昨年57歳で亡くなった西武の大物助っ人 トニー・フェルナンデスおちゃめ秘話

ヘルメットを飛ばして一塁に疾走する在りし日のフェルナンデス

【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録ちょうど昨年のこの時期だった。記憶に残る野球人がこの世を去ったのは…。その名はトニー・フェルナンデス。2020年2月15日、57歳の若さで病死した。1980年代半ばから活躍したメジャー屈指の遊撃手。日本球界は西武での00年のみだったが、強い印象を残した個性派だった。

99年、西武は新人の松坂大輔が16勝を挙げるもリーグ3連覇を逃した。そこで当時の堤義明オーナーが元MLBコミッショナーのピーター・ユベロス氏を介し、Vの使者として補強したのがフェルナンデスだった。

来日時点で既にメジャー通算2276安打、4度のゴールドグラブ賞という超大物。前年もブルージェイズで142試合に出場し、シーズン途中まで打率4割をキープして話題になっていた。

だが…。来日して実物の動きを見てみると、守備面では年齢による衰えが目立ち、チーム内にも不安の声が広がった。しかし、バットを握ると誰もが黙った。オーラ、技術が桁違いだった。同じスイッチヒッターで遊撃手の松井稼頭央(西武二軍監督)は、打撃練習にクギ付けとなった。

バリバリのメジャー。なのにどこかスキがあった。敬虔なクリスチャンで、禁酒禁煙とストイック。そう聞いていたが、キャンプ地の高知で夜の街から怪情報が入ってきた。

「この前、外国人で野球選手やいう人が一人で飲みに来てくれたんよ。なんて言うたらええんやろな。おじさんみたいな雰囲気の黒人の方で40歳くらいかなあ」

んん? 特徴を聞けば聞くほどトニーに合致する。今となっては確認のしようもないが…。

開幕戦では平凡な三飛を落球し「年俸3億3000万円のザル」などと一部スポーツ紙でイジられもした。サイズの合わないヘルメットで全力疾走&ヘッドスライディングするため、防具の脱げたところに送球を受けて悶絶した場面も笑いを誘った。秋田遠征では試合前に杭打ち用のハンマーで素振りし、3安打すると球場関係者に直接交渉してトレーニング用にと持ち帰ってしまうなど奇行も目立った。

それでも打席ではホンモノだった。8月下旬、実兄を亡くし葬儀のため故郷のドミニカ共和国に帰国することになった。その直前の試合で延長10回にサヨナラ弾。お立ち台で声を詰まらせた。

NPBでは103試合で打率3割2分7厘、11本塁打、74打点。西武ドームで出場した最後の試合を終えると、松井稼の背番号7のユニホームを羽織ってロッカーへ消えた。

「このゲームジャージーは将来すごい価値になる。カズオよ、メジャーで待っているよ」

後ろ姿がカッコよかった。おちゃめな偉人、トニー・フェルナンデスよ、安らかに。

☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。

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