エレベーターが奪った我が子の命 母「安全に生かして」 15年前、扉開いたまま急上昇

日本建築設備・昇降機センター主催の会合での講演前。「大輔が中学生の時に小遣いをはたいて誕生日に贈ってくれたネックレスを身に着け、いつも一緒に安全の大切さを訴えています」と話す市川正子さん(津市内)

 普段、何気なく利用するエレベーター。便利な乗り物だが、ひとたび事故が起きれば、人命を脅かす凶器に変わる。15年前のエレベーター事故で息子を亡くした市川正子さん(68)は、利用者の命を守る「安全装置」の設置が進まない現状を心配する。

 あの日まで、エレベーターは安全な乗り物だと信じていた。

 2006年6月3日夜、東京都港区の公共賃貸マンション12階で市川さんは野球の練習でおなかをすかせて帰ってくる高校2年生の息子を思い、食事の支度で台所に立っていた。換気扇の音に交じり、かすかにパトカーの音がし、救急車の音も重なる。だんだん近づき、マンションの下に止まった。胸騒ぎがするなか、警察官が事故を知らせた。

 大輔(ひろすけ)さん=当時(16)=がエレベーターから降りようとしたところ、戸が開いたまま、急上昇し、乗降口の上枠とかごの床部分に挟まれたのだ。救出活動が始まっていたが、「なかなか助け出せない状況に息子の名前を呼び続けることしか出来ませんでした」と沈痛な面持ちで振り返る。

■「中学校の先生に」夢絶たれ

 通っていた高校の野球班の日誌には、大輔さんが書いた文章が残されていた。甲子園の予選に向け「夏までもう時間がなくなってきた。いかに自分に厳しくできるかが一日を生きるのに大切なことだと思う。限られた一日という時間を他人に優しく自分に厳しくできるように、そしてその一日が有意義であるようにすごして行きたい」。将来は中学校の先生になりたいと希望していたが、その夢も絶たれた。

 正子さんは夫の和民さんとともに、高校の保護者や大輔さんの友人らに支えられ、事故原因の解明をはじめ、再発防止のためにエレベーターの安全対策などの要請や署名活動を続けてきた。

 事故後、国土交通省は建築基準法施行令を改正。2009年9月28日以降に新設のエレベーターについては駆動装置や制御器に故障が生じ、戸が開いたままかごが昇降した場合に、かごを自動的に停止させる「戸開走行保護装置」(二重ブレーキ)の設置を義務付け、一歩前進した。

 その後、和民さんは59歳で病気のために他界。悲しみは重なったが、正子さんは「突然、理不尽に奪われた息子の命です。人の命を第一に考える社会にしたい。安全にし続けることに終わりはありません」と話す。

 その大きな理由は、2009年9月28日より前に設置された既設エレベーターには戸開走行保護装置の設置が義務付けされておらず、改修が進んでいないからだ。

■「7割超」が二重ブレーキを未設置

 昨年末に公表された国交省の調査によると、直近の2019年度に定期検査報告が行われた全国のエレベーター約72万台のうち、戸開走行保護装置が設置されていたのは約26%にすぎない。国交省は改修費の補助制度やリーフレットを作るなど、所有者らに設置を呼び掛けているが、7割を超えるエレベーターに、まだ付けられていない。

 併せて、正子さんは行政や所有者、管理者、メーカー、保守点検業者のエレベーターに関わる全ての人が技術情報や安全情報を共有するなど徹底した連携と協力や、戸開走行事故時に一刻も早く救助できるように油圧ジャッキを用いた救出訓練も求める。

 事故以来、15年近く自宅の12階まで往復528段の階段を上り下りしてきた。どこでもエレベーターを使っていない。「乗ることができないのです。意識してというより、体が動かない」と言う。

 これまでに、民事訴訟で和解したマンション所有者の港区が、大輔さんの命日を「港区安全の日」に制定するなど安全対策に取り組み、改善された面はあるが、全国的にはまだまだ不十分である。

 エレベーターは、小さな子どもからお年寄りまで、誰もが利用する生活に身近にある乗り物だ。

 「ひとたび戸開走行事故が起きると、命に関わる重大事故につながります。社会全体に周知されていないもどかしさと焦りがありますが、支援者に感謝しながら、息子の命を利用者の安全に生かしていきたい」と、正子さんは力を込める。

© 株式会社京都新聞社