<書評>『ハワイと沖縄の架け橋 織りなす人々の熱い思い』 今後の発展 糸口見いだす

 1世紀余にわたる沖縄移民の歴史は、1900年に沖縄からハワイに渡った人たちによってその扉が開かれた。「移民の世紀」の始まりである。その後、南米や北米、カナダ、南洋群島にも多くの沖縄人が入植した。本書はハワイに渡った人たちがどのようにその社会で生きてきたのかを書いた人物誌である。
 第一編「ハワイ沖縄移民の足跡と飛躍」、第二編「東西センターの異文化交流・人材育成」の2編からなるが、253ページの本書の205ページまでを第一編に割いているのを見ても、本書の狙いがこの人物誌にあることが分かる。
 著者はなぜハワイのウチナーンチュに関心を抱いたのか。それは1962年にハワイ大学大学院に留学したときのことだ。すでにハワイでは沖縄系の2世、3世たちが台頭し、各界で活躍していた。貧困を背負って海を渡った人々が、なぜここまで活躍するようになったのか。ハワイの発展は、今後の沖縄のヒントになるかもしれない。その疑問を解き明かすために、時間を割いて各界のリーダーたちにインタビューして回る。そのころは1世たちもまだ健在であった。
 牧師の比嘉静観、戦後救援活動の安里貞雄、慈光園の開教師・山里慈海、『実業の布哇』社長の当山哲夫、『洋園時報』の金城珍栄、『ハワイタイムス』編集局長の湧川清栄など、今では古典的な人たちだ。リーダーたちの語るライフヒストリーは、いずれも衝撃的でドラマに満ちていた。著者はそれらを書きとめ、郷里の新聞に書き送る。この時の取材体験が著者とハワイをつなぐ原点となる。
 その後、著者は、沖縄県知事公室長や那覇市助役などを務め、行政サイドから再びハワイと関わる。要職を離れても沖縄ハワイ協会会長となり、沖縄系のイゲ・ハワイ州知事招請や、ハワイ沖縄プラザの建設募金で活躍。現在、「世界ウチナーンチュセンター」設置支援委員会の共同代表を務めるが、長年のハワイとの交流体験の思いが、この書に込められている。
(三木健、ジャーナリスト、沖縄ニューカレドニア友好協会顧問)
 たかやま・ちょうこう 1935年本部町生まれ。沖縄放送協会、NHK沖縄放送局などを経て、大田昌秀県政で知事公室長、政策調整監。沖縄とハワイの人材・経済交流の促進や県系人ネットワーク構築に取り組む。沖縄ハワイ協会顧問。
 
ハワイと沖縄の架け橋
~織りなす人々の熱い思い~ 高山朝光 著
A5版 254頁

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