苦渋の決断 SSK新造船休止へ<中> 戦後復興と発展をけん引 造船技術の衰退懸念

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1962年に進水式を迎えた当時世界最大のタンカー「日章丸」。約2万人が万雷の拍手を送った=佐世保市、佐世保重工業(同社提供)

 「敗戦後に残された造船所で佐世保は立ち直った。SSKは優良企業で、自慢の存在だった」。地元のある経営者が遠い目をして語る。佐世保重工業(SSK)は名実共に、戦後の佐世保の復興と発展をけん引した存在だった。
 戦争の傷跡がまだ生々しく残る1946年10月、SSKは、旧海軍工廠(こうしょう)の施設を借り受ける形で「佐世保船舶工業」として産声を上げた。53年、新造船第1船となる「永邦丸」の進水を皮切りに、佐世保の基幹産業として目覚ましい成長を遂げていく。
 象徴的なのは62年に完成させたタンカー「日章丸」。当時世界最大の13万トン級を誇り、国内外に技術力の高さを知らしめた。進水式には約2万人が詰め掛け、「巨船に嵐のような拍手を送った」(同社60年史)。
 経営は浮き沈みを繰り返した。73年、第1次オイルショックで石油輸送需要が低下すると経営危機に陥った。78年、「再建王」の異名を持つ旧来島どっく社長の故・坪内寿夫氏を社長に迎え、賃金カットなどの徹底した合理化策を提示。労組との間で大争議に発展した。84年には売上高が初めて1千億円を突破したが、その後も湾岸戦争(91年)やリーマン・ショック(2008年)など時代の波に翻弄(ほんろう)された。
 SSKの歴史には、いつも人員整理の影がつきまとった。ピーク時に7千人近くいた社員は今では約740人。売上高は300億円規模にまで落ち込んだ。「かつてのブランド力がなくなり、市民にとっての存在感も薄くなってしまった」とある市議は嘆く。
 とはいえ、造船業は裾野が広く、新造船休止の影響は小さくない。SSK関連会社で構成する協同組合には46社が所属。下請けなども含めれば従業員は1500~2千人に上る。佐世保商工会議所の金子卓也会頭は「地元経済にとって大きなダメージだ」と危機感を募らせる。
 ある関連会社の代表は「ほとんどの仕事をSSKからもらっているような業者はどうするのか」と困惑を隠さない。別会社の社長は「(新造船以外の)地元の仕事の奪い合いになるのでは」と危惧する。一方、長崎市の造船関係者は「SSKの協力会社も過去危機にさらされ、生き残るために他の仕事を見つけてきたしたたかさがある。衝撃は少ないはず」とみる。
 造船業界に詳しい県立大経営学部の宮地晃輔教授(会計学)は、これまで培ってきた造船技術が衰退するのを憂慮する。「(親会社の)名村造船所伊万里事業所での仕事を佐世保にも回すことはできないか。いつか新造船のチャンスが来た時、技術が伝承されていなければ、佐世保で船は造れない」