戊辰戦争って言われても・・・【私鉄に乗ろう100】函館市電10

※2019年6月撮影

トップ画像は、函館市電「函館どつく」停留場の「湯の川行」。これは筆者が「湯の川」停留場から「函館どつく」まで乗ってきた車両です。終端駅です。

前面展望に戻ります。「大町」停留場の手前。上り線にトラックが駐まっています。黄色いコーンも置いてあります。

※2019年6月撮影

近づくと保線工事をしています。お昼の車両が運行中に工事しちゃうんですね。なかなか大胆。

※2019年6月撮影

下り線の軌道もかなり傷んでいる様に見えます。しかし、今乗っている「函館どつく行」が戻って来るまでに工事は完了するというコトなのでしょうか。確かに、夜間に照明灯を並べて工事するよりも短時間で可能な補修なら、明るい時間帯の方が簡便だと思います。

※2019年6月撮影

上り線には補修工事の跡が続いています。「大町」停留場です。ここにも上屋はありません。停留場の先から左にカーブします。

※2019年6月撮影

下り側停留場の少し先、左カーブの途中に上り側の停留場があります。

※2019年6月撮影

直線になると終点の「函館どつく」停留場まではすぐです。

※2019年6月撮影

この停留場も終端駅、単線になってホームがあります。

※2019年6月撮影

ホーム上には函館市電の到着を利用者さんたちが待っています。

※2019年6月撮影

トップ画像の「湯の川行」が出た後の「函館どつく」停留場。右は降車ホームでした。

※2019年6月撮影

停留場の南西側に入舟児童公園があります。その脇に立っていた案内板。案内板の背後には、函館厳島神社があります。

※2019年6月撮影

この入舟児童公園は、函館戦争で旧・幕府軍の新撰組が守っていた弁天台場があった場所だった様です。奥の黄色い矢印の石碑が「新撰組最後の地」です。

※2019年6月撮影

石碑の裏には以下の様に刻まれていました。

函館戦争のとき、旧幕府軍の一隊として、ここにあった弁天台場を守っていた新撰組百余名は、明治二年(1869)新政府軍の猛攻撃で、五月十五日降伏した。ここが最後の地である。

ただ、石碑を誰が何の為に設置したのか分からなかったので写真を撮っていません。

そもそも、あくまでも個人的にですが、新撰組というのは中学生の頃から嫌いでした。しかし、司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』(上・下 新潮文庫)を読んで土方歳三には幾ばくかの好感を持ちました。その土方は函館戦争で戦死。その三日後、新撰組は守っていた弁天台場で降伏し組織は終焉を迎えました。

公園内には「戊辰戦争終結150周年」というモノが建てられています。下は新撰組隊士島田魁。維新後は京都西本願寺の夜間警備員を死ぬまで務めました。何故、ここに記されているのかは不明です。

※2019年6月撮影

では、もう一つの終端駅に行きます。

(写真・文/住田至朗)

※鉄道撮影は鉄道会社と利用客関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

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