大阪「10月接種完了」は可能か? 吉村知事が主導、山積する現場の課題は…

 新型コロナウイルス感染症のワクチン接種がついに国内でもスタートした。第1陣となる医療従事者に続き、4月以降は高齢者や基礎疾患のある人、そして16歳以上の全ての人へと対象が広がる予定だ。ワクチンの供給量や接種の開始時期に関心が集まる中、総人口880万人の大阪府は早くも吉村洋文知事のトップダウンで「希望者全員の接種を10月までに終える」という目標をぶち上げた。一方、実務を担う市町村や医師会は医療従事者の確保や、膨大な事務処理への対応など幾多の課題を抱えており、一筋縄ではいきそうにない。政府の供給計画も見直しが相次ぐ中で、本当に10月までの接種完了は可能なのか。実態を探った。(共同通信=山本大樹)

大阪府の吉村洋文知事=2月19日

 ▽大阪市、接種300万回

 2月3日に開かれた大阪府と市町村や医療界の代表者による連絡会議。吉村知事は冒頭からマイクを握り「大阪版の接種完了目標を設定すべきだ。10月までというのをマックスの期間として、それぞれの市町村に計画を立てていただきたい」と気を吐いた。

 国の計画では、2月17日に始まった医療従事者4万人への先行接種に続き、3月中旬からは都道府県が主体となり、感染者と接する機会の多い医師や看護師、薬剤師らの優先接種が予定されている。4月以降は市町村が実施する住民接種が始まる。最初は65歳以上の高齢者、次いで呼吸器や心臓などに持病がある人が優先され、最終的には希望する人全員が接種を受けられるようになる見通しだ。

大阪医療センターで実施された医療従事者の先行接種=2月19日

 吉村知事が掲げた目標は、より具体的に言えば「市町村による住民接種の開始から、半年以内に希望する全府民への接種を完了する」ということになる。「半年」という期限は、府内市町村で最大の人口275万人を抱える大阪市の計画を踏まえて設定した。大阪市は府が実施したアンケート結果を踏まえ、65歳以上は70%、それ以外の世代は60%が接種を希望すると仮定し、対象者を153万6千人と推計。1人に2回ずつ計307万2千回の接種を24週間で実施する計画を立てた。

 大阪市健康局が2月12日に公表した計画では、ピーク時には1週間で17万4千人にワクチンを打つことを想定している。集団接種会場で問診と接種に当たる人員だけを考えても、1日当たり最大で医師184人、看護師368人を確保しなければならない計算だ。この他、相談事務や注射器の準備、経過観察時の対応要員も求められる。集団接種とは別に、地域のかかりつけ医などによる個別接種も導入し、約2200の病院、診療所などに週5日、接種を実施してもらってようやく実現できる数字だ。市は集団・個別接種の体制について医師会と協議を進めているが、感染者の受け入れ病院では人手不足の状態が続いており、十分なマンパワーが確保できるかどうかは見通せない。

愛知県あま市の集団接種訓練で予診を待つ参加者=2月17日

 ▽流れを止めないことが重要

 効率的な集団接種の仕組みづくりも不可欠だが、これまでに実施されたシミュレーション訓練では予想以上に時間がかかることが明らかになっている。1月27日に全国初の訓練を実施した川崎市では、予診が長引いて待機者が続出。受け付けから接種済証の交付までに平均で18分29秒かかった。市がまとめた報告書では、時間短縮のため、看護師による予診票の事前確認や、予診室のレイアウト変更などを取り入れるとしている。2月17日に実施された愛知県あま市の訓練でも、予診前に滞留が発生。接種までに平均40~50分かかり、「完全な失敗」(市担当者)に終わった。

 こうした他県の事例から学び、効率的な手法を探る自治体もある。市内の大型体育館で集団接種を予定している人口11万人の大阪府羽曳野市は、少しでも時間を短縮するため「接種時は5~6人が並んで座り、看護師がその間を移動しながら次々と注射を打つ」「少しでも不安がある人は列から外れてもらい、かかりつけ医と相談の上で別の日に接種を受けるよう促す」といった運用ルールを定め、1時間当たり300人の接種を見込んでいる。市ワクチン接種推進室の辻村真輝課長は「とにかく人の流れを止めないことが重要だ」と語る。市内数十カ所の医療機関による個別接種や、高齢者の入所施設を訪問する巡回接種も組み合わせ、府の目標より早い3~4カ月での完了を目指す考えだ。

羽曳野市が予定する集団接種会場のレイアウト。5~6人が1グループとなって一斉に接種を受ける

 ▽ワクチン管理システム「使いにくい」

 接種がスムーズに進んだとしても、現場には重い負担が残される。大阪府が2月3日に開いた連絡会議で、府医師会の茂松茂人会長は地域のかかりつけ医による個別接種の推進に全面協力すると請け合ったが、一つだけ条件を付けた。医療機関に求められる「ワクチン接種円滑化システム(V-SYS)」への入力作業を自治体が代行することだ。

 V-SYSはワクチンの流通状況を管理するために国が開発したシステムで、医療機関は日々の接種状況を入力し、接種会場ごとに必要なワクチンの本数もこのシステムを通じて発注する仕組みだ。だが、V-SYSに対する自治体や医療関係者の評判は芳しくない。厚生労働省が開いた自治体向けのオンライン説明会に出席した複数の担当者が「使いにくい」「分からない」と声をそろえる。茂松会長は「扱いにくく、入力が大変。(接種体制が)壊れるとしたら、V-SYSがあるからだ」と酷評。個別接種のケースでは「(診療所から)ファクスを流すので、役所で入力してもらいたい」と強く求めた。

厚労省が開いた自治体向けのオンライン説明会=2月17日、東京都江戸川区

  ▽「国がルール整備を」と訴え

 一方で、自治体側にも簡単には作業を引き受けられない事情がある。会議に出席した永藤英機堺市長は「もしそれぞれのクリニックからファクスを送り、まとめて役所で入力するとなると時間差が発生する。本当に自治体でやるのがベストなのか」と疑問視。府の担当課によると、市町村からは「各施設のオーダーをファクスで集めると、作業量が膨大になる」との懸念も寄せられているという。

 大阪府市長会長を務める沢井宏文松原市長は茂松会長の要請に理解を示しつつ「財源や人員の問題が生じる。これはぜひ(国に対して)声を上げていただきたい」と府に要望した。後日、市長会長としてインタビューに応じた際は「行政がどこまで代行入力して良いのかも判然とせず、どれだけの労力がかかるのかも分からない。これでは協力できないという首長も出てくる。国がルールを示すべきだ」と力説した。

大阪府市長会長を務める沢井宏文松原市長=2月18日

 ちなみに、国はV-SYSとは別に、全国の接種状況にマイナンバーを紐付けてリアルタイムで把握する「接種記録システム」という新たな仕組みも導入予定だが、こちらはまだ開発を担う企業と随意契約を結んだばかり。個別接種を担う医療機関の事務負担はさらに増えそうだが、大阪府医師会は「詳細はまだ何も知らされていない」と戸惑いを隠さない。

 ▽少なすぎる情報

 現場に立つ医師からは「どういう人なら接種して良くて、どういう人はだめなのか。ワクチンの安全性や副反応についてもっと情報がほしい」という声が上がる。大阪府守口市の北原医院(内科・アレルギー科・リウマチ科)を営む井上美佐医師は、平日の休憩時間や土日を使って市が実施する集団接種に協力する予定だ。市民の予診を担うことが想定されるが、「ワクチンについての情報が少なすぎる」と訴える。

 国内で接種が始まったファイザー製の「RNAワクチン」は新しいタイプのワクチンだ。海外の研究では高い発症予防効果が確認され、アナフィラキシーという重いアレルギー反応は約20万回に1回とまれだが、感染自体の防止効果や中長期的な影響については未解明の部分もある。国は20日、医療従事者の先行接種で「じんましん」や「悪寒」といった副反応の疑い事例が確認されたと発表した。井上医師は「うちの患者には慢性じんましんの人もいる。そういう人に『接種しても大丈夫か?症状が悪化しないか?』と聞かれても、データがないから明確には答えられない」と話す。

 高齢者に次ぐ優先接種の対象となる「基礎疾患のある人」についても、「糖尿病や高血圧でも、薬でコントロールしていれば『基礎疾患ではない』と思っている人もいる。接種を急ぐより、十分な情報を出し、ていねいに説明することが重要だ」と指摘する。

 ▽「政治問題化」に視線冷ややか

 大阪府と自治体の間にもすれ違いがある。吉村知事から直接の指示を受ける府の市道泰宏ワクチン接種推進監は「史上最大のロジ事業。目の前の課題も多いが、10月までに何とかやり切りたい」と気を張る。

市道ワクチン接種推進監らに府庁で訓示を述べる吉村知事=2月15日

 ただ、住民向けのワクチン接種はそもそも市町村の事業で、府が決定権を持つわけではない。「過度に政治問題化しているのでは」。ある府関係者は、ワクチン接種を巡ってさまざまな閣僚や首長が口角泡飛ばす現状を冷ややかに見る。ワクチンに関する正しい理解や、重い副反応が出た時の迅速な対応など、医療的な課題が脇に追いやられていると指摘し「政治家がいかに早く接種を進めるかに気を取られ過ぎだ」と眉をひそめる。

 府は「10月完了」に向けた各市町村の計画や進捗(しんちょく)状況を、ウェブサイトで公表する予定だが、前出の府市長会の沢井会長は「自治体別の接種の進捗率を公表しても、無用な競争を招き、市民の不安をあおるだけだ。何を目的に情報公開するのか良く考えてほしい」と慎重な対応を求める。

 ▽ワクチン供給に暗雲

 さまざまな苦悩を抱えつつも、迅速な接種に向けて準備に奔走する自治体側の努力とは裏腹に、国のワクチン確保は遅れが目立つ。国は米製薬大手ファイザーから年内に約1億4400万回分の供給を受ける契約を結んでいる。だが2月21日までに日本に到着したのは、わずか約84万回分(1瓶当たり6回分の場合)。これで賄えるのは医療従事者の一部だけで、一般向けは輸入時期のめどすら立っていないのが実情だ。

厚労省が2月17日に示した資料の一部。ワクチンの供給が見込めず、接種が遅れる可能性に言及している

 自治体担当者の間では、2月中旬から、住民接種の開始時期は大幅に遅れるのではないかという観測が広がっていた。こうした見方を拡散したのが、17日に厚生労働省が示した説明資料だ。市町村の準備スケジュールに関する注釈の中で「令和3年の第1四半期の十分な(ワクチンの)供給量が見込めないためクーポン券(接種券)の郵送の時期が遅くなる可能性がある」という一文が記載されていた。これを読んだ大阪府の職員は「高齢者の接種を4月に始めるのはもう無理なんだろう」とため息をついた。

ワクチンの供給計画について記者会見する河野太郎行政改革担当相=2月24日

 ワクチンの流通を差配する河野太郎行政改革担当相の説明も日に日に後退している。国は当初、高齢者の接種開始時期を「3月下旬」と説明していたが、河野氏は1月末の段階で「早くても4月1日以降になる」と修正。2月後半に入ると「4月からスタートしたいが、残念ながら高齢者に割り当てられるワクチンが非常に限られてくるので、ゆっくり立ち上げていきたい」(21日のNHK番組)とさらに後退させ、「なかなか見通せない中で、自治体の皆さんにはご迷惑をかけている」と陳謝した。

 24日夜には、緊急の記者会見を開き、高齢者向けのワクチンについて新たな供給予定を公表。4月上旬から下旬にかけて計約55万人分を順次、都道府県に配送すると発表した。分量が限られているため、大阪府に配分されるのは約2万人分にとどまる。4月中に接種を受けられるのはわずかな人数になりそうだ。

 供給スケジュールが見えない中でも独自目標を設定する意義を「計画を立てないと課題すら出てこない。計画を立てた上で、その課題をどうやったら解決できるかを考えていく」と説明していた吉村知事。25日の取材では「ワクチンが十分供給されることを前提に、6カ月でという話をしてきた。高齢者接種は実質的に5月にずれ込む。(国の供給が)ずれてくれば、大阪府の計画も当然ずれていく」と述べ、目標時期を見直す可能性を示唆した。

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