【連載】『令和2年度卒業記念特集』第35回 松尾虎太郎/ヨット

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完全燃焼

昨年、全日本学生選手権(全日本インカレ)で6年ぶりの完全優勝に輝いた早大ヨット部。松尾虎太郎(スポ=山口・光)は主将として、そしてエースとして1年間チームを引っ張ってきた。時には新型コロナウイルスの影響で思うような活動ができないこともあり、これまでとは異なる調整を求められた。だが、いかなる時でも松尾が貫き通したものは、常に全力を尽くして競技に取り組むことだった。

小学2年から競技を始めた松尾だが、チームスポーツとは違い、ヨットは一人で海に出てゴールに向かわなければならない。加えて、強風への恐怖心もあり、初めはヨットが嫌いだったという。そんな松尾のヨット人生に転機が訪れたのは中学2年の頃だった。当時、松尾はある国際大会の選考会に敗れ、これまで選出されていた日本代表の座を逃した。以前は勝てていたクラスで勝つことができない。胸の内には悔しい気持ちがあったが、松尾は大会に帯同できなかった期間を様々なヨットに乗る時間に充てた。「苦しい中でも頑張れたことが今につながっている」と振り返るように、この出来事は自身のヨットに取り組む姿勢を大きく変える要因となった。その後、松尾は親元を離れ、山口県の光高校に入学。厳しい環境に身を置きながら人として、選手としてどうあるべきかを学んだ。高校卒業後はいくつかの大学から誘いがある中、早大に高校の先輩である小泉颯作氏(平28スポ卒=現トヨタ自動車東日本)が進学していたこともあり、松尾は早大ヨット部に入ることを決意した。

早慶定期戦に出艇する松尾・芝崎組

当時3連覇中であった早大において1年生から大会に出ることは容易ではない。そんな環境の中でも、松尾は入学当初から頭角を現す。5月の大会でレギュラーに抜てきされると、8月の全日本学生個人選手権(全日本個選)では1年生ながら2位に入り、瞬く間に大学ヨット界に『スーパールーキー松尾』の名をとどろかせた。ただ、「できすぎだった」と語るように、当時の松尾は自分の実力に対し自信を持っているわけではなかった。「実力以上の結果が出た」ことで注目を浴びたとしても、そこからは常に周りの期待に応えられるよう結果を残す必要がある。そうした松尾の思いは、いつしか技術の向上とともに競技について深く考える原動力となった。そして、迎えた初めての全日本インカレ。早大ヨット部は歴代でも屈指の戦力を擁しながらも、2位に終わり4連覇を逃した。「どれだけ強いチームでも勝てないことがある」。松尾にとってこの大会は4年生を勝たせてあげられなかった悔しさと同時に、自然を相手にする競技の難しさを思い出させてくれる教訓として深く刻み込まれた。

入学してから2度目の秋。松尾は昨年の2位に次いで、全日本個選で初めての優勝を飾ることとなる。「ここから(順位を)落とすわけにはいかない」。この優勝は、松尾が絶対に負けられないという『責任』を強く感じるようになったきっかけ、そしてより高みを目指す契機となった。さらには、この冬からオリンピックキャンペーンが始まった。オリンピックに何らかのかたちで携わりたいという気持ちを持って入部した松尾にとって、社会人チームとの練習を行いながらオリンピックの選考会に挑戦できたことはかけがえのない経験となったという。その間、部を抜けることが多くなったが、チームはレギュラーである松尾を快く送り出してくれた。「部を離れることを許してくれた当時の4年生や関口功志監督(平18人卒=愛知・半田)には感謝しかない」。松尾は当時のことをこう回顧する。

主将としてチームを率いる立場となった4年時。松尾は自分が取り組むべきだと思ったことを自らが率先して徹底的に行った。そうした姿勢は後輩たちにとって頼もしく、松尾自身は背中でチームを引っ張る存在となった。だが、その矢先に未知の疫病が猛威を振るったことで、早大ヨット部も例年とは大きく異なる活動を強いられることとなる。部としての活動が休止し、意見すら直接聞けない状況の中、時には周りの目を気にしすぎるあまり、思うような活動ができない時期もあった。だが、『王座奪還』を目標に、取り組むことをチーム内で明確にしたことでチームの歯車は再びかみ合い始めた。

自粛期間中にはオンライン上でミーティングや全体でのヨットの知識の共有、各自でトレーニングを行わせることでチームとしての活動を継続していった。活動再開後、合宿はクラス別での開催となった。一緒に練習ができない分、連携を取ることが難しかった一方、いつも以上にクラス間での気遣いが増え、互いに助け合うができたという。その後、大会を重ねていくごとに、両クラスが上り調子で状態を上げ、最終的には全日本インカレにおける2年ぶりの王座奪還、そして6年ぶりの完全優勝を達成した。「最後までお互いを高めあうことができたからこそ、完全優勝を成し遂げることができた」。松尾は勝利の要因をこのように振り返った。さらに、これまで2連覇を果たしていた全日本個選でも優勝を果たし、前人未到の3連覇を成し遂げたことで松尾の4年間は最高の結果で締めくくられた。

松尾を中心に校歌を斉唱するヨット部一同

例年とは異なった活動を行う必要があった最後の1年。主将として困難に見舞われながらもチームを引っ張り続けた松尾にとって、この2つの優勝は忘れられない経験となったはずだ。また、ヨットを楽しむことができたのは家族や仲間、応援してくれる人のおかげであり、そういった人々がいたからこそ競技を続けることができたと今までのヨット人生を振り返った。今後、ヨットとどう携わっていくかはまだ決まっていない。しかし、これからどういった道を歩もうとも、松尾は目標に向かって全力で挑み続けるだろう。

(記事、写真 足立優大)