<3.11 未来へつなぐ> 原発事故で奪われた故郷 10年の思い(前編)

東日本大震災の発生から10年を迎えます。今回は福島第1原発の事故で一変してしまった町・福島県富岡町に住んでいた女性の現実です。すぐに戻れると出たふるさとにはいまだに帰れるめどは立たず、原発事故でふるさとを追われた住民は10年がたった今も町のことを思い続けています。「いつの日か、生まれ育った町に帰りたい」と願い続ける女性の10年間の積み重なった思いに迫りました。

菅野洋子さん・79歳のふるさとは、桜のトンネルが自慢の福島県双葉郡富岡町です。10年前のその日、町の住民は福島第1原発の事故で避難を強いられました。数日たてば戻れると信じて疑わなかったふるさとから離れて10年の月日がたちました。

自主避難者に提供された東京・江東区の東雲住宅に震災後移り住んだ菅野さんは、およそ40年にわたって美容師をしていた経験を生かし、得意の着物の着付けをして一緒に出掛ける友人もできました。新しい友人との楽しい語らいの時間も持てましたが、それでも心の中にあったのは「生まれ育ったふるさとに帰りたい」という思いでした。2014年、TOKYO MXの取材に対し、菅野さんは「最後には…あのふるさとの山、川のそばで生きたいね。生きたい」と涙ながらに思いを語ってくれました。

福島第1原発の20キロ圏内に位置する富岡町は総面積の1割ほどがいまだに帰還困難区域に指定されたままで、住民のおよそ9割が戻ってきていません。菅野さんは「もし自由に行き来するようになったら、みんなでお茶でも飲める小さな場所を作りたい」と、町に戻れたらやりたい夢を語ってくれました。

現在、菅野さんは富岡町から1時間ほどの福島県いわき市に住んでいます。富岡町にあった菅野さんの自宅はわずかに残る帰還困難区域にあったため、震災から9年が過ぎた2020年、解体を依頼しました。ふるさとに帰ることを夢見て乗り越えてきた10年でしたが、菅野さんはこの10年間を振り返って「悔しい10年であり悲しい10年でもあり、考えれば考えるほど沈み込むからなるべく自分に叱咤(しった)激励して頑張らなくちゃと言い聞かせている」と語ります。

ことし3月2日、菅野さんが向かっていたのは、ふるさと・富岡町にいつか帰ることを願い続けている場所でした。まず訪れたのは震災前の駅舎を再現した夜ノ森駅の待合室です。最寄り駅だった夜ノ森駅の懐かしい姿に「きれいになってからは初めて」と菅野さんもうれしそうです。線路の両脇に咲くツツジの花やサクラが名物だった夜ノ森駅でしたが、新しい駅の目の前はいまだに帰還困難区域で10年前の爪痕がそのまま残っていました。

夜ノ森駅から歩いて3分ほどのところにかつて菅野さんの家はありました。解体されてから一度も訪れることができなかった自宅跡を訪れることにした菅野さんは「遠くから見えないなって言ってるだけでちょうどいいんだと思う。観念はしているのよ…観念はしているしそう思っているけれど…つらいね」と涙を見せました。

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