ノムさん絶賛「日本一のスコアラー」 酒も愛した元燕左腕・安田猛さんの豪快人生

元ヤクルト・安田猛さん【写真:荒川祐史】

「ペンギン投法」で新人王、81イニング連続無四球はいまもNPB記録

元ヤクルト投手の安田猛さんが、73歳で亡くなった。最後まで野球に情熱を傾け、酒を愛した、豪快で明るく優しい人柄だった。【宮脇広久】

福岡・小倉高、早大、大昭和製紙を経て、1971年のドラフト6位でヤクルト入り。1年目の72年にいきなり最優秀防御率と新人王を受賞。翌73年にも2年連続の最優秀防御率に輝いた。無類の制球力を誇り、同年に達成した81イニング連続無四球は現在もNPB記録である。78年には左のエースとして球団創設初優勝と日本一に貢献した。81年限りで現役を引退するまで、10年間で通算93勝86敗17セーブ、防御率3.26をマークした。

身長173センチと小柄だったが、機敏な動きで、その独特な投球フォームは「ペンギン投法」と呼ばれた。いしいひさいち作の人気漫画「がんばれ!!タブチくん!!」の準主役「ヤスダ」のモデルとしても知られた。

「現役時代の最速は135キロくらい」と自ら語っていたが、それでも「俺は速球派だった」と胸を張っていた。緩急をつけて、遅いストレートを速く見せる技術に誇りを持っていた。また、スピードガン表示よりも、打者の手元まで勢いの落ちない球質を「角のはえたボール」と呼び高く評価していた。もちろん安田さん自身がその使い手だった。

引退後はヤクルトでコーチ、スカウト、スコアラー、編成部長などを歴任。特にスコアラーとしては、野村克也さんには監督在任当時に「うちの安田は日本一のスコアラー」と讃えられた。ヤクルト退団後は、JR東日本の外部コーチを務め、現オリックスの田嶋大樹投手らを指導した。

2017年1月に母校・小倉高のコーチに就任。同年の夏の大会後からは、監督に就任する予定だった。母校はいまや県内屈指の進学校となる一方、野球部は低迷気味だったが、「必ず甲子園に連れていく」と張り切っていた。

ガン診断後も変わらぬ豪快さ「酒を飲んで寿命が縮まるなら本望」

だが同年2月、ガン細胞が腹膜に散らばる「腹膜播種(ふくまくはしゅ)」でステージ4と診断され、余命12~13か月の宣告。監督就任を諦めざるをえなかったのは痛恨だった。

それでも、不屈の闘志は陰りを見せなかった。抗がん剤治療に耐え、ガン細胞の進行を抑えた。1年のはずだった余命は、4年にまで伸びたことになる。東京の自宅と福岡の二重生活で、コーチやアドバイザーとして小倉高の指導も続けた。

一方で、酒を愛し、ガンと診断された後も禁酒はしなかった。「酒を飲んで寿命が縮まるなら本望」と笑い飛ばしていた。糖尿の持病もあり、酒席の途中でもおもむろに注射器を取り出し、へそのあたりにインシュリンを打っていたのには驚かされた。炎天下で一緒にデーゲームを見ていて、「何か飲み物を買ってきましょうか?」と聞くと、「いらない。今飲んでしまうと、仕事を終えたあとのビールのおいしさが半減するから」と大真面目に答えていた。

そんな安田さんだけに、昨年からコロナ禍で外食がままならなくなったのは残念だった。「俺は抗がん剤治療をしていて、血糖値が高くて、おまけに高齢。重症化リスクがめちゃくちゃ高い。せっかく腹膜播種を抑えているのに、コロナで死んだら諦め切れないからなぁ」と苦笑していた。

もう1度、酒を酌み交わしながら、昭和の野球界の表裏を聞きたかった。そちらの世で、おいしい店を見つけて待っていてください。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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