「張本に勝ってすごいね」全日本王者・及川瑞基の心に火をつけたもの

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私が聞きたかったのは、少し意地の悪い質問だった。
「全日本優勝したのに、自分の扱いが小さいと思いませんでしたか」。

それは「石川佳純、5年ぶり涙の優勝!」や「張本智和敗れる」などの話題と比べて「及川瑞基、いったい何者?」の声が少ないように思ったからだ。

及川瑞基はいささかも表情を崩すことなく、落ち着いた様子でこう答えた。
「悔しいとかはなくて、まだまだ自分にはネームバリューがないんだと。もっと勝てばいいんだって思いました」。

写真:及川瑞基(木下グループ)/撮影:田口沙織

むしろ、違うことをずっと気にしていた。
「優勝インタビューで、なんで“ベテランの域”って自分で言っちゃったのかなあって。やっと世界に向けてのステージに立ったところなのに。ああいうところに一人で立つと、何も思い浮かばなくって、何か言わなくちゃって」。

写真:及川瑞基(木下グループ)/提供:各社

車で例える時代ではないのかもしれないが、彼の佇まいはどこか最近のドイツ車を思わせる。
メルセデスの新型Gクラスが、クラシカルな質実剛健さを残しつつ、その機能は現代的に洗練させてきたような。

及川が7年間、ブンデスリーガで腕を磨いた、そのキャリアを知っているから余計にそう思うのかもしれない。

「いや、自分、実は免許持ってなくて。いま教習所探してるんですよ」。

及川瑞基、23歳。
昨年はダブルス、そして今年はシングルスで全日本を制した男に話を聞いた。

【及川瑞基(おいかわみずき)】1997年6月26日生まれ。宮城県出身の男子プロ卓球選手。青森山田中、高、専修大学へ進みつつ、中学3年生からドイツ・ブンデスリーガに挑戦、計7年間戦う。今季からTリーグ・木下マイスター東京に加入し、日本のプロ卓球選手として活動する。2020年の全日本では、三部航平と組んで優勝、2021年全日本で念願のシングルス優勝。両ハンドの粘り強いプレースタイルが特徴。世界ランキング最高61位。

全日本を振り返って

「今年はメンタルがとても落ち着いていました」。穏やかに勝因を振り返る。

無観客、一般男女シングルスとジュニア男女シングルスのみの実施、卓球台に落ちた汗を自分で拭かないことや、試合中の大声抑制など、異例の運営で閉幕まで漕ぎつけたコロナ禍での全日本。

写真:及川瑞基(木下グループ)/撮影:ラリーズ編集部

倉嶋洋介(男子日本代表監督)は今年の全日本をこう総括した。「及川、森薗、吉田という海外のリーグで長くやってきた選手が勝ち残った。移動後すぐ試合だったり、観客がほぼいない中での試合などが当たり前の海外リーグでやってきた経験が、全日本に結びついている。心技体と粘り強さがあった」。

写真:倉嶋洋介(日本代表男子監督)/撮影:ラリーズ編集部

自身でもそう感じるものだろうか。

「それはあると思います。日本に帰ってきて、改めて好条件だなと。お腹が空けばお弁当やおにぎりもあるし、ストレッチしてくれる人もいますし、床も赤マットで、暖房つけたり冷房つけたりできる。ドイツではそういうのは全く無かったので、ブンデスでの長い経験が活きて、今年の環境に適応できたのかなと思いました」。

写真:及川瑞基(木下グループ)/撮影:ラリーズ編集部

そもそも試合中に大きな声を出すタイプでもなく、汗かきでもない及川は、無観客の会場の静けささえ、「練習試合のようにリラックスさせてくれた」と語る。

イメトレを重ねていた張本戦

そんな及川が、今回の全日本で「おそらく自分が最も輝いた試合」と振り返るのが、準々決勝の張本智和(木下グループ)戦だ。

写真:張本智和(木下グループ)/撮影:ラリーズ編集部

張本の6歳年上で同じ仙台出身の及川は、ラケットを握った5歳から、仙台ジュニアクラブで張本の両親から指導を受けていた。青森山田中学に進学するまで約7年ほど、張本とも同じ練習場で過ごしたわけだ。現在は木下マイスター東京で、Tリーグを共に戦うチームメイトでもある。

写真:及川瑞基(木下グループ)/撮影:田口沙織

「小さい頃から知っているし、向こうは今、日本のエースとして世界を相手に戦っている。今まで自分がドイツでやってきたことが張本に通じるのか、今の自分の実力を試したいと思いました」。

組み合わせが発表されてから大会までの約1ヶ月、張本智和との準々決勝をどう戦うか、及川は頭の中でイメージトレーニングし続けていた。

写真:及川瑞基(木下グループ)/撮影:田口沙織

「11月のW杯とか中国であった張本の試合もずっとライブで見ていました。レベルは違いますが、馬龍とかの取った戦術は頭の中で描いていたのでイメージはあったんです。なので、試合の中でも次はこうくるからこう、みたいに頭で描けていたので、焦りも自分の中ではなかったです」

写真:ベンチで戦術を整理する両者/撮影:ラリーズ編集部

サーブ時ポイント獲得率、という指標がある。
そのプレイヤーのサーブから始まった展開での得点率のことだ。
張本のワールドクラスの高速卓球に対して、及川は得意のラリー戦に持ち込んだこの試合。

及川のサーブ時ポイント獲得率は61.9%。チキータレシーブを得意とする張本を相手に、圧倒的な数字を残す。一方の張本のサーブ時ポイント獲得率は46.5%。及川がサーブ側でもレシーブ側でも有利に試合を進めたことがわかる。

写真:ミスの少なかった及川のレシーブ/撮影:ラリーズ編集部

とりわけ及川自身も「木下グループに所属した5月から一番練習してきた」と自負するバックハンドは、前・中・後陣どの距離からも極めてミスが少なく、張本の“伝家の宝刀”バックハンドにも引けを取らない安定感を見せた。

試合は大方の予想を覆し、4-1で及川が勝利した。

「本当に勝つとは思ってなかったです、正直(笑)。勝つと思わなかったので思いっきりできた。彼のことは、憧れというか尊敬している。僕のYoutubeを開くと、探さなくても張本の試合が出てきます(笑)」。

写真:及川瑞基(木下グループ)/撮影:田口沙織

「張本に勝ってすごい」の下に「おめでとう」

「優勝したときより、この張本戦に勝利したときのほうがメールが多かった」と笑う。

「このときは300件くらい、“おめでとう”っていうメールやメッセージをもらいました。いや、まだ準決勝・決勝があるのになってちょっと思った」。

写真:及川瑞基(木下グループ)/撮影:田口沙織

彼はそこで、ある種の“ネームバリュー”を体感したのだ。
「もちろんメッセージをもらって嬉しかったんですけど」と前置きした上で、そのときの自身の感情をこう振り返る。

“張本に勝ってすごい”の下に“おめでとう”みたいな感じがあって、そこで急にスイッチが入ったんです。絶対優勝してやるぞって」。

写真:気持ちの入ったガッツポーズを見せる及川/撮影:ラリーズ編集部

ドイツ・ブンデスリーガを主戦場にし、全日本に参加するために帰国していた去年までなら、沸かなかった感情かもしれない。

ここで満足してたまるか。

大げさに言えば、このとき及川は、日の丸をつけて世界と戦う張本智和と同じステージに立ったとも言える。

写真:及川瑞基(木下グループ)/撮影:田口沙織

翌日、決勝で森薗政崇に先にマッチポイントを握られながら、逆転勝利して全日本チャンピオンとなった及川瑞基に、張本智和は祝福のツイートをした。

相対的な若さの比較に、何の意味があるだろう。
This is 及川瑞基
あきらめない男が手にした“世界への挑戦権”でもあった。

写真:全日本を制した瞬間の及川瑞基/撮影:ラリーズ編集部

取材・文:槌谷昭人(ラリーズ編集長)