60%も夜間の人出が増えたと報道されている。「不要不急の外出を避ける緊急事態宣言下」「医療崩壊を防ぐために自粛を」―。行政やマスコミからのメッセージがなんともシュールにこだまする。

 自粛メッセージが人々の心に響かなくなっているのはなぜか。リスク心理から考えてみた。(リスク管理・コミュニケーションコンサルタント=西澤真理子)

 ▽緊迫感は長く続かない

 「緊急事態宣言が出ている感じがしない」「これだけの感染者数だ、と言われても、大きな数に慣れてしまった」。多くの人々が街頭インタビューで語る。

 この1年、普通の生活の「自粛」が求められてきた。法的な強制ではない「自粛」は、新しいリスクへの「不安心理」、「一致団結し抜け駆けは許さない」という集団心理、「誰かのために自分も協力しよう」という利他の心に依るものだ。横並び的な集団心理は、とりわけ日本人に強く働く。

 だがここにきて、人間心理の利用はさほど有効では無くなっている。緊迫感のあるリスクは身近にないし、「慣れ」がある。

新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真(米国立アレルギー感染症研究所提供)

 ▽新型コロナが恐怖をあおった理由

 何を怖いと感じるか。人のリスク心理にはリスクとベネフィット(利益)が大きく関わっている。自分への利益が高ければ多少のリスクは目をつぶり、逆に利益がないのならばリスクを高く見積もる。人が不安に思うリスクにも種類がある。典型的には以下のようなものだ。

・新しいものや未知のもの(新型インフルエンザ、ゲノム編集などの新規技術)

・恐ろしさを想起させるもの(発がん物質、治療法のない疾病)

・強要されること(受動喫煙)

・ほぼ確実に死に至ること(飛行機の墜落事故)

・リスクが広がるもの(感染症)

・次世代や子供に影響するもの(子供の被ばく、子宮頸がんワクチン)

・慣れ親しんでいないもの(海外で生産された食品)

 要するに、慣れているもの、命に関わらないもの、子供に関わらないもの、治療法が見つかっているものには、さほどリスクを感じない。

 一方で、同じ行為であっても自発的でない場合にはリスクを感じやすい。例えばこういうことだ。自分でタバコを吸うのはいいが、人の煙は嫌。ラドン温泉で天然の放射線を浴びてリフレッシュ。海外渡航の際、飛行機内で放射線を浴びることは許容するが、福島第1原発からの放射能汚染には過敏に反応する。

 これはみな、自発的ではなくリスクが知らぬ間に強要されるからだ(詳しくは拙書『リスクを伝えるハンドブック』など参照)。

 そう考えると、新型コロナウイルスが発生した1年前の春は、人を不安にさせる要素のオンパレードだった。

横浜港に停泊するクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」前を、サイレンを鳴らして移動する救急車両=2020年2月

 ダイヤモンドプリンセス号で毎日のように死者が出て、志村けんさん、岡江久美子さんなど、身近な芸能人や若い相撲取りまでもが命を落とした。イタリアやスペインでの医療崩壊のすさまじい映像に、人は恐怖におののき、自宅に閉じこもった。

 ▽認識の変化が生んだ「コロナ慣れ」

 だが、1年が過ぎ、身近に感じる重症者の話も聞かなくなってきた。「かかったら死ぬかもしれない」という疾病から、ワクチン接種でなんとかなりそうという認識に変化してきた。そして1年間コロナと付き合って、手洗いや飛沫感染に気を付けたら、まあ大丈夫、と分かってきた。それが「コロナ慣れ」だ。

 慣れは悪いことではない。慣れは人類の生存では必須だ。そうして外部環境に順応して生き延びてきたからだ。

 その中での「自粛要請」である。現在「自粛」をしないというバッシングの矛先は主に若者だ。だが、若者は自覚症状も出ないことが多く、死に至ることは少ない。友人や仲間との楽しい時間を過ごすベネフィットはリスクより大きい。自分のなじみの店は閉店の危機にある。なんで飲んだり、ワイワイ楽しい時間を過ごすことが悪いのか。仲間と集まりたいし、デートや合コンだってしたい。第一、店は開いている。飲食店の応援の意味でも会食しよう。こういう心理は当然で、理解できる。

 国民の代表で自粛を呼びかける立場の国会議員でさえ、緊急事態宣言後に、5人の夜の会食が発覚、それ以降も後を絶たない事態となっている。

西鉄福岡駅のコンコースの電子看板で流れる、福岡県が制作した動画=2月1日、福岡市

 ▽コミュニケーションの問題ではない

 人の協力を仰ぐには、(1)法での強制、罰則などの強い措置(2)人の心理に訴え、利他の心をも稼働し、リスクを下げるための協力を仰ぐ強いメッセージ―が必要だ。それがリスクコミュニケーションである。そのメッセージには確固たる根拠と理由が必要とされる。

 この一年、政府が指摘されてきたのは、リスクコミュニケーション不全の問題であった。しかし、真の問題は、判断の根拠(科学的エビデンス)と、対策とその有効性が不明確で矛盾だらけだったことだ。

 例えば、感染者数がぐっと減っているのに「医療崩壊だ」というメッセージが出されていること。日本より多くの感染者が発生しているドイツでは医療崩壊という話は出ず、重症患者を隣国から受け入れている。どういうことだろう?となってしまう。

 言い尽くされたが「GoToトラベル」と「GoToイート」もそうだ。政府が補助金を出して、移動や会食を奨励しておきながら、突然に手のひら返しで「外出自粛」「会食自粛」「営業自粛」を呼び掛ける。混乱を招き、自粛要請が効かなくなるのも当然であろう。

 リスクコミュニケーションは科学的評価とそれに基づく政策の「結果」だ。それ自体が独立しているものではなく、それ自体を改善できるものではない。改善すべきはその中身である。そして、過ちは過ちと認め、謝罪し撤回。そして根拠と有効性がわかりやすく説明できる新しい政策をすぐに打ち出し、実行することだ。

 一体いつまで「自粛」状態を続けたらいいのか。普通の生活が危ぶまれるほど経済的な打撃を受けている人が多い中で、切実感とモヤモヤ感ばかりが募っている。

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