アルコール依存症にも… 波瀾万丈、歌舞伎役者・大谷桂三は「腐らず、流れに身を委ね」

400年以上の歴史と伝統を持つ「歌舞伎」の世界で活躍する1人の歌舞伎役者を密着取材しました。そこには、波瀾(はらん)万丈な人生を歩みながらも自然体であり続ける姿がありました。

二枚目から女形、そして敵役など、どんな役も演じて舞台を支える歌舞伎役者の大谷桂三さん、70歳。大谷桂三さんといえば今をときめく歌舞伎界のプリンス、2代目尾上松也の叔父に当たり、初代の尾上松也です。歌舞伎役者として生きたその半生は、まさに波瀾万丈なものでした。

1950年、桂三さんは劇団新派(現代劇)の役者の父と清元節のうたい手である母の三男として、東京・中央区銀座で生まれました。邦楽の演奏家でもある母は歌舞伎役者の知り合いが多く、桂三さんが物心つく頃には、すでに上の兄2人が役者の弟子入りを果たしていました。桂三さんも9歳の時、人間国宝の2代目尾上松緑の弟子となり、初代尾上松也を襲名します。

人間国宝の演技に魅了された桂三さんは当時のことを「松緑さんは恰幅(かっぷく)がよく堂々たる体形だが、女形の踊りを踊り出したら一つ一つのしぐさが本当にかわいらしい娘みたいに見えてくる。子ども心に、芸とはすごいものだと思った」と語り、師匠の下で、芸とともに大事な人生観も学びました。桂三さんは当時を振り返り「しょげていると(松緑さんは)『何だよおまえ、元気ないじゃんか。役者というのは突然うまくできる時があるから、続けていればいい』と慰めてくれた」と語り、「腐らず、流れに身を委ねる」ことを会得したといいます。

その教えを胸に、14歳には別の師匠の芸養子として迎えられて4代目坂東志うかを襲名、さらに23歳で独立を果たし、初代大谷桂三に改名します。まさに順風満帆な役者人生と思われた桂三さんでしたが、大好きなお酒が災いします。酒に依存して舞台に穴をあけるようになり、療養のため舞台から離れることになってしまいました。

そして英会話教材の営業など日雇いの仕事で生計を立てる日々を送るようになった桂三さんの心を支えたのは、師匠の教え「流れに身を委ねる」でした。桂三さんは「その時々の環境で楽しんで生活していたとは思う。だから、舞台に戻りたいからといってイライラするようなことは一切なかった」と振り返ります。

そんな桂三さんに転機が訪れます。慶応大学で歌舞伎研究会の講師をやってほしいという依頼でした。"舞台に立てなくても歌舞伎の魅力を後世に伝えることはできる”という思いで桂三さんは講師を引き受けました。

舞台を離れて14年の月日が流れる中、かつてのファンや歌舞伎を教えている学生たちから舞台復帰を熱望するの声が上がったのです。そして復帰初日、幕が開くその時、桂三さんの胸にこみ上げてきたものは「お客さんがいっぱいの中、何か"魂が喜ぶ”ようなもの。やっぱり歌舞伎が好きだったんだという感覚」だったといいます。

現在、桂三さんは長男の龍生さんや弟子の桂太郎さんとマスクを着けながら稽古に励んでいます。歌舞伎の世界でも新型コロナの影響は深刻です。公演は1年以上延期されていましたが、緊急事態宣言の延長に伴って、さらなる公演延期を余儀なくされています。

そんな中、一筋の光が差し込んできました。芝居を撮影して、動画を配信することになったのです。桂三さんは「もちろん生の舞台をご覧いただきたいが、期待してずっと待ってくれている人もいる。『公演予定だった私が作ったお芝居は、こういうお芝居だったんだ』とご覧いただければ」と語り、「必ずお客さまの前で芝居ができる日は来ると願い、焦らず、今は流れに身を委ねることだと思っている」と穏やかに語ってくれました。

苦を苦と捉えず、波瀾万丈さえも楽しみとしてきた桂三さんは、これからも「流れに身を委ねて」歩みを進めます。

© TOKYO MX