世界一過酷なヨットレース、白石康次郎さん快挙の裏側 「バンデ・グローブ」アジア勢初完走

 世界一過酷といわれるフランスのヨットレース「バンデ・グローブ」で海洋冒険家の白石康次郎さん(53)が2月11日、アジア勢初の完走を果たした。フランス西部レサーブルドロンヌ発着のレースは単独、無寄港、無補給で世界を一周。参加33艇中16位だったが、帆走の要であるメインセール(=帆)が破れるトラブルを克服しての完走は並大抵ではない。白石さんは根っからの明るさで笑いを誘いながら、新型コロナウイルス流行の悪影響など、快挙の裏側を語ってくれた。(共同通信=永田潤)

ヨットレース「バンデ・グローブ」でゴールし、手を振る白石康次郎さん=フランス西部レサーブルドロンヌ(大会事務局提供ⓒVAN・ZEDDA/ALEA・共同)

 ▽心臓止める大手術

 ―レース前年に心臓手術を受けたとゴール後の記者会見で明かした。

 大きな決断だった。心臓の上の上行大動脈瘤で破裂する恐れがあった。肋骨を切って心臓を1時間止める大手術。半年はヨットができない。2019年5月に身体検査で見つかり、まだレースに間に合うということで6月に手術した。チーム外には内緒にし、(フランス西部)ロリアンの拠点 の周りで「がんじゃないか」とうわさになった。

 その後にまさかの(新型)コロナ(ウイルス流行)。チームの活動が止まった。僕だけではなく、今回新艇が勝てなかったのは調整がうまくできなかったから。

 ―コロナで事前のレースができなかった。

 それで既にできあがっていた船が活躍した。新艇は全員準備不足。新しい船は(調整に)4、5年かかる。新艇は今回皆ぼろぼろで荒れたレースになった。優勝したヤニック(・ベスタベンさん)の船で僕も一緒にトレーニングしたが、完璧に仕上がっていた。

 ―コロナの影響は実は大きかった。

 メインセールを破ったのも調整不足。(風向や風力を感知する)ウインドセンサーが時々情報を送らなくなるという特殊な壊れ方をした。壊れていることにしばらく気付かなかった。

 ―セールが破れたのを見たときどう思ったか。

 普通はリタイア。このレースは終わったと思った。あれで世界一周できると思う人は一人もいない。ただ船体やマストに損傷があったのと違って直ちに命に関わらないので、できるだけ進もうと思った。

ゴールし、入港する白石康次郎さん=フランス西部レサーブルドロンヌ(共同)

 ―精神的にどう乗り越えたか。

 再出発はきつかった。トラブルが起きたのはスタートして6日目。ほぼビリになった。接着剤で直したメインセールで世界一周するほどつらいことはなく、勇気がいった。目標をまずは赤道まで、次はケープタウンという風に目の前のものに切り替えた。優勝争いに絡めなかったのはヨットレーサーとしては失敗だけど、セーラー(=船乗り)としては素晴らしかったのではないか。あれを直して16位に良く入ったと思う。

 ▽人類史上最低の乗り物

 ―食事は。

 ほぼレトルト。サーディン(=イワシ)の缶詰がうまかった。でもこれは波があると飛び散るので、静かなときしか食べられない。今回は(船酔いがつらい序盤のために)病院用の流動食を用意したのが良かった。

 ―睡眠は。

 寝ていられない。連続では1時間ぐらい。それをこまめに取る。ゴール前2日間は漁船などが多くなり、ほとんど寝ていない。南極海の方が船が少なく島もないし、安心して走れるから眠れる。でもフォイル艇(=高速航行を可能とする水中翼が付いたヨット)はものすごくうるさい。人類史上最低の乗り物だよ。

白石康次郎さんのヨット=フランス西部レサーブルドロンヌ(共同)

 ―オーディオブックを持って行ったとか。

 (周りの音を消す)ノイズキャンセリング(のイヤホン)でないと聞こえない。一番聞いたのは「神との対話」かな。あと落語をいっぱい持っている。都会の中で自然の絵を飾るのとは逆に大自然の中にいると俗っぽいのが良い。

 ―気晴らしになる?

 そう。昔は星や海の景色を楽しんだけど、今(の船)は(コックピットなどが)全部囲われている。窓もあるが、フォイルでしぶきがすごい。写真も全然撮らなくなった。つまらない。そういう時代になった。

 ―寂しい?

 オールド(=年を重ねた)セーラーとしてはものすごく寂しい。僕はレーサーではない。海を楽しみたい。新艇に乗るのは憧れだったから、それは良かったが。

ゴール後、記者会見する白石康次郎さん=2月11日、フランス西部レサーブルドロンヌ(共同)

 ▽面白い、人生って

 ―ヨットで世界一周は4回目。無寄港では26歳以来2回目。変化は。

 最初は176日かかった。(今回は94日で)半分だ。体力は落ちた。船の進化がすごい。(今は衛星利用測位システム=GPS=があるが)学生の頃は(天体と水平線を観測し自分の位置を特定する)天測だった。今はインターネットで気象も見える。昔はセーリングが冒険だったけど、今はレーシングになった。

 ―船酔いするのは変わらないか。

 変わらない。それにヨットはいっこうにうまくならない。下手。ゴルフはうまいけど、ヨットはセンスがない。ゴルフは少し練習すればプロより(ボールを)飛ばせる。

 ―ヨットのうまさとは。

 センスが良ければ同じ風でも速い。でも僕は今回のセールを直したようにメンテナンス技術は高い。元々船のエンジニア。これはセンスが良い。昔から模型作りが好きだった。でもセーリングセンスはない。ラーメン屋でいうと、店はきれいで調理器具は完璧、接客も見事。ただラーメンがまずい(笑)。

 ―でもなぜここまでやってきたか。

 楽しいから。僕には世界一周が魅力だった。どうせやるんだったら世界一の大会に出てみたいと思った。

 ―世界一周の魅力は。

 壮大さ。そこに好奇心が引かれた。これだけ好きだから、やったらうまいだろうと思ったら下手だった。船酔いは激しかった。衝撃の事実。面白い、人生って。ただやりたかった。これが僕のストーリー。うまい人がうまくやるのではなく、ど下手な人が30年もやればできるという。下手な子どもたちにも『大丈夫、30年後にはできるから』と夢を持たせる。長いね(笑)。

大会事務局提供ⓒYVAN・ZEDDA/ALEA・共同

 ―ゴルフをしていたら、プロになったかもしれない。

 活躍しただろう。野球も。子どもの頃からホームランバッターだった。球を遠くに飛ばす能力がある。でもゴルフとバンデ・グローブだったら魅力の大きいバンデを取る。ヨットはセンスは2か3しかなくても、努力は10、20する。かけ算(で結果を出してきた)。

 ―(師匠の世界的セーラー)多田雄幸さんを通じてバンデ・グローブを知った。

 (レース発案者のフランス人セーラー)フィリップ・ジャントーから『雄幸、(1989年の)第1回に出ないか』とオファーがあったのを聞いていた。それまで無寄港のレースはなかった。「すげえな、出たいな」と思った。それがスタート。いきなりこんなレースには出られないから、まずは自分で世界一周した。走れたら、今度はレース。レースのレベルを徐々に上げて、バンデ・グローブまで来た。このレースが目標だった。

 ―今後の夢、目標は。

 今年はとにかく支えてくれた人たちに恩返しする。その後はなるようになる。(次回のバンデ・グローブに出場するかどうかは)チームのオーナー(=工作機械大手、DMG森精機の社長)が決める。

  ×   ×   ×

 白石康次郎(しらいし・こうじろう) 1967年、東京都生まれ。神奈川県鎌倉市で育つ。同県立三浦水産高校(現・海洋科学高校)卒業。高校在学中から故多田雄幸さんに弟子入りし、修業を積む。93~94年、26歳でヨットの単独無寄港世界一周を達成し、当時の世界最年少記録を樹立。2002~03年、単独世界一周レース「アラウンド・アローン」に初挑戦し完走した。06~07年の後継レースで2位。16年、前回のバンデ・グローブにアジア勢として初参戦したが、マストのトラブルで棄権した。これまでバンデ・グローブにアジアから参加したのは白石さんだけ。

© 一般社団法人共同通信社