震災4日前、東電が報告した大津波の想定 「砂上の楼閣―原発と地震―」第9回

福島第1原発のある福島県双葉町の沿岸部に押し寄せる津波=2011年3月11日(双葉町提供)

 2008年夏、東京電力は福島第1原発を襲う可能性がある大津波の想定について、対応を「先送り」した。だが、新たな難題が持ち上がる。平安時代の869年に起きた貞観地震の大津波が、福島沿岸に及んだことが解明され始めたのだ。政府の地震調査委員会が貞観津波の研究成果を公表すると知った経済産業省原子力安全・保安院に対し、東電は以前から社内で計算していた高さ15・7mの津波想定を初めて報告した。東日本大震災の4日前のことだった。(共同通信=鎮目宰司)

 ▽宿題

 新潟県中越沖地震(07年)の影響で、保安院は地震想定を中心に、耐震指針に適合しているかを調べるバックチェックの中間報告を求めていた。貞観の大津波が原発に影響する可能性が初めて指摘されたのは09年6~7月、有識者委員の審査会合だった。「貞観の地震で非常にでかい津波が来ている。全く触れられていない」。貞観津波の調査を手がけていた産業技術総合研究所の岡村行信氏が疑問の声を上げた。

 福島第1原発を担当していた保安院の名倉繁樹審査官は、津波に関しては中間報告ではなく最終報告に含まれるからと、東電への「宿題」にするとしてその場を収めたが、名倉審査官も彼の上司・小林勝耐震安全審査室長も、東電から肝心なことは何も聞かされてはいなかった。

経産省原子力安全・保安院の耐震安全審査室長を務めた小林勝氏

 彼らは直後の9月、東電に貞観津波についての現状報告を求め、研究結果を反映すると福島第1で8~9mの津波が想定されるとの計算結果を聞いた。原子炉建屋のある高さ10mの敷地には届かないかもしれないが、高さ4mの海沿いの敷地にある原子炉冷却用海水を取り込むポンプとモーターは水没する。ちなみに、貞観津波とは別の津波を想定して08年に算出していた最大15・7mのシミュレーションは報告しなかった。

 東電は「土木学会で専門家に検討してもらい、自主的に対策する」と説明したとされる。15年9月に政府の事故調査委員会が公開した聴取記録によれば、名倉氏はこの時、東電に具体的な対策を早期に講じ、最終報告を急ぐよう求めたが拒否された。だが、名倉氏はその後、記憶違いだったとしてこの聴取内容を否定。同席した小林氏も「同席しなかった」などと、一時は虚偽の説明をしていた。東電を適切に指導、監督できなかったとの後悔が2人にあるのは間違いないだろう。いずれにせよ、貞観津波についてははっきりしないことが多く、東電の最終報告を待てばいいと判断したようだ。

 ▽沈黙

 翌10年2月、福島県の佐藤雄平知事は、プルトニウムを原発で用いるプルサーマル発電を福島第1の3号機で行うことを認める条件として「3号機の耐震安全性確認」を表明した。プルトニウムを燃料として消費するはずだった高速増殖炉が実用化できず、窮余の策として政府が推進する国策だった。

 福島第1の地震想定は中間報告で済んでいた。仮に福島県が、東電が示していない津波想定まで含めて確認を求めれば、プルサーマルの実施は遅れることになりかねない。津波には触れないことは、エネ庁と福島県の「あうんの呼吸」で方針が固まったが、小林室長は津波を無視しない方が良いと考えていた。

2010年8月、福島県庁で行われた原子力関係部長会議で、東京電力福島第1原発3号機でのプルサーマル実施了承を表明する佐藤雄平知事

 小林氏によれば10年7月ごろ、上司の野口哲男・原子力発電安全審査課長に「原子力安全委員会に話を持っていって、議論した方が良い」と直訴した。野口課長は「その件は安全委と手を握っているから、余計なことを言うな」と退ける。ノンキャリの小林氏の人事を担当していた原昭吾・保安院広報課長には「あまり関わるとクビになる」と警告されたという。

 小林室長は、それ以上どうすることもできずに沈黙した。

 ▽空費

 保安院と地震調査委員会は、同じ政府の組織でありながら関係は希薄で、貞観津波の研究成果が反映された長期評価の改定が11年春に行われる予定だということに小林室長たちが気付いたのは直前になってからだった。

 福島第1の津波想定がどうなったのか調べるよう、小林室長が名倉審査官に指示したのが11年2月22日。名倉氏から連絡を受けた東電の高尾誠氏は翌日、副社長になっていた武藤栄氏にメールでいきさつを報告した。武藤氏は、08年夏に「先送り」の方針を決めた人物だ。

津波に襲われた直後の東京電力福島第1原発。沖に戻る白い波が見える=2011年3月11日午後4時57分ごろ(国交省東北地方整備局撮影)

 武藤副社長が高尾氏に返信したのは3日後の2月26日。「話の進展によっては大きな影響がありえるので、情報を共有しながら保安院との意思疎通を図ることができるように配慮をお願い致します」とあった。

 高尾氏が小林室長と名倉審査官たちに、津波想定の現状を説明したのは3月7日。ここで初めて、08年に得られていた最大15・7mの計算結果を示した。

 「対策工事はできるのか」「(対応が)遅すぎる」。小林室長も名倉審査官も立腹したが、東電は保安院のバックチェック審査に加わる有識者委員たちにも根回し済みだという。「委員さえ了解してくれれば、保安院も従ってくれる」。東電は何とかなると踏んでいた。

 小林室長たちは東電の説明に、一応は納得した。高尾氏はすぐにメールで武藤副社長に報告を送る。それによれば、名倉審査官は比較的強い口調でこう言ったという。「口頭で指示を出すこともあり得る」。保安院にはこれが精いっぱいだったのだろう。

 東北太平洋沿岸に大津波が来ることを警告した長期評価が出た02年以降、具体的な大津波対策は何一つ実現していなかった。「絵空事」だと真に受けず、ただただ、時間を空費しただけだった。(つづく)

「砂上の楼閣」第8回はこちら

https://this.kiji.is/740552838577569792?c=39546741839462401

第10回(最終回)はこちら

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