【ミャンマー】全国で抗議のゼネスト決行[社会]

デモ最大規模、事業は停止

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国軍がクーデターで全権を握ったミャンマーで22日、抗議を行う市民らが呼び掛けたゼネストが実施された。全国各地でスーパーや商業施設、工場が臨時休業したほか、最大都市ヤンゴンを含む各地でこれまでで最大規模のデモが発生して経済がまひ、混乱を極めた。午後9時時点(現地時間)で、武力行使による強制排除などは行われていない。

幹線道路を埋めつくしたデモ参加者=22日、ヤンゴン(NNA)

国軍は21日夜に「命にかかわる対立になる」と警告を発したが、大規模デモは強行された。参加者はヤンゴンだけで数十万人に上るとみられている。

ヤンゴンでは午前8時ごろから、複数の場所でデモが始まった。これまで抗議運動を主導してきた医療関係者や学生などに加えて、業界団体の職員や家族連れなど幅広い層が参加。デモ隊は、ダウンタウンのスーレー・パゴダ(仏塔)や、カマユ郡区レーダン地区の商業施設「レーダンセンター」前などに押し寄せた。市内の主要な幹線道路は参加者の車や隊列で埋まり、交通がまひした。

ヤンキン郡区の病院前には、午前7時ごろから医療関係者ら約4,000人が集結。国内では先週末までに、第2の都市マンダレーなどでデモに参加した3人が、治安部隊の武力行使で死亡した。医学部の女子学生(19)は「怖い気持ちはあるが、元通りの世界に戻すために参加した」と唇をかみしめた。病院をデモ隊が出発すると、沿道から大きな拍手が湧き起こった。

国軍当局はデモ封じ込めのため、深夜から正午までインターネットの停止を指示した。しかし、口コミや前日までに会員制交流サイト(SNS)で流布した情報に従い、小路からもアウン・サン・スー・チー氏の写真や国民民主連盟(NLD)の旗を掲げたデモ隊が次々と現れた。

国軍側の治安当局はヤンゴンで、米国、中国の在外公館や国連事務所、政府機関、国営銀行のそばに重点的に部隊を配置し、バリケードなどを設けた。死傷者が出る武力行使はみられていないが、NLDの関係者によると、首都ネピドーでは200人以上のデモ参加者が拘束された。ヤンゴンでは午後5時時点でデモ隊のほとんどが解散し、国軍側も自制した。しかし、23日以降の抗議活動で強制排除や衝突が起きる恐れは排除されていない。

ゼネストは全国に呼び掛けられ、首都ネピドー、マンダレーを含む全国で、事業活動が停止。地元メディアによると、西部ラカイン州だけは抗議活動が小規模だったもようだ。

■縫製工場も生産活動を中断

ヤンゴンでは、スーパーマーケットを展開する地場流通大手シティマート・ホールディング(CMHL)や、地場コンビニエンスストア「グラブ&ゴー」を含む小売店のほか、シンガポールの配車大手グラブなども事業を見合わせた。進出日系企業もほぼ全てが事業を休止。クーデター後、休まず操業を続けていた縫製工場も、「安全を確保するためにやむをえない」(業界団体の幹部)と生産を停止した。

シティマートやグラブなどは23日以降、通常通りの営業を再開すると発表。デモを主導するメンバーらもゼネスト継続は促しておらず、主要な小売店の閉鎖は22日のみにとどまりそうだ。ただ国内では、これまでの市民不服従運動(CDM)を受け、行政機関や銀行などの機能が、既にほぼ停止している。

今回の大規模デモは、2021年2月22日と「2」が5つ連なることにちなんで計画された。「8」が4つ続く1988年8月8日に起きた民主化要求デモでは、治安部隊の制圧で数千人の犠牲者が出たが、参加者は弾圧を招く国軍側との小競り合いを防ぎ、「非暴力」を貫こうとしている。SNSでは「警察に逆らうな」「挑発に乗るな」などのメッセージで、仲間に自制を促した。

88年の民主化デモを覚えている建設作業員の男性、ティン・ライン・トゥエさん(42)は「クーデターで変わってしまった状況を一刻も早く終わらせたい。今は、抗議もできなかった時代とは違う。平和的なデモを成功させて、望む暮らしを得るまで諦めない」と力を込めた。

マンダレーなどで犠牲になったデモ参加者を悼み、抗議の声をあげる若者たち=22日、ヤンゴン(NNA)