<いまを生きる 長崎のコロナ禍> 一斉休校から1年 無言の給食、友達に触れられない… 我慢強いられる子どもたち

 新型コロナウイルス感染拡大防止のため、県内で学校の一斉休校が始まって2日で1年。再開後も学校行事の多くが中止になったり、新たな生活のルールができたりと子どもたちを取り巻く環境は様変わりした。今、子どもたちはどんな日々を過ごし、何を感じているのか。等身大の姿を見つめた。

手を洗う子どもたち。触れ合いが制限されて寂しさを感じながらも、感染予防のためにルールを守る

▼大人は見本?

 長崎市の小学6年のリオ(12)は、体育の授業が終わると手洗い場に向かった。クラスメートと密にならないように気を付けて蛇口をひねる。水が冷たい。今日は何回目だろう。手が荒れた友達もいるけれど「感染しないため」と言い聞かせ、手を洗う。
 リオの母親は看護師。ある日、母の勤務先の病院を取り上げたニュース番組を偶然見た。防護服を着た看護師たちが走り回り、治療に当たっていた。母はコロナ病棟の担当ではないが、危険と隣り合わせの環境にいることを思い知った。仕事に行ってほしくないとも思う。でも母は人を助けるために懸命に働いている。「お母さん、頑張って」。毎日心の中でそう言って送り出すことしかできない。
 家でテレビをつければ、嫌というほど「コロナ」という言葉が耳に流れ込んでくる。中には、夜の街での会食など大人の無責任な行動を伝えるニュースもあった。母も、他の医療従事者の人たちも、そして自分たち子どもも一生懸命に頑張っている。「大人は子どもたちの見本のはずなのに、なぜ?」

学校生活について話す子どもたち=佐世保市内

▼マスク越しに

 2月上旬。佐世保市の小学4年のミク(10)は自宅で、同級生のユカ(10)とミマ(10)とマスク越しに会話を弾ませていた。「この1年、駆け足だったね」
 1年前に一斉休校が始まった時、ミクは不安に駆られた。「学校に行くのが当たり前のはずなのに、いつまで休みになるのだろう」。携帯電話を持たないミマは、友達に会えなくなって毎日がつまらなくなった。一人親世帯のユカは、毎日3食の用意に追われる母親の表情が険しくなったと感じた。
 1カ月後にようやく学校が再開したが、それまでの生活とは違った。給食の時間は机を寄せ合って班をつくらず、教室の壁やクラスメートの後ろ姿を見て無言で食べる。友達に触れる遊びや先生とのハイタッチもできない。ミクの1年の妹は「学校が楽しくない」と漏らした。「歓迎遠足がなくなって6年生と仲良くなれなかったし、授業も速く進んで大変なはず。1年生はかわいそう」
 いろんな我慢を強いられた1年だった。でも、感染してしまった人たちも回復するために頑張っている。早く薬ができて「怖い病気」でなくなることを願いつつも、ミクは当たり前の暮らしのありがたさにも気付いた。「コロナが収まったときに今のことを思い出せば『何もなくて幸せだな』と思えそう」と笑う。
 子どもたちも大人と同様に感染予防のためのルールや制限を受け入れながら、その中でできることを探してきた。「子どもたちは大人を冷静に見ている。自分と周囲の命を守ろうとしている彼らの学校生活への思いをどうかなえられるか、一緒に考え続けたい」。ある学校関係者は自分に言い聞かせるようにそう語った。
  =文中仮名、敬称略=


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