ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.16 〜つかの間の休息〜

事前の情報不足もあって、若干の不安と共にカルディナで走ったロシア大陸。
1日あたり悪路を1000km以上走行するようなハードな毎日の連続だったが、ロシア西端に位置するサンクトペテルブルクに至り、ようやくひと息つくことができた。このロシア第二の都市は、帝政ロシア時代の首都であり、そしてまたロシア革命勃発の地でもある。18、19世紀の建造物が美しく立ち並ぶ、その歴史的な街並みを満喫した。
文:金子浩久/写真:田丸瑞穂
※本連載は2003〜2004年までMotor Magazine誌に掲載された連載の再録です。当時の雰囲気をお楽しみください。

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ユーラシア大陸自動車横断紀行 Vol.15 〜タイヤを刺される〜

ロシアを離れる前にサンクトペテルブルクで楽しむつかの間の休息

刺されたタイヤも交換できて、B&Bにも3泊分の予約とともにチェックインできた。あとは、4日後のフェリーに無事に乗船するだけだ。カルディナは、ヴォスターニャ広場の駐車場に預けてある。

やるべきことは、すべてやり終えた。明日からの3日間は、ここサンクトペテルブルグで、ようやく少しの休息を取ることができる。

ウラジオストクからここサンクトペテルブルクまで、トラブルはあったものの無事にロシア横断を終えたカルディナ。当初は陸路でのヨーロッパ入りを予定していた。だが東欧諸国の社会情勢などを考えた結果、フェリーでドイツに入ることにした。

この日の晩は、ロシアを無事に横断できた祝杯を挙げることにした。

酒とつまみは、フォンタンカ川を渡ったネフスキー通り沿いのパサージュ百貨店で仕入れた。ロマノフ王朝時代の1848年に建設された建物は、1990年に改装されている。店内は清潔で整理整頓されている。これまで入ってきたロシアの他の店々からは想像できない。ここはもう、完全にヨーロッパだ。

味わうためでなく酔うために飲むウォトカ

ロシア産のビール、グルジア産のウォトカ、つまみのチーズ、ナッツ、魚のパテ缶、アレクセイさんが「ウォトカにはこれじゃなきゃ」と強調するキュウリの酢漬けなどを買う。

B&Bで割り当てられた部屋はそれぞれ違っていたので、一番広い田丸さんの部屋で宴が始まった。大きなダブルベッドの上には、デジカメから画像を取り込んでいるマッキントッシュのパワーブック、腰痛のための常備塗り薬などが散らかっている。

僕が、そこそこ味わいのあるグルジア産ウォトカをチビチビと味わって飲んでいると、それを見たアレクセイさんがダメだという。

「臭いウォトカは、こうやって左手の指で鼻をつまみながら、グッと一気に飲み干さないと!」

臭さ、イコール風味なのではないか。40度以上あるウォトカを一気に飲み干したりしたら、すぐに酔っぱらってしまうじゃないか。ロシア人は、ろくに味わいもせず、たた酔うためだけに飲んでいる。酔っぱらいが多いわけだ。

「何を言っているんですか。酔っぱらうために飲むんじゃないですか」

そう言う彼は、もう酔っぱらい始めている。

ユーラシア大陸最西端のロカ岬に辿り着くまでにはまだ少し行程が残っていたが、どうにかロシアの西の端まではこうしてやってくることができた。少しの到達感とともに飲む酒がとても美味い。他愛もない話題で盛り上がる。

アレクセイさんに教えてもらうまでもなく、ここまでの旅でロシア人の飲み方の激しさは少しはわかっていた。味わうのではなく、酔うために飲んでいる。そうしたロシア人の飲み方に、田丸さんは同じ飲み方で付き合う。薄い琥珀色のウォトカが、どんどん減っていく。伏木港からウラジオストクまでのフェリーでも、中古車ブローカーの酔っぱらいイーゴリとベロンベロンになっていたっけ。

翌朝、案の定、僕らは二日酔いだった。アレクセイさんは、起きてこない。他の部屋に泊まっていたフランス人の若い男ふたりがチェックアウトしていく。

ここの経営者のオバちゃんは、60歳代後半のロシア人。日本の西野式という体操をやっているので健康だとロシア語で説明してくれる。共同のキッチンで、備え付けの紅茶を沸かし、卵を茹で、トーストを焼いて朝食を摂る。

本日の予定は、僕はいつも通りデジタル画像と日記を東京へ送信。田丸&アレクセイのふたりはエルミタージュ美術館を見学に行くと言う。

デイパックにノートとiBookを詰め込み、ネフスキー通り沿いに大きな看板を出していた「Cafe Max」というインターネットカフェにまず出掛けてみた。

ビルの広いワンフロアを改装し、100台以上のパソコンが整然と並んでいる。談笑用のソファやテーブルも併設され、カウンターで買った飲み物とケーキで一服付けている若者も多い。インテリアは清潔で、デザインセンスも十分に現代的だ。東京やニューヨークのインターネットカフェと違うところがどこにもない。

客も、あか抜けている。電源コンセントに近い席が空いたら、すぐに座ろうと構えていたら、そのテーブルにたむろしていた女子高校生風の3人組が、なかなかどいてくれない。

観察していると、少し離れたテーブルの男の子のグループと近付きたいのだが、向こうが気付いてくれない様子だ。

彼女たちの出で立ちが、西ヨーロッパや日本の都市の女子高生のようだった。ヒップハングのジーンズにバーバリー・ブルーレーベルの新作シャツを合わせ、プラダのバッグから携帯電話を取り出している。メイクだって、ばっちり決まっている。親に相当の収入があって、小さな頃からこうやって街で遊んでいない限りできない格好だろう。

ウラル以東の、夜な夜な村の広場にモゾモゾ集まってきていた、ジャージ姿の娘たちとは全然違う。消費経済の発展具合の違いが、こうまで風俗を変えるとは。これに較べれば、日本なんて北海道から沖縄までノッペラボウの国だ。

結局、インターネットカフェでは自分のiBookでアクセスすることはできなかった。店のコンピュータに接続されているLANコードを引き抜き、自分のにつないでも反応しない。ここでも、マッキントッシュは駄目なのだ。

仕方がないので、hotmailに転送しておいたメールチェックだけで済ます。旅の様子を訊ねるメールが知人から届いており、うれしい。

ネフスキー通り斜め前の、狭く、だいぶくたびれたインターネットカフェに上がっていってみたが、ここは門前払いだった。自分のパソコンを接続してはいけないという。ロシア流にぶっきらぼうに断られたが、向かいのピザハットに入り、ランチを摂って、気分を変える。

この街にはマクドナルドを始め、資本主義の権化のようなファーストフードチェーンがたくさん進出している。ひとりで昼飯を摂るのに困ることは全くない。ピザハットを出て、もう一軒のインターネットカフェも同じように断られた後に、解決策を思い付いた。

「大きなホテルのビジネスセンターに行けばいいんだ!」

19世紀と現代が混在する大都市の不思議な印象

ピザハットの斜め前の五つ星ホテル、パレスホテルに入ってみた。レセプションの対応もよく、段取ってくれたが、一時不在のビジネスセンター担当者を待たされるのを待ち切れず、出てきてしまった。

そこから数十歩西へ歩くと、今度はSASラディソンホテルがある。ここは、レセプション脇のビジネスセンターをすぐに使わせてくれた。敷設されていたLANコード経由では自分のマックはつながらなかったが、ダイアルアップでインターネットに接続することができた。

ここで送稿作業を終え、B&Bに戻ったら、すでに夕方になっていた。じきに、田丸さんとアレクセイさんも戻ってきて、散歩しながら夕食を摂りに出掛けることにした。

サンクトペテルブルグは帝政ロシア時代に首都だっただけのことがあって、整然とした街並みが美しい。資本主義による無秩序な開発から無縁だったためか、石造りの古い建物が運河沿いにたくさん残されている。結果的に、社会主義が街並みの整いを守ったことになる。

そのクラシックな雰囲気にひかれて、思わず室内を撮影した駐車中の1台。60年代前半製の「ボルガ」だと思われる。

サンクトペテルブルグが他のロシアの街と決定的に違うのは、道を走っているクルマを見てもわかる。ジグリやボルガも走っているが、眼にする割合が圧倒的に小さい。ポンコツ車も、珍しい。

大多数は、西ヨーロッパの街々と変わらず、フォルクスワーゲンやオペル、フォード、ルノーなどだ。メルセデスベンツやBMW、アウディなどの高級グレードも違和感なくストリートに溶け込んでいる。ポルシェも、何台も見た。

街並みは19世紀的なのに、走っているクルマと店々は現代を体現していて、不思議な感じがする。

ネフスキー通りをフォンタンカ川沿いに北へ曲がり、レストラン「プロパガンダ」に入ってみた。店は、川に面した古い建物の半地下スペースをリニューアルしたもので、その外装とインテリアに惹かれたのだ。ロシア構成主義風、ロシア・アバンギャルド風のデザインが施されているのだ。

でも、メニューにはフレンチやイタリアンのそれらしい料理が並んでいる。ワインリストだって、分厚い。そして、値段も西ヨーロッパ並みの高さだ。つまり、金持ちで流行の先端を行く人を相手にしたレストランなのだ。当然のように、席は予約で一杯で、飛び込みの僕らは座ることはできなかった。

この店は、いまサンクトペテルブルグで最もオシャレでイケてる店らしかった。翌日、SASラディソンホテルのビジネスセンターでインターネットにアクセスしていると、すぐ横にいるコンシェルジェに、予約を頼みに来る宿泊客が続けて二組現れていたからだ。いずれも、センスのいい高そうな身なりをしていた。

ロシアの他の街では、様々なかたちでソ連時代の呪縛から完全に解き放たれていない側面が確認できたが、サンクトペテルブルグでは違っていた。むしろ、呪縛を遺産化し、このレストランのように積極的にビジネス・コンテンツとして活用する段階に達している。もう一度、行ってみたい。
(続く)

サンクトペテルブルクを出発して、フェリーで次なる地のドイツを目指す。海を渡る風は冷たく、そして時間は退屈に過ぎていった。

金子 浩久 | Hirohisa Kaneko
自動車ライター。1961年東京生まれ。このユーラシア横断紀行のような、海外自動車旅行を世界各地で行ってきている。初期の紀行文は『地球自動車旅行』(東京書籍)に収められており、以降は主なものを自身の ホームページ に採録してある。もうひとつのライフワークは『10年10万kmストーリー』で、単行本4冊(二玄社)にまとめられ、現在はnoteでの有料配信とMotor Magazine誌で連載している。その他の著作に、『セナと日本人』『レクサスのジレンマ』『ニッポン・ミニ・ストーリー』『力説自動車』などがある。

田丸 瑞穂|Mizuho Tamaru
フォトグラファー。1965年広島県庄原市生まれ。スタジオでのスチルフォトをメインとして活動。ジュエリーなどの小物から航空機まで撮影対象は幅広い。また、クライミングで培った経験を生かし厳しい環境下でのアウトドア撮影も得意とする。この実体験から生まれたアウトドアで役立つカメラ携帯グッズの 製作販売 も実施。ライターの金子氏とはTopGear誌(香港版、台湾版)の 連載ページ を担当撮影をし6シーズン目に入る。

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