『ビリー・アイリッシュ:世界は少しぼやけている』レビュー:一人の稀有なミュージシャン、そして一組の家族の物語

Apple TV+にて2021年2月26日から配信されたビリー・アイリッシュ(Billie Eilish)初となるドキュメンタリー『ビリー・アイリッシュ:世界は少しぼやけている(原題:Billy Eilish: The World’s A Little Blurry)』。

この作品について、音楽ライターの新谷洋子さんによるレビューを掲載します。

<予告編:ビリー・アイリッシュ:世界は少しぼやけている — 公式予告編 | Apple TV+
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これは、今のポップ・ミュージックをエキサイティングにしている一人の稀有なミュージシャンの物語であると共に、一組の家族の物語でもある――。

自身の楽曲「ilomilo」の歌詞を引用して『ビリー・アイリッシュ:世界は少しぼやけている』と題された、Apple TV+制作のドキュメンタリー・フィルムを見始めて、まず最初に多くの人がそう感じるんじゃないだろうか。実際キャストとしては、ビリーのほかに3つの名前がクレジットされている。彼女の音楽的パートナーでもある兄のフィニアス・オコネル、母のマギー・ベアード、父のパトリック・オコネルと、幼い頃から彼女にやりたいことを自由にやらせてクリエイティヴィティを育み、“ビリー・アイリッシュ”を形作った3人の人物の名前が。

よって本作の主なる舞台は、ロサンゼルス北東部ハイランド・パークにある、ビリーとフィニアスが生まれ育ち、ビリーが現在も暮らしているブラウンの屋根とブルーグリーンの壁のつつましい一軒家。我々は冒頭で、2015年11月に公開されて彼女の存在を世界に知らしめた曲「Ocean Eyes」を、フィニアスのベッドルームでレコーディングする兄妹と出会う。以後監督のR・J・カトラー(米『ヴォーグ』誌編集長アナ・ウィンターを取り上げた『ファッションが教えてくれること』や俳優のジョン・ベルーシに関する『Belushi(日本未公開)』など、人物像に迫る作品で知られるアメリカ人の映像作家)は、現役アーティストをテーマにしたドキュメンタリーに多いインタヴューを中心にした構成ではなく、専ら“フライ・オン・ザ・ウォール”のスタイルでビリーの物語を進めていく。つまり、自宅やツアー先での彼女に長期間にわたって密着してカメラで追い、会話を拾って、ありのままを記録するという形だ。

実質的には2018年春から約2年程度を網羅する、かなり膨大な量だっただろう映像素材を、監督はたっぷりのパフォーマンスの映像やオコネル家のホームムービーを交えて、140分超の尺に編集。順風満帆のように見えた活動の裏側で起きていたことを、ビリーは楽曲と同様にフィルター無しにさらけ出しており、16歳から18歳までの彼女を我々も一緒にそばで見守っている気分にさせる、実にインティメート(親密)な作品に仕上げている。

ご存知の通り、「Ocean Eyes」で脚光を浴びて大手レーベルと契約したビリーは、スピーディーに熱狂的なファンを獲得してブレイクを果たしたわけだが、本作がカヴァーする2年間と言えばまさに、いよいよ彼女を巡る状況が過熱した時期。世界中でソールドアウトのライヴを行ないながらファースト・アルバム『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』を制作して、リリースし、絶賛されて、大ヒットを博し、さらにツアーを続けて、最終的には2020年1月の第62回グラミー賞で主要4部門を含む5冠に輝くに至るまで、アップダウンを繰り返して激動の日々を過ごした。

センシティヴなパーソナリティゆえに自分を取り巻く環境の変化に戸惑い、名声や成功のプレッシャーをうまく処理できずにいるビリーの葛藤が、ここには克明に刻まれている。フィニアスは、インターネット上のペルソナを過剰に意識しているため、少しでも自分が嫌われる可能性があることはしたがらないという潔癖症に近い性格を指摘するが、それを維持することは有名になるほどに困難になるし、ソングライターとして率直過ぎることも彼女を無防備なポジションに追い込む。

それに、本作が繰り返し触れるファンとの関係も、言わば諸刃の剣だ。どんなに落ち込んでいても、自分を待っていたファンを目にすると、満面の笑みを湛えて駆け寄っていくビリー。ファンに持っているものを全て与えたい気持ちはさらなるプレッシャーとなり、足を痛めて歩けなくなってもステージに立ってジャンプしてしまう。自分を大切にすることと周囲の人たちをハッピーにすることのバランスが見出せず、ハードなスケジュールをこなしながら、肉体的にも精神的にも消耗していく。(そんな風に書くと重苦しい作品を想起されてしまいそうだが、ヨーロッパのどこかでインタヴューを受けている時に、中年男性の記者たちが神妙な面持ちでビリーの言葉に耳を傾けてメモをとるシーン、ルイ・ヴィトンの服を自宅で自ら洗濯しているシーンなどなど笑いを誘う場面も多々あり、それらもまた、彼女の体験のシュールさを物語っている)

この辺までは想像に難くなかった。自傷癖の過去やトゥレット症候群を患っていることも周知の事実だったのだが、本作は、今まで公の場で語ることがなかった元ボーイフレンドの存在を明かし、ふたりの波乱含みの関係も彼女の心に重くのしかかっていたことを我々は知ることになる。彼こそは「bitches broken hearts」や「I love you」といった、気持ちのすれ違いを題材にした曲のインスピレーション源なのだろう。

そんなビリーと一切フィルターのない会話を交わし、終始寄り添っているのが、両親とフィニアスである。

家族の形は色々あるけど、「ひとつのでっかい曲」と彼女が形容するオコネル家は、固い絆と音楽への愛で結ばれた興味深い一家だ。母に曲の作り方を、父に楽器の弾き方を教わって、兄と共作するビリーにとっては、音楽イコール家族。前述したフィニアスの小さなベッドルームで、或いは旅先のホテルで兄妹が音を鳴らし、アイデアを投げ合い、ふざけながらお馴染みの曲の数々を形作っていく様子は、マジカルとしか評しようがない。他方の両親も、娘にとって最良の環境を作り出そうと心を砕いて、厚い防護壁を築いているが、今の時代にティーンエイジャーとして生きることの辛さを語る母の言葉は理解の深さを窺わせ、彼女が道を踏み外すことはないだろうと確信させる。

また本作はもうひとり、ビリーに安全な場所を提供してくれる人物、子供の頃から家族以外で最も強い絆を感じていた人物にも、スポットライトを当てている。ほかでもなくジャスティン・ビーバーのことだ。彼女が、現時点での最大のヒット・シングルである「bad guy」のリミックスに参加したジャスティンの熱狂的なファンであるのは有名な話で、この上なく純粋でひたむきなジャスティンへの想いが、自身のファンに対するアティチュードに反映されていることは間違いない。

が、ここにきて一方通行だったその想いは双方向に行き交うようになり、同じく若くしてスターなってプレッシャーに苦しんだジャスティンは、かつての自分の姿を彼女に認め、才能にも惚れ込み、一種のメンターになっていく。2019年4月のコーチェラ・フェスティバルでふたりが対面するシーンは本作において最も印象的なシーンのひとつであり、ビリーを黙って抱き締めるジャスティンの表情から読み取れる「君が置かれている立場を僕は完全に理解している」というエンパシーを、ビリーはひしひし感じていたのだろう。

アルバム発表直後の大舞台だったコーチェラ・フェスティバルはちなみに、彼女の新しいリアリティを象徴する、本作前半のクライマックス。今後自分が担う役割の大きさをビリーが悟った瞬間だ。ジャスティンだけでなくケイティ・ペリーからもアドバイスを受けた彼女は、ある種バトンを渡されたようでもあり、この週末に激しく揺れたビリーの心の動きを、監督が特に時間をかけて描いているのも納得がいく。

こうして家族や先輩、友人やスタッフに支えられ、経験から学びながら、彼女が少しずつぼやけていた世界をクリアにしていく中で、ふっと空気が軽くなる、これまた印象的なシーンが終盤にある。

2019年の終わりくらいなのだろうか、愛車を運転しながらビリーは、自分についてポジティヴな事実――グラミー賞で6部門にノミネートされたこと、憧れの車を手に入れたこと、ドーナツを食べたこと、恋愛をしていないこと、家族といい関係にあること、それなり可愛いこと、ヤバいくらい有名なこと――を並べてみて、“Life is good(人生は素晴らしいよね)”と自分に言い聞かせる。そしてエンドロールで流れるのは「my future」。昨年春、未来への期待感を膨らませながら綴ったシングル曲だ。待望のセカンド・アルバムへの直接的な言及は本作にはないのだが、もう完成は間近だといい、ひとつの時代にそっと蓋をする本作は、同時に、そろそろ始まる次のチャプターの無限の可能性を示唆している。

Written by 新谷洋子


『ビリー・アイリッシュ:世界は少しぼやけている』

瞬く間にスターダムへと駆け上がった、ビリー・アイリッシュの本当の姿。『ビリー・アイリッシュ:世界は少しぼやけている』では、ツアーや彼女の人生を変えることとなったデビューアルバムの制作の様子を描き出す。2月26日より、Apple TV+で公開

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