『AXIA』に刻まれた、アイドルを超えた斉藤由貴の表現者としてのポテンシャル

『AXIA』('85)/斉藤由貴

彼女のデビュー日である2月21日に、斉藤由貴がデビュー35周年記念のセルフカバーアルバム『水響曲』をリリースした。デビュー曲「卒業」をはじめ、ドラマ『スケバン刑事』の主題歌としてヒットした「白い炎」やアニメ『めぞん一刻』のオープニングテーマに起用された「悲しみよこんにちは」など、全10曲を収録。そんなわけで、当コラムでは斉藤由貴の1stアルバム『AXIA』を取り上げることにしたのだが、聴いてみると、これが随分と挑戦的というか、アイドル作品の枠を超えた意欲的とも思える作品であることが分かった。女優としてはもちろんのこと、シンガーとしても相当に魅力的な彼女である。

独特の愁いが活きたアルバム

斉藤由貴のデビューアルバム『AXIA』をこの度、初めて聴いた。何となく聴いたような気になっていたが、もし当時ちゃんと聴いていたのなら、このアルバムの印象はしっかりと残っていただろうし、斉藤由貴という人のことをもっと鮮烈に記憶に止めていただろうと思う。そのくらいに、今回『AXIA』から強いインパクトを受けた。このアルバムは当時のアイドル作品としては異例、異質の類ではなかったかと思う。もっとも斉藤由貴はデビュー当時からアイドル特有のキャッキャッした感じがほとんどなく、その王道から少し距離を置いている印象はあって、歌も演技もできるアイドルというよりも、若手女優が歌も歌う…といったスタンスではあったのだろうから、送り手は端から可愛らしいドレスでポップチューンを歌うようなことは企図していなかったのだろう。

実際、その後、彼女はNHK連続テレビ小説『はね駒』で主演を務め、映画『トットチャンネル』『恋する女たち』などで日本アカデミー賞の優秀主演女優賞をはじめとする映画賞をするわけで、れっきとした女優であって、可愛らしさだけを売り物にするお嬢さんではなかった。それは分かる。だが、『AXIA』収録曲で描かれているのは、アイドルソングと呼べる類いのものではないばかりか、“これを19歳の女の子が歌ったのか!?”と思わざるを得ない代物ではあると思う。彼女は純粋なアイドルシンガーではなかったのかもしれないが、それと混同するような露出もあったことも間違いないわけで、この言い方が適切かどうか分からないけれど、“よくこれをやったなぁ”と感じた。

そう言うと、斉藤由貴と当時の彼女のスタッフをディスっているように思われるかもしれないが、そうではない。逆だ。大絶賛である。事前に軽く想像していたアイドルものと異質、異例であったことがとても良かった。可愛らしいルックスでありながらも独特の愁いがある人だとは思っていたが、その愁いが十分に活かされている。いや、活きていると言ったほうがいいだろうか。斉藤由貴だからこそ表現できた世界観──『AXIA』はそれが詰まった傑作アルバムではあると思う。

“ふわふわ”としたイメージ

収録曲を見ていこう。まずはライトなところ(?)から。M1「卒業」、M2「石鹸色の夏」、M8「手のひらの気球船」辺りがそうだろう。最も分かりやすいのはM2、M8で、対外的な彼女のイメージをズバリ言葉にしている。

《生まれかけの 気持ち石鹸玉/いつの間にか フワリ/あなたの肩にとまりたい》(M2「石鹸色の夏」)。

《月のあかりに 照らされた/私を遠く 運んでよ/あなたが 眠る そのあいだ/気づかれぬ様に 舞い降りるわ/その夢の中 丘の上に》《Fwa Fwa Fwa Fwa Fwa Fwa Fwa Fwa Fwa/そっと・・・》(M8「手のひらの気球船」)。

《フワリ》であったり、《Fwa Fwa》であったり、そんな浮遊感のあるイメージがデビュー間もない頃の斉藤由貴にはあった。見た目もさることながら、スローモー…というのではないが、独特の間で話す人ではあって、その語り口調からも《フワリ》や《Fwa Fwa》という印象を受けたような気がする。それは彼女が出ていた“青春という名のラーメン”のCMイメージが強いからなのだろうけど、当時それを見ていた人は共感してくれると思う。M2、M8はそんなイメージの具現化と言えるのではなかろうか。M1「卒業」は、その《フワリ》《Fwa Fwa》イメージからさらにキャラクターを立体化させたようなところがある。

《離れても電話するよと 小指差し出して言うけど/守れそうにない約束は しない方がいい ごめんね/セーラーの薄いスカーフで 止まった時間を結びたい/だけど東京で変ってく あなたの未来は縛れない》《ああ卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう/でももっと哀しい瞬間に 涙はとっておきたいの》(M1「卒業」)。

作詞は松本 隆、作曲は筒美京平である。《東京で変ってく》や《涙はとっておきたいの》などのフレーズからは、松本・筒美コンビの代表作とも言える「木綿のハンカチーフ」を彷彿させ、さながらその前日譚やパラレルワールドを描いているようでもある。実際のところ、どのような意図があったのかは分からないけれども、触れたら簡単に壊れそうな乙女心をさらに可憐に描いているのは間違いないし、それはデビュー時の斉藤由貴に見事にフィットしたと言える。

これは上記M1、M2、M8に限った話ではないが、ミックスも含めてのアレンジも実に上手い。結論から先に言ってしまうと、本作のキーパーソンはアレンジャーの武部聡志ではないかと感じるほどである。松本・筒美コンビのすごさはここで言うまでもないし、M5「AXIA 〜かなしいことり〜」の作詞作曲を手掛けた銀色夏生、M6「白い炎」の森雪之丞(作詞)、玉置浩二(作曲)、そしてM10「雨のロードショー」の来生えつこ(作詞)、来生たかお(作曲)。それ以外にも名立たる作家たちが独特の世界観を創り出しているが、それをサウンドにおいて見事に表現しているのが武部氏である。例えば、M2「石鹸色の夏」では“ウォール・オブ・サウンド”を取り入れている。まさに音の壁のような厚みがあると言われる“ウォール・オブ・サウンド”であるが、ここではそのエコー処理、残響音で《フワリ》とした感じというか、どこか浮世離れしたような要素を加味しているように思う。

M1「卒業」もそう。イントロで聴こえてくる、やや中華風のメロディーは、もともと筒美氏のアイディアだったそうだが、これがイントロに限らず、Aメロ終わりやサビ前などで何度も繰り返されるのは、学校という日常が繰り返される場所への惜別や足掻きのような印象を受ける。歌のディレイも深めであるし、M2ほどではないものの、“ウォール・オブ・サウンド”的な音色も聴こえてきて(あれはパーカッションだろか?)、やはり全体に《Fwa Fwa》な音作りがされている。楽曲の世界観、斉藤由貴という女優、歌い手のイメージを損なうことなく、丁寧に楽曲が作られていることがうかがえる。

悪魔的な側面も見せる凄み

ここまで説明してきたM1、M2、M8、さらには高校野球をモチーフとした、まさしくタイトル通りの物語を綴ったM3「青春」辺りは、毒にも薬にもならない…と言ってしまうと怒られるだろうが、当時19歳であった彼女の等身大的な作風というか、多くの人が20歳前の少女に漠然と抱くイメージの最大公約数(でも実際にはそんなものは少数派)的なものではある。アーバンな雰囲気で、《煙草の煙 溜息の煙/サヨナラ…を 告げるだけで いいのよ》や《ああ 男はいつも優しさを求めて/ああ 女はすぐに約束欲しがる/もう ささやきは風の中》などと歌われるM4「フィナーレの風」は、少し大人びた感じではあるけれども、この辺は許容範囲だろう。だが、ここまで述べてきた楽曲以外は相当に個性的である。毒にも薬にもならないどころか、強烈な毒であり、特効薬ともなり得る──そんな感じだ。タイトルチューンのM5「AXIA 〜かなしいことり〜」はこうである。

《ごめんね 今までだまってて/本当は彼がいたことを/言いかけて言えなかったの/二度と逢えなくなりそうで…》《今ではあなたを好きだけど/彼とは別れられない/それでもあなたを忘れない/ふたりは迷ったことりね…》《優しい言葉とため息で/そっと私を責めないで…》《優しい言葉とため息で/そっと私を捨てないで…》(M5「AXIA 〜かなしいことり〜」)。

男を煙に巻くような行為をする女性を小悪魔などと言うことがあるが、この主人公はほぼ悪魔ではなかろうかとすら思う。二股かけておいて、いくらなんでも《ふたりは迷ったことりね…》はないだろう。でも、この感じは、斉藤由貴によく似合っている。M1「卒業」やM3「青春」、あるいは《フワリ》《Fwa Fwa》とは異なる、彼女のもうひとつの側面だ。この曲は銀色夏生氏が“斉藤由貴に歌ってほしい”と持ち込んだものだというが、彼女は斉藤由貴の表現者としての本質を見抜いていたんだと思う。銀色夏生氏は作詞家であるが本職はメロディーメーカーではないだろうから、M5のメロディーはその他の曲に比べて抑揚に乏しい印象ではあるのだが、その淡々とした感じがむしろ悪魔的であって、そこもとてもいいと思う。

そんなイメージを引きずったまま、続けてM6「白い炎」を聴いたからか、2ndシングルでドラマ『スケバン刑事』の主題歌であったこの曲もまた単なるアイドルソングには聴こえなかった。

《あなたと彼女 バスを待つ/その時街は 色をなくした》《最後の5が 押せなかったテレフォン/燃える胸は 熱い痛みです》《ふたりを乗せた バスが行く/あなたの部屋と逆の方へ/初めて恋を こえました/その時風が 夢をちぎった/ためらいばかりを 閉じこめたダイアリー/にじむ涙 白い炎です》(M6「白い炎」)。

こうして歌詞だけ見ると、女の子のいじらしさを綴ったものに見えるし、それはそれで間違いないのだろうが、ドラマチックなイントロといい、頭からビシッと厳しく叩かれているスネアドラムといい、多用されているオケヒといい、間奏で激しく鳴くエレキギターといい、そのサウンドからはこの物語の背景に尋常ではない感情が横たわっていることを感じざるを得ないのである。サビが特に秀逸で、小刻みに鳴らされるストリングスはちょっとホラー映画っぽく、自ハモはどこか二重人格的であって、スリリングかつシリアス。薄っすら恐怖を感じさせる仕掛けではないかと思う。作家はもちろん、アレンジャーの武部氏の仕事も天晴れだが、そうした演出を可能としたのも斉藤由貴のポテンシャルの高さであったことは言うまでもないだろう。

アイドルらしからぬ構成が良い

斉藤由貴の凄みはまだまだ続く。以下、歌詞をザっと見てみよう。

《もしも偶然 すれ違ってなければ/束ねたこの髪 ほどいてはいないでしょう》《そしてあなたは昔の上級生/ときおり写真でなぐさめてくれたはず・・・》《教えてください 忘れることって/聞かせてください こんなにつらいの?》《教えてください 大人になるって/聞かせてください こんなにつらいの?》(M7「上級生」)。

《あなたの瞳に映る私は/なんて妖しげ少し淫らなの/愛した時から変わり始める/そんな自分が怖いの》《銀河に浮んだ星のように/キラキラ輝く私の心》《ロマンス感じさせて優しく/涙をそそぎたいの あなたへ》(M9「感傷ロマンス」)。

《誰の声なの 電話の女性(ひと)は・・・?/あなたの名前を 軽く呼び捨てにした》《哀しみなだめて しずめて/いくすじかの雨が描く/窓硝子のスクリーンに/そっと字幕を入れてみる》《まだまだ恋はこれからだと/私のためだけ・・・ 雨のロードショー》(M10「雨のロードショー」)。

まずM10。アイドル的な人気を誇った女性シンガーの1stアルバムの締め括りが悲恋というのがすごい。《まだまだ恋はこれからだと》辺りは、デビューしたばかりの初々しさと掛けていたのかもしれないし、タイトルがいかにも女優らしいところではあるが、このフィナーレだけ見ても、『AXIA』、あるいは斉藤由貴が単なるアイドルではなかったことがよく分かる。

M7は《束ねたこの髪 ほどいてはいないでしょう》が艶っぽく、明らかにM1、M2、M8から一歩進んだ感じというか、むしろそれらで構築したものを軽く壊すような意気込みすら感じられて味わい深い。また、リバースっぽい音処理と、Bから入るストリングスアレンジが実に不穏であり、情念の深さを感じさせることで、その異なる世界観を完成させていると思う。M9はタイトルほどにはセンチメンタルな印象はなく、若干ファンキーなギターとか、パーカッシブなリズムとか、どこか享楽さを孕んでいるような気すらするが、何と言っても《なんて妖しげ少し淫らなの》のフレーズにドキッとさせられる。当時の衝撃はいかばかりだったかと今となってもお察しするところだ。《ロマンス感じさせて優しく/涙をそそぎたいの あなたへ》辺りは“ちょっと何言ってるかわからない”((c)サンドウィッチマン)とか、“君が何を言っているのかわからないよ”((c)碇シンジ)とか言いたくなるが、その辺は《フワリ》《Fwa Fwa》としておいたのであろう。心憎いまでにとてもよくできたアルバムなのであった。

TEXT:帆苅智之

アルバム『AXIA』

1985年発表作品

<収録曲>
1.卒業
2.石鹸色の夏
3.青春
4.フィナーレの風
5.AXIA 〜かなしいことり〜
6.白い炎
7.上級生
8.手のひらの気球船
9.感傷ロマンス
10.雨のロードショー

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