JRAのルールを変えた2冠馬 ネオユニヴァース死す

03年日本ダービーをM・デムーロとのコンビで制し2冠を達成した

2003年に皐月賞、日本ダービーの2冠を制し、同年のJRA賞最優秀3歳牡馬に輝いたネオユニヴァースが8日、けい養先のレックススタッド(北海道新ひだか町)で種付け中の事故により死んだ。21歳だった。

同馬は父サンデーサイレンス、母ポインテッドパス(父クリス)の血統。03年のクラシックでは当時短期免許での騎乗だったM・デムーロとのコンビで皐月賞と日本ダービーを制し2冠を達成。外国人騎手の日本ダービー制覇は史上初の快挙となった。

本来ならば同騎手の短期免許期間は春で終了していたが、ファンからの要望もあり、JRAが「同一馬に騎乗し、同一年にJRAのGⅠを2勝以上した場合、その年のGⅠで当該馬に騎乗する場合に限り、そのGⅠ当日のみ免許を発行する」という規定を設けたため、3冠制覇がかかった菊花賞でも同騎手とのコンビが実現した(結果は3着)。

2冠を含め重賞5勝を挙げたネオユニヴァースは04年に引退。種牡馬としても日本調教馬初のドバイWC制覇(11年)という快挙を成し遂げたヴィクトワールピサを筆頭にアンライバルド(09年皐月賞)、ロジユニヴァース(09年日本ダービー)など多くの活躍馬を送り出した。

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