僕には「お母さん」が4人いて救われた。パックンが調べた貧困支援

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母子家庭で育ち、幼少時代は国から食料支援を受けるような貧困状態にあったパックン。

そんなパックンが、日本の子どもの貧困の現状を取材しつつ、自らの生い立ちを振り返った著書『逆境力』(SB新書)を出版した。フジテレビュー!!では、1年以上にわたるパックンの取材に同行。その内容を連載でお届けする。

>>>【vol.1】両親の離婚がきっかけで貧乏になった。

今回取材したのは、子どもに無料で質の高い学習支援をおこなっているNPO法人キッズドア。

キッズドアに来ていた子どもたちと直接話をしたあと、事業を始めた渡辺由美子理事長から話を聞いた。

キッズドア・渡辺由美子理事長

僕はお母さんが4人いるけど…

パックン:キッズドアを始めたきっかけを教えてください。

渡辺理事長:私の子どものクラスメートの中に、親が離婚して、お母さんの実家の近くに戻って来たというひとり親家庭があったんです。

その子はすごく乱暴だとか、ちょっと派手だって、学校で言われていて。そこで、ちょっとうちに連れてくればと。一緒に遊んだりすると、その子も良くなるかなと思って。

小学校低学年だったので、遊びに来ても、夕方5時ぐらいになったら帰った方がいいよって言うんだけど、帰りたがらない。色々話を聞いて行くと、お母さんはずっと働いているんですね。だから、帰っても誰もいないわけですよ。

「お腹空いたなら、おにぎりでも食べる?」って渡したりしていたんですが、こういう家があるんだなと実感しました。

夏休みだと本当にどこにも行かないんですよね。「遊ぶ時は、必ず声をかけてね。僕はいつでも暇だから」って言うんです。

夏休みは40日あったら、40 日、お母さんは毎日働きに行っていて、アパートで1人とか、お兄ちゃんと2人とかで、辛いよなって。勉強がどうのと言うよりも、社会体験や色んなことを子どものうちにさせるのって重要なのに、この子は何もない。この子は「大きくなった時に、ああいう職業につきたい」とか思えないだろうなと思って。

こういう子たちのために何かお手伝いしようと思って、最初は NPOなど探していたんです。

ところが、当時2005年くらいの時には、日本の子どもを支援するNPOは私が探した限りでは見つからなかったんです。アジアやアフリカの貧しい子ども達の支援をする団体はたくさんあったんですけど。

パックン:なるほど。それも大事ですけどね。

渡辺理事長:あとは、重い障害や重い病気のあるお子さんを支援するという団体はあったんですけど。私がやりたかったのは、たまたま生まれた家がちょっと難しい家だったりした時に、その子の受ける不利益があまりにも大きすぎるから、それをなんかしたいと思っていたので、誰もやってないのなら、ちょっと自分でやり始めるかとスタートしたのが、キッズドアです。

パックン:僕も子どもの時、お母さんがずっと夜遅くまで働いていたから、放課後誰もいない家に帰ることになると、それは寂しかったですよ。

その時、近所の同級生のお母さんが「いつでもおいで」って言って、よくクッキーとか作ってくれました。自分の子どもがいなくても僕は遊びに行けることになっていて、ああいう家があって助かったんですよ。

そういう家庭は、小学校の時代、中学校の時代、 高校の時代とそれぞれ別々にあって、僕は地元に帰ると「お母さん」と呼ぶ人が4人ぐらいいるんです。

その「お母さん」の支えがあって乗り越えられた面があるんですけど。

日本では、相手の家庭事情がバレたら逆に相手が恥ずかしくなるだろうから言えない、誘うと相手に悪いみたいな、ちょっとした遠慮もあるような気がします。

「あそこへ行けば、食える」があるだけで違う

渡辺理事長:日本では虐待の通報の件数がものすごく増えているけれど、通報を受けて行くと、お母さんはいなくて子どもだけで家にいたりするんです。お母さんは別に遊び歩いているわけじゃなくて仕事している。

昔はこういう子がいたら、隣の家のお母さんが「どうしたの」って声かけて、「お母さん帰っていないんだったら、うちでご飯でも食べて待ってよう」ってなっていたんだけど、いつの頃からか、子どもが外で泣いていると、声をかけるんじゃなくて通報をするようになってしまったんです。

キッズドアも、そんな大したことをやっているわけではないんです。学習会によってはご飯を食べさせて、勉強しなねって言って、分からないところを教えてあげる。特別なことではないんです。

「将来は通信系の仕事をしたい」と勉強する子ども

パックン:毎日ご飯があるんですか?

渡辺理事長:全部の学習会という訳ではありませんが、場所によっては来た子には毎日ご飯を出しています。例えばここがそうです。コロナの前までは手作りでやっていたんですけど、今は作れないので、お弁当ですね。

パックン:素晴らしいなあ。僕、子どもの頃はお母さんが1食1ドル以下の予算で、ずっと何年も生活していたんです。

小学校は、英語でフリーランチって言うんですけど、払える家庭だけ払うんですよ。払えない家庭はただでもらうんですけど、あのフリーランチをどれだけありがたく思っていたか。しかもチョコレートミルクが毎日飲めて、すっごい幸せだったんですね。

「あそこへ行けば、食える」っていう拠り所があるだけで、どんなに精神的に助かるのか。

渡辺理事長:卒業していく子は、ここの思い出でそういう風なことを語るんですよね。「ご飯が美味しくて、美味しくて、美味しくて」って。 あんなに勉強教えてあげたのにって思うんですけど(笑)

「やっぱり、みんなで食べるのが嬉しい」って。

「みんなと会えるので外へ出るようになった」と語る子どもたち

パックン:国から子どもたちにお金は出るんですか?

渡辺理事長:高校生にはないんですよね。中学生までは割と色々な支援があるんですが、高校は義務教育じゃないからって、本当に冷たいんです。

だから、私たちが見ているような子は、ほぼみんな高校に入ったらバイトをするんです。一番大変な子は高校に行くお金を全部バイトで稼いでいる。

いまコロナ禍で、高校生もアルバイトができないから大変なんですよね。電車の定期券を買いたいんだったら自分でバイトして買わないとダメで、自転車で通っているという子もいます。

支援をちゃんとしてあげれば、みんなすごく伸びていくのに、自己責任だからと周りがサポートしなかったら本当にダメになっちゃうと感じています。

パックン:子どもは「種」ですよね。水と太陽を与えないと、花は咲かない。でも栄養、太陽、水を与えれば、花咲きますね。

渡辺理事長:本当にそうなんですよ。だから、こういう場所が本当に重要だなと、寄付を集めてやっているんです。

政府にも「お金がない高校生って本当に大変だからサポートしましょう」って言っているんですけど、行政がやるところには、まだなかなかいかないので。

それでも企業などに行くと、社員が本当に涙を流して「そんな子が日本にいるのね、気づかなかった」と言って、色んなご支援に繋がったりするんです。知れば、みんな応援してくださると思うので、いかに知らせていくかが大事だと思っています。

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