日米親善の願い語り継いで 青い目の人形の本制作  光雲寺住職 菅野さん 対馬・西小に寄贈 

対馬市立西小5年生に自著「青い目の人形 西小学校物語Ⅱ」を手渡す菅野さん(左)=同校

 日米親善を願って米国から贈られた「新・青い目の人形」姉妹の平和へのメッセージを語り継いでほしい-。妹人形「カゥラ」を保管している対馬市峰町の光雲寺住職、菅野慶全(きょうぜん)さん(78)=長崎親善人形の会顧問=がこのほど、姉人形「ナオミ」のある同町の市立西小に、人形が届けられた経緯をまとめた自著「青い目の人形 西小学校物語Ⅱ」を寄贈した。
 「青い目の人形」は日本人移民の排斥運動が米国内で起きていた1927(昭和2)年、宣教師として来日経験のあった米国人シドニー・ルイス・ギューリック博士が両国の友好を願って約1万2700体を日本に贈った。本県には214体が届けられ、このうち対馬には同校の前身、三根尋常小などに14体あったが、太平洋戦争中に捨てられるなどしていた。
 戦後58年たった2003年、博士の孫で「新・青い目の人形」を日本各地に贈っているギューリック3世夫妻が、米国と対馬を結ぶ懸け橋として「ナオミ」を西小に寄贈。「カゥラ」は06年に光雲寺へ贈られ、07年に両人形は姉妹縁組を結んだ。
 西小ではひな祭りのある3月3日前後に毎年、青い目の人形の歴史について学ぶ「ナオミ集会」を開いている。4年生(現5年生)は昨年2月、事前学習のため、菅野さんの講話を聞いたが、集会は新型コロナ禍で中止された。
 事前学習では児童から菅野さんに「姉妹ならいっしょにいればいいのに、どうして別々なんだ?」などの質問が寄せられた。これを受け、同著では「別々にいるからこそ、より多くの人の目にとまってアメリカという国や戦争、あるいは平和について考えるきっかけが生まれる」と答え、人形の歴史をひもといている。
 菅野さんは2月25日に同校を訪れ、5年生15人に同著と千代紙で作った折り鶴をプレゼント。「折り鶴は、命を表しています。私は(みんなが大人になる)10年、20年後にはこの世にいなくなってしまうかもしれない。しかし、本を読めば、いつでも出会えます」と語りかけた。阿比留そらさん(11)=5年=は「私は平和について考え、まずは友達と仲良くしたいと思いました。本をくださり、ありがとうございました」と礼を述べた。
 同著は非売品。菅野さんは02年にも当時中学3年生だっためいに宛てた手紙の形式で「童話 西小学校物語 青い目の人形さん」を自費出版している。

「青い目の人形 西小学校物語Ⅱ」の表紙

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